学園側・プチ学祭のお化け屋敷
先輩たちが、無人島合宿へ出発した。
合宿の残り期間。
無人島での研修中、生徒のスマホは回収されるらしい。緊急連絡は、トレーナーさんたちが持つ専用端末だけ。
つまり、その間、先輩とは連絡が取れない。
そう聞いた時、私は少しだけ固まった。
合宿が始まってからの一週間と少しは、夜に連絡できていた。
先輩が今日何をしたのか。
海の家のカレーがとても美味しかったこと。
ウォータースライダーが怖かったこと。
星が綺麗だったこと。
商店街の喫茶店で、優しい飲み物を作ったこと。
先輩の声を聞くと、胸の奥がぽかぽかした。
私も頑張ろうと思えた。
でも、これからしばらくは、それができない。
寂しくない、と言えば嘘になる。
けれど、私は机の上に置いたノートを見た。
先輩からもらったノート。
最強引き継ぎ計画。
私はそれを両手で抱き寄せる。
「……大丈夫です」
先輩も、無人島で頑張っている。
赤ペン先生さんも一緒にいる。
なら、私もここでできることを頑張ればいい。
そう思った、その翌日。
教室で、担任の先生が手を叩いた。
「えー、皆さん。合宿組がしばらく不在の間、一年生は学園内でプチ学祭を行います」
プチ学祭。
本学祭とは別の、一年生向けの小さな交流イベント。
クラスごとに簡単な出し物を作って、他のクラスの子たちと交流する。
大きな模擬店や外部公開はない。
でも、入学して数か月の一年生にとっては、同級生と仲良くなるための大事なイベントらしい。
教室が少しざわついた。
「出し物どうする?」
「食べ物は無理だよね?」
「展示とか?」
「ゲーム系?」
「せっかくだから、ちょっと楽しいのがいいな」
私は席で話を聞いていた。
楽しそうだな、と思った。
すると、先生が黒板の前で言った。
「それで、クラス代表を決めたいのですが……」
何人かが顔を見合わせる。
その直後、隣の席の子が手を上げた。
「後輩ちゃんがいいと思います」
「えっ」
思わず変な声が出た。
すると、周りからも次々に声が上がる。
「いいと思う」
「真面目だし」
「人の話ちゃんと聞いてくれるし」
「最近すごく頑張ってるよね」
「代表っていうか、まとめ役向いてそう」
「え、えっと、私ですか……?」
私は慌てて手を振った。
「私、そういうの、あまり……」
「大丈夫だよ」
「一人で全部やるわけじゃないし」
「みんなで手伝うから」
「後輩ちゃん、いい子だし」
いい子。
その言葉に、少しだけ頬が熱くなった。
私がいい子なのかはわからない。
でも、みんながそう言ってくれるのは嬉しかった。
それに、先輩がいない間に、私も何かを頑張りたいと思っていた。
先輩に相談はできない。
でも、だからこそ、自分で考えなければいけない。
私は膝の上で拳を握った。
「……わかりました。私でよければ、頑張ります」
教室に小さな拍手が起きた。
胸が少しだけくすぐったかった。
クラス代表
その日の放課後、クラスのみんなで出し物の案を出し合った。
「展示はちょっと地味かなー」
「ミニゲーム?」
「輪投げとか?」
「クイズ大会?」
「交流イベントなら、知らない子とも話せる感じがいいよね」
黒板に案が並んでいく。
私はチョークを持って、みんなの意見を書き留めていた。
「怖いのとかどう?」
誰かが言った。
「怖いの?」
「お化け屋敷!」
教室が一瞬、静かになった。
それから、わっと盛り上がった。
「あー、いいじゃん!」
「学生っぽい!」
「プチ学祭っぽい!」
「準備もみんなでできるし!」
「でも怖すぎると怒られない?」
「そこそこ怖いくらいにしようよ」
「交流イベントだから、最後は笑って出られる感じで」
お化け屋敷。
私は黒板に大きく書いた。
たしかに、みんなで作りやすい。
飾り付け、案内、小道具、音、受付、役者。
いろいろな役割があるから、クラス全員で関われる。
「後輩ちゃん、どう?」
聞かれて、私は少し考えた。
「いいと思います。怖いだけじゃなくて、最後に楽しかったって思えるようにできたら……」
「それいい!」
「最後大事だよね」
「怖かったけど面白かったーってなるやつ」
「出口をちょっと明るくする?」
「急に明るいと現実に戻りすぎない?」
「じゃあ、ほっとする感じ?」
