4話・最強お花お世話セット
その朝、特定管理植物区画に、霜が降りた。
花壇の縁の木枠が白くなり、立て札の字が少しだけ読みにくくなった。
無断接近禁止。水やりは二人一組。踊り出した場合は距離を取る。
札の向こうで、三輪の花は、寒さのせいか、いつもより静かに咲いていた。揺れる回数が減っていた。キレのよかった回転も、最近は見ていない。
それを、登校途中の最強メンタル計画ちゃんと後輩ちゃんが、規定の距離から見ていた。
「先輩、お花、元気がない気がします」
「ん」
「寒いんでしょうか」
「寒いと思う。土も、冷たくなってる」
「分かるんですか」
「霜が降りてる。霜が降りる土は、冷たい」
後輩ちゃんは、花壇を見た。三輪の花は、ぴくりとも踊らずに、ただ寒そうに並んでいた。
夏の終わりに住み着いて、秋にはあんなに元気だった花たちだった。水やりのたびにサービスダンスをして(それで何人も沈めて)、台帳に何行も書かせて、立て札を一枚増やさせた、あの花たちだった。
「……冬を、越せるんでしょうか」
後輩ちゃんの声が、少し小さくなった。
最強メンタル計画ちゃんは、花壇を見たまま、しばらく黙っていた。
あの花は、自分の捨てた液体から生まれた。正確には、生まれてしまった。危険物で、封印対象で、特定管理植物区画の主で——でも、住み着いたのは花の意思だった。あの土を選んだのも、花だった。
せっかく住み着いたのに、冬で枯れるのは。
「……なんとなく、いや」
「私もです」
二人の意見は、一致した。
その日の放課後、ノートが開かれた。
今回は、二冊だった。最強メンタル計画ちゃんのノートと、後輩ちゃんの最強引き継ぎ計画ノート。机に並べて、二人で覗き込む。
最強お花お世話セット
お花が、冬を越せるように
ルールは、全部守る
「ルールは全部守る、を最初に書いたんですね」
「あの区画は、ルールが多いから。先に書いておく」
「えらいです!」
横で赤ペン先生が、わざとらしくないくらいの自然さで、二冊のノートの間に椅子を寄せた。
「で、何を作るの」
「お世話セット。三つ」
最強メンタル計画ちゃんは、ページに書いていった。
一、防寒カバー(夜、寒くないように)
二、遠くから水やりできる道具(近づかないため)
三、観察記録ノート(様子を書く。毎日)
赤ペン先生は、三項目を読んだ。
読み返した。
……まともだった。
防寒カバーは、園芸の世界に普通にあるものだ。遠隔の水やり道具は、むしろ接近禁止ルールを守るための工夫だった。観察記録は、たづなさんの「経過観察」に協力するものですらある。
「変な要素は」
「ない。布と、棒と、じょうろと、ノート。光らない。鳴らない。匂わない。混ぜない」
「カバーの布は」
「普通の園芸用。ふわさらにはしない」
「分かってるんだ」
「ふわさらにすると、お花が出てこなくなる気がする」
「理由がちょっと面白いけど、結論は正しいからいいよ」
後輩ちゃんが手を挙げた。
「私は観察記録を担当します! 毎日見て、書きます!」
「見るのは規定の距離から、一日五分まで、だよ」
「分かってます! 見続けない! 札に書いてあります!」
申請は、二人連名で出された。
たづなさんは、申請書を読んで、それから二人の顔を見た。
「特定管理植物区画の、冬支度ですか」
「はい。お花が寒そうなので」
「寒そう、ですか」
「霜が降りました。揺れる回数が減っています」
たづなさんは、少し考えた。
実のところ、管理側でも冬の扱いは検討中だった。枯れるなら枯れるで自然の摂理だが、あの花が「枯れかけ」という状態でどんな挙動をするのか、誰にも予想がつかなかった。弱った花が最後の力でどんなダンスをするのか、考えたくもなかった。
健康に冬を越してもらうのが、実は管理側にとっても一番安全だった。
「分かりました。条件付きで許可します」
