3話・3日目前半、スライムブースと企業担当者の平静
学園祭、三日目の朝だった。
メイド喫茶は今日も昼から開く。午前中、三人で協賛ブースのコーナーへ向かった。
体育館の端に、いくつかの企業が出ていた。測定コーナー。栄養相談コーナー。そして、スライム体験コーナー。
「スライム」
最強メンタル計画ちゃんが看板を見た。
「体験型ですね!」と後輩ちゃんが言った。
「市販のキットを使った体験コーナーだよ、たぶん」と赤ペン先生が言った。
「やる」
最強メンタル計画ちゃんが先にカウンターへ向かった。
ブースの担当者は、二十代後半くらいの人だった。スーツではなく、学園祭に合わせた明るい色のポロシャツを着ていた。
三人が来た瞬間、担当者の表情は変わらなかった。
変わらなかったが、内心で一つだけ言葉が浮かんだ。
(*担当者・内心*)
生の最強メンタル計画ちゃんだ。
企業板では、何度も言われていた。
「もし自社製品に例の子が触れたら、まず手順を確認しろ」
「次に安全確認」
「最後に、可能なら記録」
「可能なら、だ。絶対に学生相手に測定器を突きつけるな」
その書き込みに、担当者は何度か「わかる」と押したことがあった。
まさか現場で思い出す日が来るとは思わなかった。
ついでに言えば、昨夜の企業板で「何も起きないことを祈る」と書き込んだのは自分だった。「フラグを立てるな」と返されたのも自分だった。
フラグは、いま、三人連れで歩いてきた。
平静を保て。
今日は学園祭の協賛ブース担当だ。
研究員ではない。
学生に楽しく安全に体験してもらう係だ。
手帳は出さない。
測定器も出さない。
質問も増やさない。
「いらっしゃいませ! スライム体験のご参加ありがとうございます。材料はこちらになります」
「はい」
「手順はこの紙の通りで大丈夫です。ゆっくりやってみてください」
「はい」
材料が並んでいた。のり。ホウ砂水。色素。まぜる容器。
後輩ちゃんが「私もやります!」と言いながら隣に並んだ。最強メンタル計画ちゃんが、紙を読んで、手順通りにやり始めた。のりを入れて、色素を混ぜて、ホウ砂水を少しずつ加える。
赤ペン先生は少し離れたところで、腕を組んで、黙って見ていた。
「はい、ゆっくり混ぜてくださいね」
「よく伸びてきました!」
「そうです、少しずつ入れるのがコツです」
後輩ちゃんのスライムは、普通に可愛かった。少し濁っていて、少し気泡が入っていて、よく伸びる。
最強メンタル計画ちゃんのスライムは、違った。
(*担当者・内心*)
透明度が高い。
気泡が少ない。
手の平に移したとき、だらりと崩れず、ゆっくり形を保っている。
伸ばすと光が透けた。青い色素が均一ではなく、薄いグラデーションになっている。
後輩ちゃんのと、明らかに違う。
同じ材料。
同じ手順。
同じ時間。
伸ばした時に千切れない。
伸びすぎている。
いや、まだ市販キットの範囲内だ。
範囲内のはずだ。
範囲内であってほしい。
「……ひんやりする」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「え、ひんやりしますか?!」と後輩ちゃんが手で触れた。「あ、本当だ! なんか涼しい! きれい!!」
「きれい」
「ひんやりしますね!」と担当者が言った。
「先輩の、すごくないですか!? 私のと全然違います! 市販のキットでこんなになるんですね!」
担当者は笑顔でうなずいた。
「そうですね。作り方が丁寧だったんだと思います」
(*担当者・内心*)
丁寧だった。
丁寧だったのは確かだ。
ただ、丁寧でこうなるなら、うちの品質管理部は今ごろ泣いている。
「私も先輩みたいなひんやりスライム作りたいです! もう一回やっていいですか?」
担当者は、一瞬だけ答えに詰まった。
「……試してみるのも、体験の一つですね」
(*担当者・内心*)
やめてほしい。
でも体験ブースとして止める理由がない。
何も悪いことをしていない。
止める理由が、ない。
後輩ちゃんは、もう一度、丁寧に作った。
のり。色素。ホウ砂水。手順通り。ゆっくり混ぜる。こねる。伸ばす。
普通のスライムができた。
少し濁っていて、少し気泡があって、普通によく伸びた。
「……普通ですね!」
「はい。とてもよくできています」
(*担当者・内心*)
普通。
これが普通。
ありがとう、普通。
「じゃあ、丁寧にやったら同じになるってわけじゃないんですね」と後輩ちゃんが言った。「先輩だけ特別なんですか?」
「……個人差がありますから、同じにはならないこともあります」
「やっぱり先輩が作ると違うんですね!」