ほっとする感じ。
その言葉に、胸の奥で何かが小さく揺れた。
怖かった後に、安心できるもの。
緊張していた心が、ふっとほどけるもの。
大丈夫だと、思えるもの。
私にとってそれは、先輩のくれたものに似ていた。
でも、それを口に出すことはなかった。
「出口は、怖かったけど無事に出られた、って感じがいいと思います」
「なるほどー」
「生還ゾーンだ」
「名前かっこよくない?」
「生還ゾーンって言うとちょっと大げさじゃない?」
「じゃあ、出口演出?」
「出口演出、いいね」
こうして、出し物はお化け屋敷に決まった。
お化け屋敷を作る
準備は、思っていたよりも楽しかった。
机を並べて通路を作る。
黒い布をかける。
段ボールで壁を作る。
紙で作った手形を貼る。
窓を暗幕で覆う。
懐中電灯に色紙を貼って、ぼんやりした光を作る。
みんなでわいわいしながら作業する。
「そっち持ってー」
「ここ、もうちょい暗くした方が怖くない?」
「怖すぎると泣く子出ない?」
「ウマ娘だよ? 大丈夫でしょ」
「いや、怖いものは怖いよ」
「最強メンタル計画ちゃん先輩も絶叫系苦手って聞いたし」
「あ、それ言っちゃだめなやつでは?」
「ごめん」
私はその会話に少し笑った。
先輩はすごい人だ。
でも、怖いものは怖い。
それを知っていると、少しだけ先輩が近く感じられる。
「出口どうするー?」
作業が進んだ頃、出口担当の子たちが私のところへ来た。
「最後、明るくするのは決まったんだけど、色がね」
「色、ですか?」
「うん。どんな色にするんだっけー?」
「なんだったっけー?」
「安心する色っぽかったよー?」
「安心する色……」
私は少し考える。
白すぎると、急に現実に戻った感じになる。
赤や黄色は元気だけれど、怖い場所から出た直後には強いかもしれない。
青は落ち着く。
紫は少し神秘的。
淡い色なら、怖さの余韻を壊しすぎない。
「淡い青とか、薄い紫とか……でしょうか。強すぎない色で」
「おー」
「それっぽい」
「安心と神秘の間みたいな?」
「いいね」
「でも元気も出た方がよくない?」
「じゃあ少しだけ明るい色も足す?」
「星っぽい飾りとか置く?」
「出口で星?」
「生還感あるじゃん」
「あるかな?」
「あるある」
みんなの手が動いていく。
私は「あまりやりすぎない方が」と言いかけて、でも、楽しそうなみんなを見て言葉を飲み込んだ。
強すぎなければ大丈夫。
たぶん。
別の子が、小さな瓶を持ってきた。
「香りとかもありじゃない?」
「香り?」
「ほら、怖いところって空気も大事じゃん。出口でちょっとだけ、ほっとする匂いがしたらよくない?」
「お化け屋敷に香りって本格的ー」
「でも強いのはだめだよね」
「ほんのりなら?」
「ほんのりなら大丈夫じゃない?」
みんなが私を見る。
「後輩ちゃん、どう思う?」
「え、えっと……香りは、人によって苦手な子もいると思うので、本当に少しだけなら……」
「じゃあ少しだけ!」
「ほんのり!」
「怖かった後に、ふわっと落ち着く感じ!」
「優しい感じの香りって何?」
「花っぽい?」
「甘すぎない方がよくない?」
「草っぽいのも落ち着くかも」
「海っぽいのは?」
「無人島組に引っ張られてない?」
「引っ張られてないって」
教室に笑い声が広がる。
私はメモを取る。
出口演出。
淡い青紫系。
星の飾り。
香りはごく弱く。
怖かった後に安心できる雰囲気。
文字にすると、何もおかしくない。
むしろ、ちゃんとしているように見えた。
先生にも確認した。
「香りは弱めに、換気もできるようにしてくださいね」
「はい」
「色の演出も、足元が見えるように。暗すぎないこと」
「はい」
「来場者が通路で止まらないように、出口は広めにしてください」
「はい」
私は全部メモした。
勝手に進めない。
相談する。
確認する。
みんなで分担する。
以前より、ちゃんとできている気がした。
気がしただけだったのかもしれない。
プチ学祭当日
プチ学祭当日。
教室の前には、手作りの看板が立っていた。
一年C組 お化け屋敷
文字は少し震えたように書かれている。
周りには紙で作った小さなおばけ。
怖いというより、少し可愛い。
「いらっしゃいませー」
「二名ずつ入場でーす」
