2話・最強ふわさらマフラー
クリームの件から、数日が経った。
手袋の特例は解除され、廊下のドアノブはもう普通のドアノブに戻っていた。学園は平和だった。寒いだけの、普通の冬だった。
その日の放課後、後輩ちゃんが部屋に来た。
「先輩! これ、冬用に調整したので、よかったら試してください!」
差し出されたのは、見覚えのある布だった。
最強引き継ぎ計画V5。ふわさら尻尾ケアクロス。後輩ちゃんが夏に作って、たづなさんの条件付きで運用されている、後輩ちゃんの代表作だった。
「冬は静電気がすごいって相談されて、冬用に少し変えたんです。すべりと、保湿と、あったかさを足しました」
「冬用V5」
「はい! ちゃんとたづなさんに見せました! 条件も同じです。使うのは本人。一人ずつ」
最強メンタル計画ちゃんは、布を受け取った。
ふわっとしていた。そして、さらっとしていた。夏に触らせてもらった時より、少しだけ厚みがあって、持っているだけで手のひらがあたたかい。
「使ってみていいですか? あ、逆です。使ってみてください!」
「ん」
部屋の隅で、最強メンタル計画ちゃんは自分の尻尾に冬用V5を使ってみた。
使うのは本人。条件どおり、自分の手で、自分の尻尾に。
ふわさら、だった。
静電気でぱちぱちしていた毛が、すっと落ち着く。ぱさついていた毛先が、しっとりまとまる。そして、ケアしたところから、じんわりあたたかい。
最強メンタル計画ちゃんは、自分の尻尾を見た。
それから、もう一度、布を見た。
「……いいもの」
「ほんとですか!!」
「いいもの。すごく」
後輩ちゃんの耳が、ぴんと立った。
「先輩にいいものって言ってもらえました……!!」
「冬の尻尾、ぱちぱちしてた。それが、ない。あったかい。まとまってる」
「そこです! そこを直したんです!」
「えらい」
「えへへ……!」
横で本を読んでいた赤ペン先生が、ページから目を上げた。
最強メンタル計画ちゃんが、誰かの作ったものを使って、こんなにまっすぐ感心しているのは、珍しかった。いつもは作る側で、感心される側だからだ。
そして赤ペン先生は、次に何が起きるかも、だいたい分かっていた。
最強メンタル計画ちゃんは、しばらく自分の尻尾を見て、布を見て、それからノートに手を伸ばした。
「ほらきた」
「?」
「いま、作りたくなったでしょ」
「……なった」
「何を」
最強メンタル計画ちゃんは、少し考えてから言った。
「首のやつ」
「首のやつ」
「ふわさらで、あったかいの、首にもほしい。冬は首が寒い。首が寒いと、肩が上がる。肩が上がると、力む。力むと、走りによくない」
「つまりマフラー」
「マフラー」
後輩ちゃんが目を輝かせた。
「先輩が私のV5から発想してくれてます……!」
「後輩ちゃんの、いいものだったから」
「先輩……!!」
赤ペン先生は本を閉じた。
「作る前に?」
「相談する」
ノートが差し出された。もう開いてあった。
最強ふわさらマフラー
首が、寒くない
ふわさらで、あったかい
自分用
「自分用ね」
「自分用」
「後輩ちゃんのV5の技術を使うなら、後輩ちゃんにも許可がいるよ」
「使っていいですか」
「もちろんです!! むしろ光栄です!!」
「あと、たづなさんにも」
「見せる」
手順は、もう身についていた。
たづなさんの確認は、すんなり通った。
「V5の冬用調整の、首用転用ということですね」
「はい」
「使うのは」
「自分です」
「条件はV5と同じです。使うのは本人。それから」
たづなさんは、申請書の用途欄を見た。防寒具(自分用)。
「マフラーですから、首に巻く以外の使い方はしないでください」
「巻くだけです」
「では、受理します」
帰り道、赤ペン先生が言った。
「今回、危ない要素ある?」
「ない、と思う」
「思う、じゃなくて」
「ない。布で、首で、自分用。配らない。光らない。鳴らない。匂わない」
「列挙が完璧になってきたね」
「学んでる」
「その学びの方向は、合ってるよ」
製作は二日かかった。
冬用V5の布の織り方を、後輩ちゃんに教わりながら(教わっている間の後輩ちゃんは、ずっと嬉しそうだった)、首に巻ける長さに仕立てていく。
できあがったのは——長かった。
「長くない?」
赤ペン先生が、完成品を見て最初に言った言葉だった。