たづなさんは、条件を書き出した。
設置作業は職員立ち会いのもとで行う。カバーの開閉は管理側が行う。水やりは従来どおり二人一組、規定の距離から。観察は一日五分まで。記録の写しを週に一度、管理室へ。
「全部、守ります」
「守ります!」
二人の返事は、揃っていた。
設置の日は、よく晴れた。
防寒カバーは、花壇をやわらかく覆う、小さなビニールハウスのような形になった。布と透明シートの二重構造で、昼は光を通し、夜は冷気を防ぐ。設計したのは最強メンタル計画ちゃんで、縫ったのは二人で、立てたのは職員さんだった。規定の距離があるので、本人たちは設営に触れていない。指示だけ出した。
遠隔水やり装置は、長い柄の先にじょうろの口がついた、単純な道具だった。規定の距離から、柄を伸ばして、水を注ぐ。電気も使わない。ただ長いだけ。
「長いだけの道具って、いいね」
赤ペン先生が、見学しながら言った。
「長いだけは、安全」
「マフラーの時も長いだけって言ってなかった?」
「……あれは、長くて、ふわさらだった。これは、長いだけ」
「その区別ができてるなら、いいよ」
カバーが完成したとき、花壇の三輪は、透明シートの向こうで、ひさしぶりに小さく揺れた。
ぱた、と一回。
後輩ちゃんが、規定の距離で、ぐっと拳を握った。
「揺れました! 喜んでます!」
「喜んでるかは分からないけど、まあ、嫌がってはいなさそうですね」
立ち会いの職員さんも、少しほっとした顔をした。
その日の観察記録、一行目。
一日目。カバー完成。お花、一回揺れた。たぶん嬉しい。(後輩ちゃん)
それからの二週間は、本当に、何も起きなかった。
毎朝、後輩ちゃんが規定の距離から五分だけ観察し、記録をつけた。水やりは二人一組で、長いだけの道具で行われた。カバーの中の温度はちょうどよく保たれ、花たちは目に見えて元気を取り戻した。
揺れる回数が、戻った。
それどころか、増えた。
五日目。三回揺れた。元気。(後輩ちゃん)
八日目。水やりのとき、くるって回った。キレが戻ってきた。すごい。(後輩ちゃん)
十一日目。ずっと揺れてる日があった。楽しそう。カバーの中、あったかいんだと思います。(後輩ちゃん)
十四日目。今日も元気。冬なのに、秋より元気かもしれない。お世話セットのおかげ!(後輩ちゃん)
週に一度の写しを受け取るたづなさんは、十四日目の記録で、ほんの少しだけペンを止めた。
冬なのに、秋より元気。
よいことの、はずだった。植物が冬を越せるのは、よいことだ。
ただ、あの花は、普通の植物ではない。
たづなさんは、記録の写しを綴じて、観察ファイルの背表紙を見た。「特定管理植物区画・経過観察」。経過は、良好。良好すぎるくらいに、良好。
何も問題は起きていない。
起きていないことを、なぜか一度、確認したくなった。それが管理者の勘というものだった。
最初の目撃は、満月に近い夜だった。
寮の二階の窓から、ある子が、なんとなく中庭を見下ろした。消灯前の、歯磨きの時間だった。
中庭には、雪が薄く積もっていた。月の光で、雪は青白く光っていた。
その雪の上に——影が、あった。
ゆらり。
ゆら、ゆら。
くるり。
防寒カバーは、布と透明シートの二重構造だった。夜は布の面が下りる。でも、月の光がちょうどいい角度で差すと、カバーの中の様子が、影絵のように、雪の上へ映った。
カバーの中で、花たちは踊っていた。
夜中、誰も見ていないところで、あたたかいカバーの中で、月明かりをスポットライトにして。
雪の上の影は、伸びたり、縮んだり、揺れたり、回ったりした。三つの影は、ばらばらのようで、ときどき、ぴたりと揃った。
窓辺の子は、歯ブラシをくわえたまま、それを見ていた。
「……なに、あれ」
怖い、が最初に来た。夜の校庭で、誰もいないのに、何かが踊っている。普通なら怪談だった。
