3話・最強あったかスライム
寒波が来た。
夜のトレセン学園の寮は、廊下に出るだけで覚悟がいる温度になった。お風呂上がりの子たちは廊下を小走りで戻り、毛布は一人二枚が標準になり、夜の談話室は暖房の前だけ人口密度が上がった。
そして、足が冷たくて眠れない、という相談が増えた。
「ねえ、足が冷たくて眠れないんだけど」
言ったのは、同じクラスの子だった。夕食のあとの談話室で、靴下を二枚重ねた足をさすっていた。
「湯たんぽは」
「使ってる。でも朝方には冷めてて、冷めたお湯の入れ物が布団の中にあるの、ちょっと切なくない?」
「切ない」
「あと、硬い。抱きにくい」
最強メンタル計画ちゃんは、少し考えた。
冷めない。やわらかい。抱ける。
自分も、足は冷たい方だった。冷たい足のまま布団に入ると、眠るまでが長い。眠るまでが長いと、考えごとが増える。考えごとが増えるのは、メンタルによくない。
ノートを開いた。
最強あったかスライム
やわらかい
さめにくい
抱ける
よく眠れる
書いてから、隣の部屋へ戻って、ノートを差し出した。
「相談」
赤ペン先生は、お風呂上がりの髪を拭きながらページを読んだ。
「あったかいスライム」
「ん」
「スライムって、あのスライム? 学園祭の?」
「あれの、作り方を使う。あのスライムは、よく伸びて、形が安定してた。中に、あったかさを保つ層を入れられると思う」
「思う、が出た」
「入れられる。試した配合のメモがある」
「メモがあるんだ……」
赤ペン先生は、タオルを置いた。
学園祭のスライムのことは、覚えている。市販のキットから、なぜか異常な品質のものが生まれて、企業の担当者が笑顔のまま固まっていた。あのスライムは結局、何も悪さをしなかった。学園の台帳にも載っていない。ただ「謎に良い」だけのものだった。
「色は」
「水色」
「水色かあ」
「水色は、だめ?」
「だめじゃないけど、一回確認するね。その水色、どこから来てるの」
「スライムの、いちばんきれいな色。学園祭のときの色」
「空の色とかでは、なく?」
「きれいな色」
嘘ではなさそうだった。本人の中で、あのスライムの水色は「きれい」とだけ分類されている。赤ペン先生は、その先を考えた。水色。透明感。冬。湯たんぽ。
危険要素は——思いつかなかった。光らない。鳴らない。匂わない。映像でも音声でもない。ただの保温スライム。
「分かった。たづなさんに申請して、通ったら作ろう。試すのは部屋で。配るのは確認のあと」
「ん」
申請は通った。
たづなさんは、申請書の品名欄を二度読んだ。
「保温スライム、ですか」
「はい。湯たんぽの、やわらかいのです」
「学園祭のスライムの応用ということですが、あのスライムは結局、何だったんですか」
「スライムです」
「……そうですね。スライムでした」
たづなさんは、それ以上の追及をあきらめた。企業の研究員が三ヶ月考えて分からなかったものが、申請面談で分かるはずもなかった。
「成分一覧に問題はありません。保温温度の上限は、低温やけどのない範囲で」
「ぬるめにします。おふろの、ぬるいほうくらい」
「結構です。完成したら見せてください」
製作は、週末の調理室で行われた。赤ペン先生立ち会い。
ベースのスライムを作る。市販キットの材料。手順どおり。なのに、最強メンタル計画ちゃんの手の中で、それは今回も異常な透明度に仕上がった。気泡がない。むらがない。光が透ける。
「相変わらず、なんでこうなるの」
「ていねいに、混ぜてる」
「私もていねいに混ぜたことあるけど、こうはならなかったよ」
「もっと、ていねい」
「説明になってない」
そこに、保温層を仕込む。じんわりあたたかさを保つ仕組みを、スライムの中心に閉じ込める。お湯で温めると、数時間、ぬるめのあたたかさが続く設計だった。
できあがったのは、両手で抱えるくらいの、水色の、まるいスライムだった。
ぷにぷにしていた。ひんやりではなく、ほんのりあたたかい。抱えると、体になじむ形に少しつぶれて、おさまりがいい。