マフラーは、たっぷり二回巻いても、まだ端が余る長さだった。
「ロング」
「ロングだね。なんでこんなに長いの」
「巻き方を、選べるように。一回巻き。二回巻き。ぐるぐる巻き。寒さに合わせる」
「……理屈は通ってる」
理屈は通っていた。実際、長いマフラーは巻き方の自由度が高い。それだけのことだった。それだけのことの、はずだった。
試用は、部屋で行われた。
最強メンタル計画ちゃんが、自分の首に巻く。一回巻き。ふわっとして、さらっとして、首のまわりがじんわりあたたかい。
「あったかい」
「変な感じは?」
「ない。普通に、いいマフラー」
二回巻きも試した。問題ない。ぐるぐる巻きも試した。顔が半分埋まって、目だけが出た。
「もこもこになってる」
「あったかい」
「視界は確保して」
「してる」
三十分様子を見ても、何も起きなかった。本人、異常なし。眠気なし。連想なし。ただの、とても出来のいいマフラーだった。
赤ペン先生も、端のほうを触らせてもらった。ふわさらで、あたたかい。何も起きない。
「……うん。今回は、本当に大丈夫かも」
「大丈夫」
「明日、たづなさんに完成報告して、それで終わり」
「ん」
その夜は、本当に何も起きなかった。
最強メンタル計画ちゃんは、マフラーをきれいにたたんで、枕元に置いて眠った。
翌日の放課後は、よく晴れて、よく冷えた。
完成報告はもう済んでいた。台帳には「最強ふわさらマフラー:自分用防寒具。異常なし」と書かれた。正式に、ただのマフラーになった日だった。
最強メンタル計画ちゃんは、マフラーを巻いて外に出た。
見せたい相手がいた。
後輩ちゃんは、グラウンド脇で自主練の整理運動をしていた。白い息を吐きながら、屈伸をしている。
「後輩ちゃん」
「先輩!」
振り返った後輩ちゃんは、マフラーを見つけて、ぱっと駆け寄ってきた。
「完成したんですね!!」
「した。後輩ちゃんのおかげ」
「私のV5から生まれたマフラー……! 巻き心地どうですか!」
「ふわさら。あったかい」
「よかったです……!」
後輩ちゃんは、マフラーをじっと見た。それから、自分の手に息を吹きかけた。
練習終わりの体は、汗が引くと一気に冷える。後輩ちゃんの耳が、寒さで少しぺたんとしていた。肩も、少し縮こまっている。
最強メンタル計画ちゃんは、それを見た。
寒そうだった。
マフラーを見た。
長かった。
二回巻いても、端が余る。
「後輩ちゃん」
「はい」
「ロングだから」
「?」
「一緒に、入れる」
最強メンタル計画ちゃんは、マフラーの余った端を持ち上げて、ぱさり、と後輩ちゃんの首に回した。
「え」
「寒そうだった」
「え、え、先輩、これ」
「あったかい?」
後輩ちゃんの首に、ふわさらの布が触れた。じんわりと、あたたかさが広がっていく。二人分の距離は、マフラーの長さの分だけ、近い。肩が触れるか触れないか、くらい。
「あったかい、です……」
「ん」
二人は、一本のマフラーに包まれて、並んで立っていた。
冬の夕方の、グラウンド脇。白い息が二つ。
ここまでは、よかった。
ここまでは、本当に、ただのいい場面だった。
異変は、じわじわ来た。
マフラーの中で、二人分の体温が混ざった。冬用V5の布は、あたたかさを受け取って、ふわさらを最大限に発揮する。一人分の体温で「いいマフラー」だった布は、二人分の体温で、何か別のものになった。
使うのは本人。一人ずつ。
たづなさんの条件には、ちゃんと理由があったのだ。
「……先輩」
「ん」
「なんか、これ……」
「ん」
「包まれてる、っていうか……」
後輩ちゃんの声が、ふわふわし始めた。
「私、先輩のマフラーに包まれてて……先輩も、同じマフラーに包まれてて……」
「ん」
「つまり、お互いに、包まれてるみたいで……」
「……ん」
最強メンタル計画ちゃんの返事も、ふわふわし始めていた。
ふわさらは、首から肩へ、肩から背中へ、じんわり広がっていく。隣にいる相手のあたたかさと、自分のあたたかさの境目が、布の中で分からなくなっていく。
守られている。包まれている。あたたかい。隣にいる。
「先輩……あったかい、です……」
「……あったかい」
「なんか、もう……」
「……ん」
二人の声が、同時に小さくなった。
最強メンタル計画ちゃんと後輩ちゃんは、一本のマフラーに包まれたまま、寄りかかり合うように、ゆっくりとその場に座り込んだ。
