学園側・最強引き継ぎ計画V5 ふわさら尻尾ケアクロス
先輩が帰ってきてから、少し時間が経った。
無人島から帰還した次の日に電話で話せた。帰還塔のこと、ハンバーグのこと、山菜のこと。全部、先輩らしかった。私が「V5、続けていいですか」と聞いたら、先輩は「たづなさんの条件を守って、続けていいよ。報告は続けて」と短く言ってくれた。
その一言が、ずっと頭の中にあった。
続けていい。条件を守って。
つまり、条件さえ守れば大丈夫だ。
私は机の上のノートを開いた。最強引き継ぎ計画。V5のページ。先輩が書いてくれた「作る前に相談」の文字。その下に、私が続きを書き込んできたページ。
今日、このページが完成する。
第二回相談
翌日の放課後、私はたづなさんのところへ行った。
今回は、段ボールは持っていかなかった。
クリアファイル一枚。試作品を一つ。それだけ。
「たづなさん、お疲れ様です。V5の続きの相談に来ました」
「お疲れ様です。今日は、量が少ないですね」
たづなさんが少し目を細めた。前回との比較が、一秒で終わった。
「はい! 今日は試作品と相談内容だけです。段ボールは持ってきていません」
「……成長ですね」
「ありがとうございます!」
私は、試作品をテーブルに出した。
タオル地と起毛布を組み合わせた、小さな布。綿を薄く挟んで、端をきちんとかがってある。大きさは手のひらより少し大きい程度。肌触りがやわらかい。尻尾に当てると、ちょうど包み込まれる感じになるように厚みを調整した。
「触ってみてもいいですか」と聞いてから、たづなさんに渡した。
たづなさんが、布を手に取った。表を見て、裏を見て、少し触った。それから、少し目を細めて笑った。
「ふわふわしていますね」
「はい! タオル地と起毛布を合わせました。V4の嗅覚から離れて、今回は触覚だけです。食べない、嗅がない、聞かない。尻尾に当てるだけです」
「前回からずいぶん整理されましたね」
「はい! たづなさんに教えていただいたので!」
たづなさんは少し笑ったまま、布をもう一度見た。
「使い方を教えてください」
「尻尾の根元から先端に向けて、ゆっくり当てていきます。力を入れない。ただ沿わせるように。椅子に座って、一人で使います」
「音声は使いませんね?」
「なしです!」
「写真や映像も?」
「なしです!」
「香りは?」
「なしです!」
「抱きしめる用途は想定していませんね?」
「していません。大きなクッションにもしていません」
「同時使用、ケア会は?」
「しません。一人ずつです!」
たづなさんは、うんうんと穏やかに頷きながら聞いていた。
「後輩ちゃん」
「はい!」
「今回、ちゃんと整理して持ってきましたね」
「はい……!」
「段ボールもバッグも、ありませんでした」
「今日はクリアファイル一枚です!」
「成長しましたね」
にこりと笑って、そう言ってもらえた。胸がぽかぽかした。
「条件を守ったうえで配布する方向で、いいと思います。ただし、手順書があれば先に見せてください。見せてから配布してくださいね」
「手順書、作ります! 先に持ってきます!」
「それから、名前は決まりましたか?」
私は少し考えた。
触覚編。ふわふわで、さらさらで、尻尾を整える布。
「……ふわさら尻尾ケアクロス、でどうでしょうか」
「ふわさら尻尾ケアクロス」
「はい! V5、ふわさら尻尾ケアクロスです!」
たづなさんは、柔らかく頷いた。
「いい名前ですね」
手順書
その夜、私は手順書を書いた。
配布する全員が同じように使えるように。安全に使えるように。間違えないように。
ふわさら尻尾ケアクロス 使い方
1. 椅子に座る。尻尾を自然に下ろす。
2. ふわさら尻尾ケアクロスを取り出す。
3. 尻尾の根元に、布をそっと当てる。
4. 根元から先端に向けて、一方向に、ゆっくりと沿わせる。
5. 力を入れない。押しつけない。ただ、添わせるように。
6. 先端まで来たら、また根元から。繰り返す。
7. 一人で、静かに行う。
書き終えて、読み返した。
丁寧に書けた気がした。分かりやすいと思った。