でも、見ているうちに、影の動きの「ため」と「跳ね」が、目に馴染み始めた。
揃った三つの影が、いっせいに、くるりと回った。
その回り方は——あのステージの、あの振り付けの、あの瞬間に。
「…………あ」
その子は、歯ブラシをくわえたまま、窓辺にゆっくりとしゃがみ込んだ。最後まで影から目を離さなかったのが、敗因だった。
ルームメイトが異変に気づいたとき、その子は窓の下で幸せそうに座り込んでいて、口の端から歯磨き粉の泡が少し垂れていた。
翌日には、話が広まっていた。
夜の花壇で、何かが踊っている。
見た子は、幸せそうに座り込む。
新七不思議の登録は、早かった。学園祭の七不思議が定員を超えた前例があるので、枠の心配はもう誰もしなかった。
その晩、二階の窓には、わざわざ見に来た子が数人並んだ。
「見るなって言われてるのに、なんで並ぶの」
赤ペン先生が駆けつけたときには、窓辺に二人座り込んでいた。二人とも幸せそうだった。
「だって、影ですよ? 本体じゃなくて影なら、安全かなって」
「シルエットが一番危ないんだよ! 歴史で習ったでしょ! 布をかけた旧V4で何人落ちたか!」
「習ってないです、それ歴史の授業じゃないです」
「この学園では一般教養!」
窓には、その夜のうちにカーテンが引かれた。
対策会議は、管理室で行われた。
出席者は、たづなさん、赤ペン先生、最強メンタル計画ちゃん、後輩ちゃん。机の上には、観察記録と、現場の見取り図。
「整理します」
たづなさんが言った。
「お世話セットに、問題はありません。カバーは正しく機能しています。水やりも、観察も、条件どおりです」
「はい」
「花が元気になったのも、想定どおりです。むしろ管理上、望ましいことです」
「はい」
「問題は、元気になった花が、夜中、カバーの中で踊り続けることと」
たづなさんは、見取り図の、月の角度を示した線を指でなぞった。
「月光の角度によって、その影が、雪面に投影されることです」
しばらく、誰も何も言わなかった。
誰のせいでもなかった。カバーは正しい。花は元気。月は、昔からあそこにある。雪は、降るものだった。
「……月は、止められません」
たづなさんが、ため息と一緒に言った。この人がこういう言い方をするのは、相当のことだった。
「カバーの夜用の布を、遮光にします」
赤ペン先生が言った。「光を通さなければ、影は出ません」
「それが現実的ですね。設計の変更はできますか」
「できる」
最強メンタル計画ちゃんが、即答した。
「遮光の布を、夜の面に足す。昼は今のまま。お花のあたたかさは、変わらない」
「では、そのように」
会議は、十五分で終わった。
対策も、正しかった。遮光布は三日で完成し、職員さんの手で取り付けられ、雪の上の影は、出なくなった。
七不思議は「夜の花壇で何かが踊っていた(現在は対策済み)」という、過去形の不思議になった。過去形になっても登録は抹消されないのが、七不思議の仕様だった。
全部が、正しく終わった。
はずだった。
数日後の朝、観察記録をつけていた後輩ちゃんが、規定の距離から、ふと気づいた。
「……先輩、あれ」
「ん?」
「花壇の端っこ。土のところ」
最強メンタル計画ちゃんは、規定の距離から、目を凝らした。
花壇の端、三輪から少し離れた場所の土が、ほんの少し、盛り上がっていた。
一箇所ではなかった。二箇所。三箇所。よく見ると、もっと。
小さな、小さな、緑色の先端が、冬の土から顔を出していた。
「……芽」
「芽、ですよね! 新しい芽です!」
後輩ちゃんの声が弾んだ。
「すごいです! 元気になりすぎて、増えてます! お世話セット、大成功じゃないですか!」
後輩ちゃんは、その日の観察記録に、大きめの字で書いた。
十九日目。芽が出た! 数えたら、七つ!