グラウンド脇の、雪の残る芝生の上。
二人とも、世界で一番あたたかい場所にいる顔で、眠っていた。
発見したのは、赤ペン先生だった。
完成報告の写しをたづなさんに届けた帰り、グラウンド脇を通りかかって、足が止まった。
雪の残る芝生の上で、二人が一本のマフラーに包まれて、寄りかかり合って眠っていた。
最強メンタル計画ちゃんの頭が、後輩ちゃんの肩に少し傾いている。後輩ちゃんの頭が、その上に少し傾いている。白い息が、二つ、ゆっくり、同じリズムで上っていた。
赤ペン先生は、その場でしばらく動かなかった。
まず、状況を確認した。呼吸、安定。顔色、良好。苦しそうな様子、皆無。むしろ二人とも、見たことがないくらい幸せそうだった。
次に、原因を推定した。マフラー。ロング。二人。V5の条件——使うのは本人。一人ずつ。
「……だから一人ずつなんだよ」
声が、白い息になった。
それから、赤ペン先生は、ポケットのスマホに手を伸ばした。
伸ばして、止まった。
写真。
撮らない。撮らないけど。
撮らないけど、この光景は、ちょっと、かなり、残しておきたい部類のものだった。マフラーに包まれて眠る二人は、事故の被害者というより、冬の絵本の最後のページみたいだった。
赤ペン先生は、十秒くらい迷った。
撮った。
「……記録だから」
誰に言うでもなく言った。事故の記録。状況の保存。台帳の補助資料。言い訳は三つ用意した。どれも使う予定はなかった。
それから、近くの部室から毛布を二枚借りてきて、二人にかけた。起こさなかった。この寒空の下で起こさず寝かせるのもどうかと思ったが、ふわさらの中の二人は、毛布の外の世界より明らかにあたたかそうだった。
それから、たづなさんに連絡した。
マフラーの件で事故です。ただし平和な事故です。怪我なし。二名、幸せに就寝中。場所はグラウンド脇。
返信は早かった。
向かいます。起こさなくて結構です。
たづなさんは、現場を一目見て、状況をすべて理解した。
「二人で包まったんですね」
「はい。ロングなので、入れてしまったみたいです」
「V5の条件は『使うのは本人・一人ずつ』でした。マフラーにも同じ条件が必要でしたね」
たづなさんは、台帳を開いた。
眠る二人を起こさないよう、少し離れたところで、静かに書いた。
最強ふわさらマフラー:使用条件追加。
使うのは本人。一人で使うこと。
二人で包まらないこと。
書き終えてから、たづなさんはもう一度、二人を見た。
マフラーの中の二人は、まだ同じリズムで眠っていた。
「……回収は、しません」
「いいんですか?」
「マフラー自体は安全です。条件を守れば、ただの良い防寒具です。それに」
たづなさんは、少しだけ目を細めた。
「これを没収と書くのは、台帳が少しかわいそうです」
「分かります」
二人は、日が落ちる前に、自然に目を覚ました。
最初に起きたのは後輩ちゃんだった。状況を理解するのに五秒かかり、隣で眠る先輩を見て、自分の首のマフラーを見て、口を両手で押さえた。
「私、先輩と……マフラーで……」
「落ち着いて」
赤ペン先生が言った。
「落ち着けません! これ、寝ましたよね!? 私、先輩と一緒に寝ましたよね!?」
「言い方」
「むしろもう一回——」
「だめ」
「ですよね!!」
即答だった。分かっていて言ったらしい。
最強メンタル計画ちゃんも、ゆっくり目を覚ました。毛布と、マフラーと、隣の後輩ちゃんを順番に見て、状況をだいたい理解した。
「……包まれた」
「包まれたね」
「お互いに」
「そうだね」
「……あったかかった」
「でしょうね」
赤ペン先生は、ため息をついた。怒る要素を探したが、あまり見つからなかった。手続きは全部正しかった。条件の穴は、誰も気づいていなかった。被害者は二人とも幸せそうで、怪我もなく、そして二人とも反省より先に「あったかかった」と言っている。
「条件、増えたから」
赤ペン先生は、台帳の文面を二人に見せた。
使うのは本人。一人で使うこと。二人で包まらないこと。
後輩ちゃんが、その三行目を指さした。
「これ、私たちのことですよね」
「そうだよ」
「台帳に、私と先輩のことが載ったんですね……!」
「そういう喜び方をしない」
「はい!」
最強メンタル計画ちゃんは、マフラーを巻き直した。一人分。正しい使い方。