この手順通りにすれば、全員が同じように使える。良いものを、みんなに届けられる。
私は手順書をクリアファイルに入れて、翌日たづなさんに見せた。
たづなさんは、全部読んだ。
「……手順書自体は、問題ありません」
「ありがとうございます!」
「配布数は、最初は少なく。同じクラスの子で、様子を見ながら」
「はい!」
「何か起きたら、すぐ報告してください」
「はい! 何も起きないと思いますが、報告します!」
たづなさんが、少しだけ目を伏せた。
「何も起きないことを、私も願っています」
そう言った。
私は「はい!」と元気よく返事をした。
配布
私は、クラスメイトの中から三人を選んだ。
いつも練習が終わった後にぐったりしている子。尻尾の手入れに時間をかけている子。最近疲れが顔に出ている子。
「使ってみませんか」と声をかけると、三人とも「いいよ!」と言ってくれた。
手順書を一枚ずつ渡した。使い方を説明した。一人ずつ、別々の日に試してもらう。同時に使わない。ケア会にしない。たづなさんの条件を全部守っていた。
一人目が試した翌日、廊下で会った。
「昨日のやつ、よかったよ」
「本当ですか!?」
「うん。ふわさらって言ってたけど、ほんとにふわさらだった。なんか……すっとした」
「すっとした! よかったです!」
嬉しかった。触り心地が良くて、気持ちよかった。それだけで、十分な気がした。
二人目から報告が来たのは、その翌日だった。
「あれ、なんか、不思議な感じがした」
「不思議?」
「変とかじゃなくて。なんか、大丈夫って思った。なんでだろう」
「大丈夫って……良いですね!」
大丈夫。落ち着いた。きっと触り心地がいいから。それだけだと思った。
三人目の子は、少し違った。
静かな時間
三人目の子と使ったのは、放課後の空き教室だった。
使い方の確認のために私も同席した。
「手順書、あるから大丈夫だよね?」
「うん、一応読んだけど……なんか、めんどくさいな」
「めんどくさい?」
「ねえ、やってもらっていい? どうせ隣にいるんだし」
私は、少し迷った。
条件に「許可なく人の尻尾に触らない」とあった。でも、頼まれた。頼んでもらったなら、許可は取れている。「使うのは本人」という条件もあったが、手伝うだけなら大丈夫だと思った。
「……わかりました。手順書通りにやりますね」
「ありがとう」
椅子に座って、尻尾を自然に下ろした。
私は、布を手に取った。
手順書通りにやる。根元から先端に向けて、ゆっくり。力を入れない。ただ沿わせるように。一方向に。
静かだった。
窓の外で風が吹いていた。廊下から誰かの声が聞こえて、また静かになった。
その子の肩が、少しだけ下がった。
「……あ」
「どうですか?」
「なんか……いい」
「いいですか!」
「ふわさらで気持ちいいのは分かるんだけど……なんか、それより」
「より?」
「なんかこれ……甘えていいって言われてる感じがする」
私の手が、止まった。
同じ布だった。同じ手順書だった。
一人目と二人目は、自分でやった。ふわさらで気持ちよかった。大丈夫って思った。
でも今、私がやっている。
「……なんかふわふわしてきた」
「え?」
「ふわふわする……」
目が、少しとろんとした。
「……おやすみ」
そのまま、ゆっくりと背もたれに沈んだ。
幸せそうな顔だった。
私は布を持ったまま、固まった。
手順書を見た。
どこも間違っていない。
一人目のことを思い出した。自分で使って、すっとしただけだった。
二人目のことを思い出した。自分で使って、大丈夫って思っただけだった。
その子は、私がやった。
なぜ。
たづなさんに呼ばれる
翌日、たづなさんに呼ばれた。
一人ではなかった。昨日の子と、私と、それから二人目の子も来ていた。
「座ってください」
たづなさんがにこりと言った。笑顔だったが、背筋が伸びる種類の笑顔だった。
全員、素直に座った。
「昨日のことを確認させてください。音声は使いませんでしたね?」
「使っていません」
「写真、映像も?」
「なしです」
「香りは?」