「……あ、これはだめなやつだ」
赤ペン先生が、抱えた瞬間に言った。
「だめ?」
「だめというか、良すぎる。これ、抱いたまま動けなくなるやつ。布団でこれ抱いたら、絶対に朝起きられない」
「よく眠れる」
「よく眠れるけど、起きられない」
「冬は、それでいい」
「学生はそれじゃだめなんだよ」
とはいえ、それは「気持ちよすぎる」という種類の問題だった。危険ではない。湯たんぽとして優秀すぎるだけ。
本人試用、一晩。異常なし。よく眠れた。起床は、いつもより十五分遅かった。
赤ペン先生試用、一晩。異常なし。よく眠れた。起床は、いつもより二十分遅かった。悔しそうだった。
たづなさんの確認も通った。
「良い保温具ですね」
台帳には、そう書かれた。配布条件:希望者のみ。一人一個。温めはぬるめのお湯で。
ここまで、全部正しかった。
配布初日の夜、寮の数部屋に、水色のスライムが渡った。
最初の夜は、平和だった。
受け取った子たちは、布団の中でスライムを抱いて、あたたかくて、やわらかくて、すぐに眠った。翌朝、全員が「よく眠れた」と報告した。全員、起床は少し遅かった。
二日目の夜も、平和だった。
事故は、三日目の夜に起きた。
その子は、眠る前に、布団の中でスライムを抱いたまま、少しだけスマホを見ていた。それから、スマホを置いて、暗い部屋の中で、なんとなく腕の中のスライムを見た。
部屋は暗い。豆電球だけ。
スライムは、抱かれて、体温であたたまっていた。
そして——設計では、何も起きないはずだった。保温層はただの保温層で、色は水色のままのはずだった。
でも、体温は一定ではない。抱き方で、触れる場所で、布団の中の空気で、スライムの中にゆっくりとした温度の流れができる。
対流だった。
異常な透明度のスライムの中で、あたたかい部分とぬるい部分が、ゆっくり、ゆっくり、入れ替わる。
その流れに沿って、水色が、動いた。
青が、深くなる。
深くなった青が、白っぽく明ける。
明けた色の端が、ほんのり紫がかる。
そして、また青に戻る。
ゆっくり。なめらかに。豆電球のかすかな光の中で、内側から。
その子は、暗い部屋で、腕の中のそれを見つめていた。
「……色、動いてる……」
きれい、と思った。最初は、それだけだった。
青。白。紫。青。
ゆっくり巡る色の流れは、しかし、どこかで見たことがあった。
暗い空間。色が呼吸するように変わる。青から白、白から紫——それは、配信のライブパートで、曲に合わせて画面の照明が変わっていく、あの色の順番に、似ていた。
いや、似ているどころではなかった。
その子の頭の中で、何かが勝手に再生を始めた。
「……え、待って……この色の変わり方……」
青はオープニング。白はサビ前の溜め。紫は——あの曲の、あの瞬間。
「……曲が、聞こえる……」
聞こえるはずがなかった。スライムは無音だった。部屋は静かだった。
でも、色の順番が完璧だった。完璧な順番で色が巡ると、ウマ娘の頭は、足りない音を勝手に補ってしまう。
その子は、スライムを抱きしめたまま、暗い部屋でライブを観ていた。
誰も歌っていないライブを。
そして、抱きしめているから、体温で対流は続く。色は巡り続ける。曲は、終わらない。
アンコールが、自動で続く。
翌朝、その子は布団の中で発見された。スライムを抱きしめたまま、この上なく幸せな顔で眠っていた。声をかけても起きなかった。スライムを引き離した瞬間、すっと普通の眠りに変わって、昼前に自然に目を覚ました。
第一声は「最前列だった……」だった。
報告を受けた赤ペン先生は、配布先の部屋を回った。
同じ夜、もう二人、似た状態になっていたことが分かった。一人は「色を見てたら音が聞こえた」と言い、もう一人は「途中までは耐えたが、紫が来たところで記憶がない」と言った。
「紫が来たところで、って何」
「赤ペン先生、紫はだめです。紫は、あの曲なんです」
「どの曲。いや、言わなくていい。絶対言わないで」