それから、小さく言った。
「一人でも、あったかい」
「うん」
「でも」
「でも、は赤入れるよ」
「……ん」
でも、の続きは、言わなかった。
言わなかったが、隣で後輩ちゃんが「でも、ですよね」と言った。
「あなたも言わない」
「はい!」
夜、寮の部屋。
ノートに、短い記録が増えた。
最強ふわさらマフラー
完成。あったかい。
一人で使う。
赤ペン先生は、それを読んで、赤を入れる場所を探した。
なかった。
正しいことしか書いていなかった。
仕方ないので、横に小さく書いた。
良い防寒具です。
「赤じゃない」
「今日のは、赤を入れるところがなかったの」
「初めて」
「初めてかもね」
最強メンタル計画ちゃんは、その一行をしばらく見ていた。
それから、ノートを閉じて、マフラーをたたんで、枕元に置いた。
数日後、部屋の棚に、小さな写真立てが増えた。
夕方のグラウンド脇。雪の残る芝生。一本のマフラーに包まれて、寄りかかり合って眠る二人。
最初に気づいたのは、最強メンタル計画ちゃんだった。
「……これ」
「記録」
赤ペン先生は、本から目を上げずに言った。
「記録は、台帳」
「これは部屋用の記録」
「部屋用の記録」
「そういうのもあるの」
最強メンタル計画ちゃんは、写真立てを手に取って、しばらく見ていた。
マフラーの中の二人は、自分で見ても、あたたかそうだった。
「……いい写真」
「でしょ」
「後輩ちゃんにも、見せていい?」
「いいけど、騒ぐよ」
後輩ちゃんは、騒いだ。次に部屋へ来た時、写真立ての前から三十分動かなかった。「私と先輩が飾られてる……!」と言い、「同じものを私の部屋にもください!」と言い、赤ペン先生に「データはあげるけど落ち着いて」と言われた。
写真立ては、棚のいちばん見えるところに置かれた。
窓の外は、今日も冷えていた。明日も寒いらしい。
でも、首は、あったかい。
部屋も、少しあったかくなった。
トレセン学園スレ
【目撃】雪の上で二人がマフラーに包まれて眠ってた件【尊いが過ぎる】
レス 1〜50
夕方、グラウンド脇通った子いる?
見た
見た?
見た。例の子と後輩ちゃんが、一本のマフラーに包まって雪の上で寝てた
は?
天使の絵画だった
状況を説明して
例の子の新作ロングマフラー(申請済み・安全確認済み)→寒そうな後輩ちゃんを見て「ロングだから」と一緒に包んだ→二人分の体温でふわさらが本気を出した→「お互い包まれてるみたい」→仲良くおやすみ
情報量で落ちそう
「ロングだから」じゃないんだよ
でもあの子の中では完全に筋が通ってるんだよな。長い→二人入れる→寒い子がいる→入れる
善意の三段論法
V5の「使うのは本人・一人ずつ」って条件、こうなることを防いでたのか
たづなさんの条件には全部意味がある
今回も台帳に条件追加されたらしい。「二人で包まらないこと」
条件の字面がもう尊い
台帳に書かれる「二人で包まらないこと」、後世の人が読んだら何の規則か分からないだろ
読んだ人がここに来て経緯を知って尊さで落ちるまでがセット
赤ペン先生は?
第一発見者。毛布を二枚かけて、起こさず、たづなさんに「平和な事故です」って報告したらしい
平和な事故
このシリーズにしか存在しない事故区分
写真は
「記録だから」って言って撮ったらしい
記録
公式記録(私物)
台帳には添付されてないらしいから完全に私物
赤ペン先生のフォルダにだけ存在する国宝
公開はされないんだろうな……それでいい……それでいいんだ……
起きた後輩ちゃん、「もう一回」って言いかけて秒で止められたって
後輩ちゃんはそう
そうなんだよな
ところでマフラー自体は没収されてないの?
されてない。条件守れば普通に良い防寒具だから
たづなさん「これを没収と書くのは台帳が少しかわいそう」って言ったらしい
たづなさん……
台帳に情があるの、長年の付き合いを感じる
今回、誰も悪くないし誰も怪我してないし、ただただ平和だった
先週は自分の手を見て落ちる子が続出してたのに
振れ幅
この冬、まだ始まったばかりという事実
やめろ
でも今日のは本当にきれいな事故だったから
きれいな事故、いい言葉
でも台帳には載った
載ったんだよなあ
きれいでも事故は事故
それがあの子たちの冬
おやすみ二人とも
今夜はあったかく寝られそうだね