「なしです」
「同時使用やケア会にはしませんでしたね?」
「一人ずつ、別々の日にしました」
「手順書は、私が確認したものを使いましたね?」
「はい」
たづなさんは、静かにうなずいた。それから、少し間を置いた。
「条件は、全部守られていましたね」
「……はい」
「それでも、幸せそうに意識を手放してしまいました」
「……はい」
私は、ますます分からなかった。全部、守った。それでも、起きた。
たづなさんが、手順書を机の上に置いた。
「後輩ちゃん、少し聞いてください」
「はい」
「一人目と二人目は、自分で使いましたね」
「はい」
「もう一人の子には、後輩ちゃんがやってあげましたね」
「……はい。頼まれたので」
たづなさんが、静かに頷いた。
「そこが、今日の反省点ですよ」
「……え」
「ウマ娘の尻尾は、感情が出やすい器官です。自分で整える場合と、誰かに整えてもらう場合は、同じ動きでも感覚が違うんです」
「違う、んですか」
「自分でやる場合は、自分の意思で動いています。でも、誰かにやってもらう場合は、その丁寧さが『大切にしてもらっている』という信号になりやすいんです。ていねいに扱われると安心する。安心すると、気を張っていた尻尾がふっと緩む。それが、今回起きたことですよ」
隣の子が、小さく頷いた。「甘えていいって感じがした」と言っていたのは、そういうことだったのか。
「条件に、『使うのは本人』とお伝えしていましたね」
「……はい」
「頼まれたから手伝った、という気持ちは分かります。『許可なく触らない』という条件は守ってくれていました。でも、『使うのは本人』という条件の意味が、今日分かりましたね」
私は、そこでやっと気づいた。
頼まれたから、許可は取れていると思っていた。でも、条件の意味は「頼まれてもやらない」ということだったのかもしれない。
「……意味が、分かっていなかったです」
「そうです。今日、学びましたね」
私は、深く頭を下げた。
「すみませんでした」
隣の子も、一緒に頭を下げた。
「私も……ごめんなさい」
「気絶自体に、怪我や危険はありません」
たづなさんが、穏やかに言った。
「布そのものは、よくできています。自分で使う分には、一人目と二人目のように普通に気持ちいいだけですよ。今後の使い方次第で、ちゃんと活かせるものになりますよ」
「……使っていいんですか」
「配布済みの分は、回収しません。今後は一人ひとり私に相談してから使ってくださいね。手順書も、一度一緒に見直しましょう」
「はい!」
「後輩ちゃん」
たづなさんが、今度は本当の笑顔になった。
「条件を守って配布したこと、相談してから動いたこと、どちらも正しかったです。今日、新しいことをひとつ学びましたね」
「……使うのは本人、という条件の意味を、ちゃんと理解する、ということ」
「そうです。今後に活かしてください」
「はい!」
私は、ノートを開いた。
V5のページ。新しい一行を書き足した。
尻尾は感情が出ます。
自分で使う場合と、やってもらう場合は違います。
「使うのは本人」という条件の意味を、今日学びました。
先輩がこれを読んだら、何と言うだろう。
きっと、「ぉぉ」と言う。そして、真剣にうなずく。そして、何か考える顔をする。
私は少しだけ笑った。
先輩が帰ってきたら、報告しよう。
ちゃんと条件を守って配布した。一人目と二人目は大丈夫だった。もう一人の子に頼まれてやってあげたら、すやぁになった。配布済みは回収しなかった。今後は個人別に相談する。
先輩は、それを聞いて何と言うだろう。
なお。
「配布済みは回収しない」は、「また新しく配布していい」という意味ではなかった。
たづなさんが言ったのは、すでに渡した分を取り上げる必要はない、ということだった。
その差は、後輩ちゃんの先輩への報告から、きれいに抜け落ちていた。
嘘は言っていない。「配布済みは回収しなかった」は、本当のことだった。
トレセン学園スレ
【学園】最強引き継ぎ計画V5来た・ふわさら尻尾ケアクロス【条件守ったのに】
レス 1〜50
V5来た。
来た??