「中では走らないでくださいねー」
「怖くても壁を蹴らないでくださーい」
受付の子が元気に案内する。
最初に入った別クラスの二人が、数分後に出口から出てきた。
「きゃー!」
「怖かった!」
「でも楽しかったー!」
成功だ。
私は胸をなでおろした。
次の子たちも、悲鳴を上げながら進んでいく。
中からは、控えめな物音や、役者担当の子の声が聞こえる。
「うらめしやー……」
「ちょっと声かわいい」
「笑わないでよ!」
待っている子たちも楽しそうだった。
お化け屋敷は、そこそこ怖い出来だった。
暗すぎず、でも先が見えにくい。
手作りの人形や、揺れる布。
足元から急に聞こえる小さな鈴の音。
教室の角に立つ白い影。
怖すぎない。
でも、ちゃんと驚く。
みんなで作ったものが、ちゃんと形になっている。
それが嬉しかった。
出口で止まる
けれど、しばらくして異変に気づいた。
「あれ?」
受付の子が首をかしげる。
「次、入れていいのかな?」
「前の組、出た?」
「……出てなくない?」
教室の入り口付近にいた子たちが、顔を見合わせる。
中から悲鳴は聞こえない。
物音もほとんどない。
「詰まってる?」
「途中で怖くて止まっちゃった?」
「様子見てくる?」
私は慌てて立ち上がった。
「私、見てきます」
「あ、私も行く」
クラスメイトと二人で、通路の裏側に回る。
出口側のカーテンをそっと開けた。
そこには、三組分の来場者がいた。
誰も泣いていない。
誰も倒れていない。
怪我もしていない。
ただ、出口手前の少し明るい空間で、みんな座り込んでいた。
「……」
淡い青紫の光。
紙で作った小さな星飾り。
ほんのりとした、甘すぎない柔らかな香り。
怖い通路を抜けた直後に、ふっと肩の力が抜けるような空気。
そこに、来場者たちは吸い込まれるように留まっていた。
「……なんか、落ち着く」
「怖かったのに、今すごく安心してる……」
「もうちょっとここにいたい……」
「出口、出たくない……」
私は固まった。
隣のクラスメイトも固まった。
少し遅れて、出口担当の子が小さな声で言った。
「……成功?」
「違います」
私は即答した。
成功ではない。
たぶん。
お化け屋敷の出口で、誰も出てこないのは、成功ではない。
「み、皆さん。出口はこちらです。そろそろ次の方が……」
「うん……」
「出る……」
「出るけど……」
「あと少し……」
出る気配がない。
私は冷や汗をかいた。
怖かった後に安心できるようにしたかった。
それは本当だ。
でも、安心しすぎて出口で止まるのは予定にない。
結局、先生に報告した。
先生は現場を見て、少しだけ沈黙した後、すぐに換気を指示した。
「香りを止めましょう。照明も少し白に戻して。星飾りは半分外してください」
「はい!」
「出口付近に椅子を置かない。立ち止まらずに出られるように動線を作って」
「はい!」
「それから、次の入場は一度止めます」
「はい……」
みんなで慌てて修正した。
香りを止める。
照明を明るくする。
星飾りを減らす。
出口のカーテンを大きく開ける。
外から声をかけやすいようにする。
修正後のお化け屋敷は、普通に怖くて、普通に楽しいものになった。
来場者は悲鳴を上げ、笑いながら出てくる。
「怖かったー!」
「最後、前より明るくなった?」
「でも楽しかった!」
よかった。
よかった、けれど。
たづなさんに呼ばれる
放課後、私たちは駿川たづなさんに呼ばれた。
クラス全員ではなく、代表と各担当者。
つまり、私と、出口担当、照明担当、香り担当、装飾担当、それから先生。
たづなさんは、資料を前にして微笑んでいた。
微笑んでいたけれど、少しだけ圧があった。
「皆さん、まず、お化け屋敷自体はよくできていました」
「はい……」
「クラスで協力して準備したことも、来場者に楽しんでもらおうと工夫したことも、とても良いことです」
「はい……」
私は背筋を伸ばした。
たづなさんは、資料を一枚めくる。
「ですが、出口で来場者が滞留してしまう演出は、安全面と運営面で問題があります」
「はい……」
「特に、色彩、香り、照明、装飾を組み合わせる場合、思った以上に心理的な影響が出ることがあります」
「はい……」