お花が冬を越すどころか、家族が増えました。
来年の春が楽しみです!(後輩ちゃん)
その記録の写しは、週末に管理室へ届いた。
たづなさんは、写しを読んだ。
七つ。
しばらく、その数字を見ていた。
それから、観察ファイルに写しを綴じ、表紙の管理項目に、一行書き足した。
特定管理植物区画:株数、増加傾向。来春の開花数:観察中。
台帳ではなく、観察ファイルだった。まだ、台帳に書くようなことは、何も起きていない。芽が出ただけだ。植物なのだから、芽くらい出る。
たづなさんは、ファイルを棚に戻した。
戻してから、もう一度、棚のファイルの背表紙を見た。
何も起きていない。
今年の冬は、あの区画では、まだ何も。
夜、寮の部屋。
最強メンタル計画ちゃんのノートには、丸が並んでいた。
最強お花お世話セット
防寒カバー ○
遠くから水やり ○
観察記録 ○
お花、元気 ○
芽、七つ ○
赤ペン先生は、赤ペンを持って、そのページを上から下まで、二回読んだ。
赤を入れる場所が、なかった。
マフラーの時と同じだった。いや、あの時よりも、もっとなかった。今回は事故すら起きていない。影の件は、月と雪と満月の角度のせいで、誰の落ち度でもない。対策も即日だった。被弾者は窓辺の数人で、全員、自分から見に行った子たちだった。
全部、正しかった。
赤ペン先生は、赤ペンを置いた。
置いてから、もう一度、最後の行を見た。
芽、七つ。
「……ねえ」
「ん」
「芽が七つって、多くない?」
「多い、と思う。元のお花は、三輪だから」
「三輪から、七つ」
「土がいいから」
「その土、何の土だっけ」
「……普通の、花壇の土」
「普通の花壇の土に、雪が溶けて流れ込んだりとか」
「雪は、降ったら溶ける」
「そうだよね。降ったら溶けるよね」
会話は、そこで終わった。
どこにも、おかしいところはなかった。雪は降ったら溶ける。土に染みる。花壇の土は、いい土。芽は、出る。植物だから。
赤ペン先生は、布団に入ってから、天井を見た。
今回、赤ペンは一度も使わなかった。直すところが、本当に一つもなかった。相談も、申請も、条件も、対策も、全部が正しく回った。理想的な冬のお世話だった。
なのに。
目を閉じると、雪の上で揃って回る三つの影と、冬の土から顔を出した七つの緑の先端が、交互に浮かんだ。
全部正しかったのに、なんだろう、この感じ。
春が来るのが、少しだけ、怖い。
隣のベッドでは、最強メンタル計画ちゃんが、もう眠っていた。穏やかな寝息だった。枕元のノートには、丸が五つ、並んだままだった。
トレセン学園スレ
【新七不思議】夜の花壇で何かが踊っている【見に行くな】
レス 1〜50
昨日の夜、中庭見た子いる?
この時点で嫌な予感がする
雪の上で影が踊ってた
影が踊る
主語がないのが一番怖いんだよ。何の影?
例の区画の、例の花。防寒カバーの中で夜中も踊ってて、月明かりで影だけ雪に映ってた
状況は分かった。分かったけど怪談すぎる
第一発見者、歯磨き中に窓から見て、泡吹いて座り込んでたらしい
泡吹くな
歯磨き粉だから。歯磨き粉の泡だから
影だけで落ちるの?本体見てないのに?
シルエットは一番危ないって、この学園の歴史が証明してる
旧V4(布あり)の話やめろ
三つの影がときどきぴたっと揃って回るらしい
揃うな
フォーメーション組むな
誰に教わったんだそれ
誰にも教わってないのが答えなんだよなあ
で、対策は
カバーの夜面が遮光布になった。即日対応。もう影は出ない
仕事が早い
ちなみにお世話セット自体は完全に正しかったらしい。申請も条件も観察も全部規定どおり
今回、誰が悪いの?
月
月!?
たづなさんが「月は止められません」って言ったらしい
たづなさんに月を諦めさせるな
月と雪と満月の角度のせいだから、ほんとに誰も悪くない
誰も悪くないのに七不思議が増えるの、この学園の通常運転
ところで観察記録によると花、めちゃくちゃ元気らしいな
冬なのに秋より元気って書いてあったって
それは……いいこと?
いいことのはず
いいことのはず、で止まるのなんで
あと芽が出たらしい
芽?
新しい芽。七つ
七つ!?
三輪から七つ増えるの、計算が合わなくない?
植物の繁殖に計算もなにもないだろ
普通の植物ならね
やめろ
後輩ちゃんの記録「家族が増えました。来年の春が楽しみです!」
後輩ちゃんの記録はいつも前向きで読んでて元気が出る
元気が出るんだけど、内容を冷静に読むと毎回ちょっと怖いんだよな
「家族が増えました」、文脈がなければ心温まる一文
文脈があると?
来春、踊る花が十輪になる
やめろ
でも今回、事故らしい事故は起きてないんだよな。窓辺の子たちも自分から見に行ったし
レス 51〜100
そうなんだよ。全部正しくて、誰も悪くなくて、何も起きてない
何も起きてないのが一番落ち着かないの、もう職業病だと思う
春まで何もありませんように
春に何かあるみたいな言い方やめろ
観察中
見てる