「そういうこともあると思います」
(*担当者・内心*)
才能。
その言葉でまとめるな。
まとめていいのかもしれない。
まとめたい。
でも検証したい。
後輩ちゃんが二つのスライムを並べた。「先輩、並べて見るとすごい差ですね!」
後輩ちゃんのスライムは濁った白みがかった緑。最強メンタル計画ちゃんのスライムは、光が透けるほど透明な青だった。
「なんでこんなに透明度が違うんですか?」
担当者は笑顔のまま言った。「材料の混ざり方や力加減で、少し変わることがあります」
(*担当者・内心*)
「少し」ではない。
「少し」で済む差ではない。
温度を測りたい。
温度計を出してはいけない。
透明度を数値化したい。
測定器を出してはいけない。
材料のロットを確認したい。
それは倉庫に確認に行けばできるが、今ここを離れると誰かに続きを頼まなければならない。
社内チャットに投げたい。
勤務中だから投げない。
そのとき、赤ペン先生が少しだけ近づいてきた。
担当者を見た。
担当者は、笑顔だった。
笑顔だったが、目が少し笑っていなかった。
赤ペン先生は、ほんの少しだけ目を細めた。
「……同じ材料ですよね」と赤ペン先生が静かに言った。
「はい。同じ材料です」
「同じ手順?」
「はい」
「……そうですか」
「はい」
二人は、それ以上何も言わなかった。
(*担当者・内心*)
赤ペン先生は分かっている。
測定器が出ていないことも、確認している。
こちらも分かっている。
だが、ここは学園祭の協賛ブースだ。
体験コーナーの担当者は、今日は研究員ではない。
(*赤ペン先生・内心、おそらく*)
この人、分かっている側だ。
でも測定器を出していない。
……えらい。
「持って帰っていい?」
最強メンタル計画ちゃんが聞いた。
担当者は一瞬だけ、袋を持つ手を止めた。
(*担当者・内心*)
持ち帰っていいのか。
持ち帰らせるべきなのか。
回収したい。
もう少しだけ観察したい。
袋に入れる前に、温度を測りたい。
でも、これは学生が体験で作った成果物だ。
「回収させてください」と言える理由が、何もない。
「測定させてください」と言えば、今日の担当として終わる。
渡す。
「もちろんです。こちらが持ち帰り用の袋になります」
「ありがとうございます」
最強メンタル計画ちゃんがスライムを袋に入れた。
担当者は笑顔で渡した。
(*担当者・内心*)
渡した。
渡してしまった。
そのスライムは今ごろ袋の中でひんやりしている。
「また来ます!」と後輩ちゃんが言った。
担当者は笑顔で言った。「お待ちしています」
(*担当者・内心*)
来てほしいような来てほしくないような。
今日の勤務シフトを確認した。
閉会まで担当だった。
赤ペン先生が軽く会釈した。
去り際、一度だけ担当者の方を振り返った。
目が合った。
赤ペン先生は何も言わなかった。
担当者も何も言わなかった。
三人が体育館の出口へ消えた。
(*担当者・内心*)
赤ペン先生は、測定器が出ていないことを確認した。
担当者は、赤ペン先生がそれを確認したことを理解した。
二人とも、何も言わなかった。
担当者は、三秒待った。
五秒待った。
周囲を確認した。
手帳を出した。
一行目に、こう書いた。
同一材料、同一手順、同一環境。
最強メンタル計画ちゃん作成品のみ、温度感・透明度・気泡量・伸縮性に差異。
比較対象あり(後輩ちゃん・同一手順再現)。後輩ちゃんは普通のスライム。差異なし。
持ち帰られた。回収できなかった。
そこまで書いて、手が止まった。
続けて書いた。
企業板には、まだ書かない。
勤務中だから。
勤務が終わったら。
そこまで書きかけて、担当者は手帳を閉じた。
顔には出さなかった。
えらい。
その夜・寮で
スライムは、袋から出されて、机の端に置かれた。
「……どこに置くの、それ」と赤ペン先生が聞いた。
「ここ」
「ずっと?」
「ひんやりするから、夏にいいと思う」
「今、秋だけど」
「夏まで、取っておく」
最強メンタル計画ちゃんは、スライムを棚の上に移した。光に透かすと、青がきれいだった。少し触って、ひんやりを確かめて、満足した。
「きれい」
それだけだった。それだけで、終わった。
スライムは、棚の上で静かにひんやりしていた。
誰も、それが何でできているのか知らなかった。作った本人も含めて。台帳にも載っていなかった。学園側の被害が、何もなかったからだった。
ただ、棚の上にあった。
夏まで。
企業板
【学園祭3日目】本人に会った件【ひんやりスライム・測定できなかった】
レス 1〜50
協賛ブース担当です
来たの?