来た。ふわさら尻尾ケアクロス。
名前を読む時間をくれ。
ふわさら……尻尾……ケアクロス。
ふわさらはわかる。
尻尾ケアはわかる。
クロスは?
布のこと。クロス。
なんか聞き慣れてくると普通に聞こえてくるな。
そういうもの。
中身は?
触覚編。食べない、嗅がない、聞かない。
タオル地と起毛布で尻尾を整える布。
嗅覚から離れたのは前進。
前進。
相談してから配布したらしい。
成長。
全条件守ったらしい。
音声なし、映像なし、香りなし、ケア会なし、一人ずつ、手順書確認済み。
完璧では?
幸せそうに倒れた。
やめろ。
なんで?
一人目と二人目は自分で使ったらしい。
ふわさらで気持ちよかった。それだけ。
それだけで終わったならよかったのでは。
三人目が「手順書めんどくさいからやってもらっていい?」って後輩ちゃんに頼んだらしい。
学生。
それが学生。
後輩ちゃん、やってあげたの?
頼まれたからやってあげた。
「許可なく触らない」は守ってる。大丈夫と思ったらしい。
「使うのは本人」という条件は?
そこの意味を理解できていなかったらしい。
あー。
自分でやると「ふわさら気持ちいい」止まり。
やってもらうと「甘えていいって言われてる感じ」になる。
なんで違うの。
たづなさん曰く「自分で整える場合と誰かにやってもらう場合は感覚が違います。後者は大切にされているという信号になりやすい」。
なるほど。
「使うのは本人」という条件、それを見越してたんだ。
たづなさんが先に分かってた。
後輩ちゃんは条件を守ってたのに。
守ってた。でも意味を理解できてなかった。
それが今回の勘違いの質。
後輩ちゃん、概念ママでは?
概念ママ。
概念ってなに。
整えてもらえる、甘えていい、って安心が「ママ」に近い、って言いたいんじゃないか。
スピカさんが「概念推し」なら、後輩ちゃんは「概念ママ」。
布を当てると甘えていいって思えるの、概念ママが作ったものだから、では?
ちゃんと説明できてしまった。
後輩ちゃんに概念が宿り始めている。
スピカさんも概念だけど、スピカさんは推しだから別腹。
後輩ちゃんは「包んでくれる」系。
その区分け、なんかわかる。
たづなさんの判断は?
レス 51〜100
配布済みは回収しない。今後は個人別相談。
回収しないの偉大。
「甘えていいって言われてる感じがするもの」を回収されたらそっちが辛い。
たづなさん、ちゃんと分かってる。
今回の勘違いの進化。
「相談した=成功」→「条件守った=安全」→「条件の意味が分かっていなかった」。
毎回少しずつ前進してる。でも毎回どこかがズレてる。
相談した→成功、条件守った→安全、そしてついに「条件の意味を理解できてなかった」へ。
毎回少しずつ前進してる。でも毎回どこかがズレてる。
でも前進はしてる。
そこが後輩ちゃんのいいとこ。
先輩まだ合宿中。
帰ってきたら報告受ける。
「一人目と二人目は大丈夫でした! 三人目に頼まれてやってあげたらすやぁになりました! 条件の意味が分かりました! 配布済みは回収しませんでした!」
来る。
「机が埋まったこと」「たづなさんの目がちょっと疲れてたこと」は来ない。
来ない。
それが後輩ちゃん。
嘘は言ってない。全部、本当のことだけ。
先輩、ふわさら尻尾ケアクロスの報告を聞いたら何て言う?
「ぉぉ……」って言う。
言う。
そして真剣にうなずく。
うなずくな。
赤ペン先生は?
「概念ママ」を聞いた瞬間に何かが終わる顔をする。
もしかして合宿から帰ってくる前にV5が全部終わってよかったかもしれない。
合宿もあと少し。
学園も、ちゃんと続いてた。
それだけでいい今週。