「怖い演出の後は、気持ちが大きく動いています。その直後に安心感の強い演出を重ねると、予想以上に力が抜けてしまうことがあるんです」
たづなさんの言葉は、怒鳴るようなものではなかった。
でも、とてもよくわかった。
私は深く頭を下げた。
「すみませんでした。私が代表なのに、確認が足りませんでした」
すると、隣の子たちが慌てた。
「後輩ちゃんだけじゃないです!」
「色を決めたのは私たちです!」
「香りを足したのも私です!」
「星飾り増やしたの、私です!」
「出口をほっとする感じにしようって、みんなで言いました!」
たづなさんは少し目を細めた。
「はい。皆さんで作ったものですから、皆さんで反省しましょう」
「はい……」
「ただし、皆さんの気持ちが悪かったわけではありません。怖かった後に安心してほしい、楽しかったと思って帰ってほしい。その発想自体は、とても優しいものです」
胸の奥が少し痛くなった。
優しいもの。
でも、やりすぎると困らせてしまう。
先輩の作るものも、きっとそうなのだと思う。
たづなさんは、最後に柔らかく言った。
「次からは、効果が重なりそうな演出は事前に相談してくださいね。特に、香りと照明を使う時は」
「はい」
「それから、出口は出る場所です。休む場所ではありません」
「はい……」
その言葉に、みんなが小さくうなずいた。
説教は、思っていたよりも軽かった。
でも、ちゃんと反省しなければいけないものだった。
教室に戻ると、みんなが待っていた。
「どうだった?」
「怒られた?」
「大丈夫?」
「軽く、叱られました」
私がそう言うと、みんなは少しだけほっとした顔になった。
「やっぱり出口がだめだったかー」
「でもお化け屋敷は褒められたよね?」
「うん、そこは褒められた」
「じゃあ次は出口を普通にしよう」
「普通に出られる出口、大事」
「大事だね」
みんなで笑った。
大きな事故にはならなかった。
誰かが怪我をしたわけでもない。
でも、ちゃんと反省点は残った。
私はノートを開き、今日のことを書いた。
プチ学祭。
お化け屋敷。
クラス代表。
みんなで協力。
出口演出は強すぎた。
香りと色と照明の組み合わせには注意。
出口は出る場所。
最後の一文に、赤い線を引きたくなった。
赤ペン先生さんなら、きっとここに赤を入れる。
私は少し笑った。
その時、クラスメイトの一人が言った。
「そういえばさ」
「ん?」
「去年の先輩たちのプチ学祭って、何やったんだろうね」
教室が少し静かになった。
先輩たち。
つまり、最強メンタル計画ちゃん先輩と、赤ペン先生さんたちの代。
みんなの顔に、同じような想像が浮かんでいた。
きっと、すごいことをしたのではないか。
何か変なものを作ったのではないか。
もしかしたら、伝説のような出来事があったのではないか。
去年の先輩たちは普通だった
そこへ、たまたま教室に顔を出した先生が言った。
「ああ、去年ですか? 普通でしたよ」
「普通?」
みんなの声がそろった。
「ええ。たしか、クラス紹介のしおり交換と、簡単な展示でしたね。特に問題もなく、和やかに終わりました」
「普通に……」
「終わった……?」
「先輩たちが……?」
なぜか教室に衝撃が走った。
先生は不思議そうに首をかしげる。
「普通に終わるのが本来ですよ」
その通りだった。
その通りなのに、なぜか胸に深く刺さった。
私はノートを見下ろす。
先輩たちは、普通に終わらせた。
私たちは、出口から誰も出てこないお化け屋敷を作った。
「……先輩たちは、すごいです」
思わず、そう呟いた。
横でクラスメイトがうなずく。
「普通に終わらせられるなんて……」
「すごい……」
先生が少し困った顔をした。
「そこは、尊敬するところでしょうか……?」
私はノートをそっと閉じた。
先輩たちが帰ってきたら、今日のことを報告しよう。
ちゃんと叱られたこと。
みんなで協力したこと。
お化け屋敷は楽しかったこと。
出口は出る場所だと学んだこと。
先輩は、どんな顔をするだろう。
ぉぉ、と言ってくれるだろうか。
それとも、真剣にうなずいてくれるだろうか。
赤ペン先生さんは、きっと頭を抱える気がする。
それを想像すると、少しだけ笑ってしまった。
先輩たちと連絡が取れない時間は、まだ始まったばかりだった。