8話・7日目、粛々と封印する
管理室・朝
学園祭が終わった翌日だった。
校舎は静かだった。廊下の飾りは半分まで外されていて、立て看板は昇降口にまとめて立てかけられていた。祭りの匂いだけが、まだ少し残っていた。
たづなさんが管理室に来た。
台帳を棚から出した。
椅子に座った。
開いた。
今年の学園祭で増えた項目は、順番に並んでいた。
最初の項目から始めた。
水色ドリンク(バタフライピー・ミルクベース)
学園祭2日目に回収済み。ピッチャーごと保管。封印処理完了。レシピ記録あり(たづなさん管理下)。
評価欄に書いた。
味・見た目・来場者満足度:高。再提供希望:多数。ただし、幸福性失神の発生を確認。提供待機列の発生も確認(「幸福に気絶したい」という動機の来場者を含む)。提供禁止。
動機の欄を読み返した。「身長が伸びた気がするドリンク」。
身長変化なし、という自分の字も読み返した。書いた時のことを思い出して、少しだけ、ペンが止まった。あの場では誰も笑わなかったが、書いた本人は、実は少し笑いそうだった。
ペンを入れた。処理完了。
旧V4追補:スピカさん造形物(ねんどろいどサイズ・着色済み)
学園祭4日目朝、歴史展示に無断設置を確認。閉場後に回収済み。封印台帳に新規登録。
現物は、布をかぶせたまま机の上にあった。
たづなさんは、布を外さなかった。
外さずに処理できる手順を、最初から組んであった。布ごと薄葉紙で包み、布ごと箱に入れ、箱に封緘紙を貼る。金庫の中でも、布はかぶせたままにする。「布をかぶせたまま」という運用は、四日目の展示担当たちの発明だったが、理にかなっていた。台帳の管理条件の欄に、そのまま採用して書いた。
管理条件:開封時は単独で行わないこと。布は外さないこと。
制作者の欄に、空白があった。
たづなさんはペンを持って、その空白の上で、少しだけ止まった。
書こうと思えば、書けた。心当たりは、一つしかなかった。造形の丁寧さも、着色の根気も、置いていった時間帯も、全部、知っている子の仕事だった。
でも、確認は取れていない。本人は名乗っていない。そして——名乗らなかったのは、たぶん、あの子なりに何かを分かっているからだった。
空白のままにした。
空白には空白の言い分がある。歴史展示が、そう教えてくれた学園祭だった。
評価欄に書いた。
造形精度:極めて高。来場者反応:強。ただし、視覚特効が強すぎる。接近による幸福性失神を複数確認。展示不可。回収:妥当。
ペンを入れた。処理完了。
スピカ4DXスーパーデラックス改良版(本物映像極小量添加)
映像データおよびタキオンの収集データ。封印対象。削除確認済み。
タキオンの収集データの欄に一行あった。
「本人要素はゼロか非ゼロかで閾値が決まる。知見として記録」
たづなさんはそれを一行だけ台帳に転記した。そして、封印スタンプを押した。
評価欄に書いた。
安全版申請。申請外の本人映像極小量添加あり。参加者全員(四十名)に幸福性失神。本人要素は量でなく有無で閾値が変わることを確認。再封印。
一拍おいて、もう一行足した。
次回から、演出への技術協力は事前申請を必須とする。
それから、机の端に置いてあった、もう一束の紙を引き寄せた。
お目覚めスペースの記録用紙だった。回収時に、運営の子たちが「これも、お渡しした方がいいかと思って」と届けてきたものだった。
日付。搬入時刻。覚醒時刻。水の提供有無。そして、「回数」の欄。
一番多い子で、四回だった。備考に「思い出し再発」と書いてあった。
欄の隣に、小さな字で「幸福度(目視)」とあった。記入は「高」「かなり高」「見たことない顔」の三段階だった。
たづなさんは、その用紙の束を、しばらく見ていた。
台帳に綴じるべきか、考えた。封印物の記録としては、正式すぎる。捨てるには、よくできすぎている。搬出の手順も、給水の段取りも、回数の記録も、全部、誰に頼まれたわけでもない生徒たちの仕事だった。
別のファイルを出した。「学園祭実行記録」と書いてあるファイルだった。
そこに綴じた。
綴じてから、付箋を一枚貼った。
——来年度、保健委員会と共有。運用は良い。発生を前提にしない。
「発生を前提にしない」と書いたところで、自分で少し、眉を下げた。前提にしないと書くこと自体が、もう半分、前提にしていた。
スライムの記録は、学園側の台帳には上がっていなかった。
学外の企業板での記録として扱われている。
たづなさんは確認のため一行だけメモした。
企業側記録あり。学園台帳外。学園内での被害なし。協賛企業担当者の対応、適切。
少し考えてから、もう一行足した。
対応、えらい。
書いてから、一度だけ見て、そのままにした。
処理が終わった。
台帳を閉じようとして、一度止まった。
開いたまま、少し考えた。
今年の学園祭で増えたのは、封印物だけではなかった。お目覚めスペースの運用。回数の記録。布をかぶせたまま、という知恵。列の整理。倒れた人に水を渡す係。
事故のたびに、対応だけが上手になっていく学園だった。
それを、良いことと呼んでいいのかどうかは、まだ決めていなかった。
閉じた。
理事長室
廊下の向こうから、ペンが走る音がしていた。
理事長室だった。
たづなさんが戸口から声をかけた。
「……何枚目ですか」
「三枚目ッ!」
「三枚で済むといいですね」
「……たづな?」
「何について書いてるんですか」
「4DXに真っ先に乗ったことッ! 旧V4造形物を業務上の確認として近くで見に行ったことッ! 水色ドリンクを業務上の確認として一杯だけ飲もうとしたことッ!」
「三本立てですね」
「……反省しているッ!」
「反省文に『しかし』を何回使いましたか」
「…………」
「数えなくていいです。修正してください」
「……修正ッ」
「はい」
「ただ、造形の精度はすごかった、という感想もある」
「それは反省文に書かないでください」
「書いていないッ! 心の中だけにとどめているッ!」
「……はい」
「それと、たづな君」
「何でしょう」
「4DXの中でな……一瞬だけ、振り返ったのだ。あの後ろ姿が」
「理事長」
「実に——」
「思い出さないでください。再発します」
「……ッ」
理事長が、ペンを握ったまま、危ういところで踏みとどまった。回数の記録に理事長の欄を作るわけにはいかなかった。
たづなさんが廊下に戻った。
管理室・締め
たづなさんが管理室の棚の前に戻った。
台帳を手に持った。
棚に戻す前に、別紙を一枚はさんだ。
書いた。
来年度学園祭:事前確認項目追加
安全版、体験版、展示のみ、という表現を信用しすぎない。
申請書の「安全確認済み」は、誰が・何を・どこまで確認したかを確認する。
技術協力者の欄を新設する。
書き終えて、少し考えて、もう一行足した。
お目覚めスペースの運用記録は保健委員会と共有する。ただし、来年は使われないことを願う。
たづなさんは台帳を棚に戻した。
「……今年の学園祭、異常なし……とは言えませんね」
誰に言うでもなく、言った。
窓の外では、最後の立て看板が運ばれていくところだった。運んでいる子たちが、何かおかしいことがあったのか、笑っていた。
いい学園祭だったのだと思う。台帳の行数を別にすれば。
管理室を出た。