4話・3日目後半、歴史展示とV4の空白
昼になった。後輩ちゃんがお弁当を持ってきていて、三人で中庭の端に座って食べた。
「歴史展示、何時から入れるんだろう」と赤ペン先生が言った。
「昼からだって聞いた」
「……そう」
「怖いですか?」と後輩ちゃんが、赤ペン先生の顔をのぞき込みながら聞いた。
「怖いとは言ってないけど」
「でもちょっと顔が」
「気のせいだよ」
「…………赤ペン名言集、があるって聞きました」
赤ペン先生が弁当のふたを閉めた。
「……誰から聞いたの」
「クラスメイトの人が教えてくれました!」
「……どんな内容かは聞いた?」
「『帰れないものは乗り物じゃない』『唇は危険』ほか、だそうです!」
「……」
最強メンタル計画ちゃんが赤ペン先生を見た。
「行かない、という選択肢もある」
「……行くよ。見届ける」
歴史展示
そのクラスの教室は、廊下に看板が出ていた。
「最強メンタル計画シリーズ全記録展示」。
副題が「善意100%・軌跡と封印の歴史」だった。
入口には小さく「有志制作展示」と書かれていた。
赤ペン先生は、その小さな文字を見た。
「……有志」
「有志ですね!」と後輩ちゃんが言った。
「有志って便利な言葉じゃないんだよ」
安全啓発展示として申請されたはずだった。少なくとも、赤ペン先生名言集という文字は、申請書にはなかったと思いたかった。
最強メンタル計画ちゃんが看板を見た。
「……副題が長い」
「正確だね」と赤ペン先生が言った。
入った。
教室の壁面に、パネルが並んでいた。
左の壁から始まっていた。
「V1・切り抜きASMR事件」。
説明が書いてあった。「スピカさんの声に注目。切り抜き動画の音声を環境音として再生する試み。幸せに意識を手放した目撃者多数。封印日:——」
「……」
次のパネル。「V2・VRライブ最前列」。
次のパネル。「V3・静止画耐性訓練」。
その下に、目撃証言の書き起こしがあった。証言した子の名前は匿名になっていたが、内容はかなり詳しかった。
「気がついたら廊下で、朝でした。幸せでした。(一年生・当時)」
「友達が止めてくれたので無事でした。友達はだめでした。(二年生・当時)」
「もう一回聞きたいです。だめだと分かっていますが、聞きたいです。(学年非公開)」
「証言が生々しい」と赤ペン先生が言った。
「最後の人、まだ治ってないですね」と後輩ちゃんが言った。
「治ってないね」
展示を見に来ていた他の来場者が、証言を読みながら「分かる」「分かるなあ」とうなずいていた。一人が「読んでるだけで、ちょっと来ますね、これ」と言って、パネルから一歩離れた。文字情報だけで一歩下がらせる展示だった。安全啓発としては、ある意味で機能していた。
最強メンタル計画ちゃんはパネルを順番に読んでいった。
後輩ちゃんが横で「V5! 嗅覚編! これは……すごいですね……」と言っていた。
赤ペン先生が特定のコーナーの前で止まった。
赤ペン名言集
「赤ペン先生 名言集」と書かれたコーナーがあった。
縦長のパネルに、台詞が並んでいた。
「帰れないものは乗り物じゃない。(真V7・イヤホン事件の際の発言)」
「唇は危険。(真V5.5・リップクリーム事件の際の発言)」
「たぶん、は聞いてない。(複数の機会における発言。初出はV1とされる)」
「増やさないで。(恒常的な発言)」
「そこじゃない。(複数の機会における発言。計七回確認)」
「ドリンクだよね。(第8部・2日目の朝の発言)」
「……」
「七回も……」と後輩ちゃんが言った。
「数えないで」
「展示が数えてます!」
「展示に言わないで」
「なんでもう追加されてるの」
「今日の朝、廊下を通ったときに誰かが見てたって話を聞いた」
「…………」
「情報が早い」
「…………そうね」
赤ペン先生が「そこじゃない、七回も言ってたんだ」と小さく言った。最強メンタル計画ちゃんが「言ってる」と言った。
「……数えてたの」
「数えてない。でも多い」
後輩ちゃんが、名言集をもう一度最初から読んでいた。
「……どれも、いいこと言ってますね」
「うん。いいこと言ってる」と最強メンタル計画ちゃんも言った。
「本人の前で素直に言われると、つらいんだよ」
「なんでですか!? 名言ですよ!?」
「名言になった経緯が全部隣に書いてあるからだよ」
経緯は、確かに全部書いてあった。名言の数だけ、事件があった。
判断記録と、空白
「たづなさん封印判断記録」のコーナーもあった。
日付と封印対象と判断理由が、きれいに整理されていた。
「……ちゃんとしてる」と後輩ちゃんが言った。
「たづなさんの記録を基にしてるんだと思う」と赤ペン先生が言った。「一部は掲示板のまとめから、だろうけど」
判断理由の欄は、簡潔だった。「逃げ場がないため」「密閉保管が必要なため」「環境化するため」。そして、途中から、ある一言が増えていた。
「いつもの」
「『いつもの』が三件あります」と後輩ちゃんが言った。
「三件目あたりから、説明を省略し始めてる」
「たづなさんも人間だったんですね」
「もとから人間だよ」
最強メンタル計画ちゃんがその一覧を読んだ。
V1。V2。V3。V5。真V1。真V2。真V3。真V4。真V5.5。真V6。真V7。フィジカルV1。V2。V3……。