来た
後輩ちゃんと赤ペン先生と一緒に
スライム体験してった
昨日「何も起きないことを祈る」って書いてた人だ
フラグを立てるなと言ったのに
フラグは三人連れで歩いてきた
で、生の最強メンタル計画ちゃんが自社キットを触った
触った
何が起きた
同じ材料
同じ手順
同じ気温
なのに、異常なスライムができた
異常
透明度が高い
気泡が少ない
手のひらに置いても崩れず形を保つ
伸ばすと光が透ける
青い色素がグラデーションになっている
千切れない
ひんやりしている
箇条書きにするな
してしまった
測定は
してない
なんで!!!
学園祭の協賛ブース担当として平静を保った
……正しい。正しいよ
「ひんやりする」「きれい」「気持ちいい」って言って持ち帰った
「水分量や手の温度で感触が違うことがある」って言った
違うだろ
違う。でも言えなかった
「測らせてください」と言ったら終わりだと思った
正しい
偉い
手帳出さなかったの偉すぎる
測定器も出さなかった
でも数値は
ない
偉い
くやしい
くやしい
学生の体験物をサンプル扱いするなってことは分かってる
分かってる
倫理が勝った
企業人としては正しい
研究者としては泣いてる
泣いてる
比較対象は?
後輩ちゃんが同じ手順でもう一回作った
普通のスライムだった
比較対象あるじゃん!!!
ある
でも測定値はない
くやしい
通常品との差分、目視のみ?
目視のみ
透明度・気泡量・伸縮性・温度感に差異
後輩ちゃん作成品は通常範囲
本人条件
本人条件って何
例の子が触ること
製造条件に入れるな
量産不可
レス 51〜100
でもひんやり高透明スライム、普通に商品価値ある
ある
売れる
作れない
くやしい
「本人に製造工程に入ってもらう」は?
するな
分かってる。するな
でも数値があれば
数値があったとして何をする
……論文
発表するな
赤ペン先生は?
見てた
「同じ材料ですよね」って聞かれた
監査
非公式安全監査
測定器出してたら?
終わってた
赤ペン先生の前で測定器を出さなかった担当者、偉い
赤ペン先生は何か言ってた?
「同じ材料ですよね」「同じ手順?」「……そうですか」だけ
あとは何も言わなかった
合格通知だ
赤ペン先生が黙ってたなら担当者は合格
スライムは?
本人が持ち帰った
回収しなかったの?
学生の体験成果物を回収する理由がない
正しい
正しいけど、くやしい
袋に入れて渡した
えらい
手が震えなかった?
顔には出さなかった
えらい
あのスライム、今ごろ部屋の棚に置かれてひんやりしてるんだろうな
してるんだろうな
本人はそのひんやりを、どう思いながら見てるんだろう
「きれい」と思ってると思う
それだけで終わるの
それだけで終わると思う
……そういうの、いいな
そういうことを言わない
今書き込んでるの勤務中?
勤務後
えらい
勤務中に書かなかったの偉い
測定器出さなかった
手帳は最後まで我慢した
企業板も勤務後
完璧では?
でも数値はない
くやしい
今日の結論
顔には出さなかった。えらい
数値はない。くやしい
レス 101〜150
以上
明日も協賛ブース担当?
明日も担当
がんばれ
測定器は?
持ってくるな
手帳は?
ポケットに入れていい
えらい
くやしい