赤ペン先生は、配布済みのスライムを一時回収して回った。回収中、スライムは全部ただの水色だった。冷えているからだ。抱かれていないスライムは、対流しない。対流しなければ、色は動かない。
「……つまり、抱くと始まるのか」
部屋に戻って、検証した。
回収したスライムを一つ、お湯でぬるめに温め、毛布にくるんで、しばらく置く。それから毛布を開けて、部屋を暗くして、観察した。横からは最強メンタル計画ちゃんが覗き込んでいる。
温度差が落ち着いているうちは、何も起きない。
そこに、最強メンタル計画ちゃんが手のひらを当てた。一箇所だけ、体温が伝わる。
スライムの中で、ゆっくり、流れが生まれた。
青が、動いた。
「ほら来た」
赤ペン先生は、すぐに視線を外した。色の順番を目で追ってはいけない。三人の証言から、それだけは分かっていた。
最強メンタル計画ちゃんは、見ていた。
「……きれい」
「見ない」
「青から、白……」
「見ないってば」
「きれい……」
声がふわっとし始めたところで、赤ペン先生はスライムに毛布をかぶせた。色が見えなくなる。最強メンタル計画ちゃんが、われに返った。
「……今、少し、聞こえかけた」
「何が」
「……曲」
「無音だからね、これ」
「無音なのに」
「無音なのに、なんだよ」
赤ペン先生は、毛布の上からスライムを見た。
成分は安全。温度はぬるめ。光らない。鳴らない。匂わない。申請の項目は、全部クリアしている。
でも、「体温で対流が起きて色が巡る」なんて、誰が申請書に書けるのか。そして、色の巡る順番が「あの照明」になるなんて、誰が事前に分かるのか。
「……またこれだ。書類の外から来た」
たづなさんの処理は、早かった。
配布分は全回収。残りの在庫も回収。本人手持ちの一個も回収。
管理室の机に、水色のスライムが並んだ。全部、冷えて、静かで、ただきれいなだけの水色だった。
「現象を確認します」
たづなさんは、一つを温め、毛布で包み、手を当て、部屋を暗くした。
赤ペン先生は止めようとした。
「たづなさん、見ない方が」
「確認は業務です。それに、単体の連想には、多少の耐性があります」
たづなさんは、スライムの中で巡り始めた色を、三十秒、無表情で観察した。
青。白。紫。青。
それから、静かに毛布をかぶせた。
「……なるほど。これは、照明ですね」
「分かるんですか」
「分かります。分かった上で、止まれるかどうかの問題です」
たづなさんの耳が、ほんのわずかに動いていた。三十秒は、たづなさんにとっても、ぎりぎりの長さだったのかもしれない。誰もそこには触れなかった。
台帳が開かれた。
たづなさんは、処理方法の欄で、少しだけペンを止めた。
燃やすものではない。捨てるものでもない。成分は安全で、冷えていれば完全に無害で、しかも保温具としての性能は本物だった。
問題は、あたたまると始まることだけ。
たづなさんは、書いた。
最強あったかスライム:全回収。
冷蔵保管とする。
保温状態での保管・使用を禁止する。
新区分:保温封印(温めると概念が再開するため、冷やして停止させるもの)
「保温封印……」
赤ペン先生が、その四文字を読んだ。
「冷蔵庫、ですか」
「食品用とは別の保管庫を使います。ラベルも貼ります」
かくして、管理室の冷蔵保管庫に、水色のスライムが並んだ。
扉には、ラベルが貼られた。
保温封印物。
温めないでください。
抱かないでください。
色が動いたら、すぐ冷やしてください。
史上初の、冷やすことで封印が成立する封印物だった。
研究所板が後日この件を知って「温度依存性の概念活性」について考察を始め、三時間後に「寝ろ」で終わった。
夜、寮の部屋。
ノートに、赤が入った。
最強あったかスライム
やわらかい ○
さめにくい ○
抱ける ○
よく眠れる ○のち×
赤ペン先生は、最後の行の横に書き足した。
眠れたのは事実。
ただし、眠りの内容がライブだった。
「全部、丸だった」
最強メンタル計画ちゃんが言った。
「丸だったね。途中までは」
「色は、項目になかった」
「なかった。色が動くなんて、誰も思わないから」
「対流」
「あ、その言葉は知ってるんだ」
「いま、たづなさんの書類で読んだ」
「読んだだけにしておいて。あなたが使うと、次の計画の語彙になるから」
「ん」
最強メンタル計画ちゃんは、ノートを見た。
今回も、相談した。申請も通った。試用もした。三日間は、何も起きなかった。
それでも、起きた。
「……むずかしい」
「うん。難しい」
「どこまで確認したら、起きないんだろう」
赤ペン先生は、少し考えた。
その問いに、正しい答えはなかった。確認の項目を増やしても、事故は毎回、項目と項目の隙間から来る。それはたぶん、この子の作るものが悪いのではなくて——この学園のウマ娘たちの頭の中に、いつでも再生できる「あの人」が住んでいるからだった。
「……たぶん、全部は無理。だから、起きたあとに、ちゃんと止まれるようにしておくんだと思う。今回も、誰も怪我してないでしょ」
「してない」
「冷やせば止まるって、すぐ分かったでしょ」
「分かった」
「それでいいんだと思う、当面は」
「当面」
「当面ね。一生とは言ってない」
最強メンタル計画ちゃんは、こくりと頷いた。
それから、布団に入った。足元には、回収を免れた普通の湯たんぽ。硬くて、朝には冷めている、ただの湯たんぽだった。
「……硬い」
「我慢して」
「冷める」
「それが湯たんぽなの」
「……スライムは、あったかかった」
「あったかかったけど、冷蔵庫の中だから」
「冷蔵庫の中」
「春まで、あそこにいるから」
最強メンタル計画ちゃんは、少しの間、黙った。
それから、小さく言った。
「……冷蔵庫、あったかくならないといい」
「ならないよ。冷蔵庫だから」
「ん」
電気を消した。
管理室の冷蔵保管庫の中で、水色のスライムたちは、静かに冷えていた。
色は、動いていない。
今は。
トレセン学園スレ
【公演】抱くと終わらないライブが始まる【終了条件:冷蔵】
レス 1〜50
寮で配られたあの水色スライム持ってる子、今すぐ抱くのをやめて
もう回収された
何があったの
抱いて温めると中で色が動き出す
色が動く?
体温で対流が起きて、青→白→紫→青って巡るらしい
その順番はだめだろ
気づいたか
気づきたくなかった。その順番、あれじゃん。あの照明じゃん
被弾した子「曲が、聞こえる」って言ったらしい
無音だよね?
完全に無音。でも色の順番が完璧だと脳が音を補完する
補完するな
するなと言われてできたら誰も苦労しない
しかも抱いてる限り体温で対流が続くから、ライブが終わらない
無限アンコール
やめろ
起きた子の第一声「最前列だった……」
夢の中で最前列取るな
むしろ全員最前列なんだよ、自分の布団だから
全席最前列の会場、怖すぎる
「紫が来たところで記憶がない」って証言もあった
紫はだめ。紫はあの曲
曲名を言うな。ここで被弾者を出すな
処理はどうなったの
全回収して冷蔵保管。「保温封印」っていう新区分ができた
保温封印
冷やしてる限り安全、温めると概念が再開する
封印の概念が新しい
管理室の冷蔵庫に「抱かないでください」って貼ってあるらしい
冷蔵庫の注意書きに「抱かないでください」が必要な学園、ここだけだと思う
ちなみにたづなさんは確認のため三十秒直視して耐えたらしい
さすが
でも耳は動いてたって
たづなさんも完全無効じゃないんだよな
単体ならぎりぎり耐える。それがたづなさん
単体なら、ってことは
その先を言うな
言わないけど、冬はまだ長い
やめろ
保温具としては最高だったらしいのが惜しい
三日間は本当にただの神保温具だった
「よく眠れる」は達成してるんだよな。眠りの内容がライブだっただけで
赤ペン先生の赤字「眠れたのは事実。ただし、眠りの内容がライブだった」
名言集追加
クリーム、マフラー、スライム。今月三つ目
ペース上がってない?
冬だから。冬は困りごとが多いから
困りごとの数だけ何かが生まれる
それがあの子の冬
レス 51〜100
冷蔵庫が静かでありますように
見てる