順番に読んでいった。
途中で、手が止まった。
シリーズの系譜パネルの中に、一か所だけ何もないコーナーがあった。
「旧V4:スピカさんフィギュア制作計画(3Dプリンター)」と書かれたスペースだった。
写真もなかった。目撃証言もなかった。説明も短かった。
「完成直前に阻止。現物なし。(赤ペン先生・寮長さん連名にて制止)」
それだけだった。
後輩ちゃんが「V4だけ、空白なんですね」と言った。
「未遂で終わったから」と赤ペン先生が答えた。「3Dプリンターでスピカさんのフィギュアを作ろうとして、完成する前に止めた。私と寮長さんで」
「3Dプリンター!?」
「レンタルしてたやつ。V1から形から入るためにいろいろ買いすぎて、当時財布がかなりやばかった」
「……大変だったんですね」
「そうね。だからここだけ、現物が残ってない」
後輩ちゃんが展示の空白を眺めた。「……何もないと、ちょっと寂しいですね」
「そうね」
赤ペン先生が答えながら、横の最強メンタル計画ちゃんをちらりと見た。
最強メンタル計画ちゃんは、その空白を見ていた。
何も言わなかった。
ただ、見ていた。
赤ペン先生は少しだけ目を細めて、次のパネルへ歩いた。
夜・部屋で
帰り道、後輩ちゃんが「今日も楽しかったです!」と言って寮の別の廊下へ向かった。
部屋に戻った。
赤ペン先生が先にシャワーを浴びて、ベッドに横になった。三日間の疲れが出たらしかった。目を閉じたまま言った。
「V4の空白、ずっと見てたね」
「……見てた」
「何か考えてる?」
「……考えてない」
「本当に?」
「……考えてない」
「ならいいけど」
言いながら、よくはないと思った。でも、三日間の疲れが勝った。
しばらくして、寝息が聞こえてきた。
最強メンタル計画ちゃんは、机の引き出しを静かに開けた。
粘土。着色材。乾燥の早いタイプ。
いつか何かに使うと思って買ってあったものだった。いつかは、今日だった。
歴史展示を見てから、ずっと頭の中にあった。あの空白。説明の少なさ。現物がないから記録もない。
見に来た人が、ちょっとがっかりしていた気がした。
後輩ちゃんが「ちょっと寂しいですね」と言っていた。
昔は、3Dプリンターが要ると思っていた。お金もかかった。だから止められて、それきりだった。
でも、今は分かる。あるもので、作れる。
手元には、粘土がある。
考えてない、は嘘ではなかった。考えるより前の場所で、手がもう決めていた。
手を動かし始めた。
最初は、形だけだった。
全体のバランス。立ち方。スカートの広がり。手の位置。形だけの間は、何ともなかった。ただの粘土だった。
耳の角度を整えた。尻尾の流れを付けた。それでも、まだ大丈夫だった。誰でもない誰かの形だった。
着色をした。色が乗ると、少しずつ、誰かになっていった。それでもまだ、大丈夫だった。後ろを向けて塗っていたからだった。安全のつもりではなかった。塗りやすかっただけだった。結果的に、それが最後の安全装置だった。
深夜、最後に、顔を描いた。
描き終えて、正面に向けた。
手の平にのせてみた。小さかった。ねんどろいどサイズ。着色もした。
ちゃんと、スピカさんだった。
それが、一番よくなかった。
見た瞬間、胸のあたりに何かがあふれた。
次の瞬間には、椅子に座ったまま意識がなかった。
どれくらい経ったのか分からなかった。
顔を上げたとき、机の上には造形物があった。
でも、ハンカチがかぶさっていた。
倒れた拍子にかかったのか、よく分からなかった。布がかぶさっている状態では、何も見えなかった。
最強メンタル計画ちゃんはしばらくそのまま座っていた。
ハンカチの上から、形だけ確認した。ちゃんと作れている。
布をかぶせたまま、荷物の端に置いた。
そっとベッドに入った。
翌朝
赤ペン先生が起き上がったとき、最強メンタル計画ちゃんはもうベッドにいなかった。
机の上には何もなかった。
昨日の夜に見た粘土も、着色材も、ノートも、目につく場所にはない。
学園祭だから早起きしたんだろう。
そう思うことにした。
赤ペン先生は、洗面所へ向かった。
トレセン学園スレ
【学園祭3日目】封印物歴史展示に本人が来た件【赤ペン名言集で赤ペン先生が固まった】
レス 1〜50
本人が来た
歴史展示に?
赤ペン先生と後輩ちゃんと一緒に来た
三人で来たの
展示見てたよ
順番に全部読んでた
本人の反応は?
静かに読んでた
V5のところで後輩ちゃんが「すごいですね……」って言ったら「うん」ってだけ言ってた
本人視点だと「自分の歴史」を見てるんだよね
そう考えるとちょっと……なんか……
なに?
恥ずかしそうではなかった
でも、なんか変な顔してた
変な顔
嫌そうでも困ってもない。たぶん、見てた
目撃証言のパネル読んだ?
「もう一回聞きたいです。だめだと分かっていますが、聞きたいです」
あの証言、誰だよ
治ってないんだよなあの人まだ
読んでるだけでちょっと来る展示
安全啓発(攻撃力あり)
赤ペン先生の反応は?
名言集のところで固まってた
やっぱり
「そこじゃない、計七回確認」って書かれてて、「七回も言ってたんだ」って言ってたらしい
七回の内訳が気になる
V1から今日の朝まで散らばってる
最新が「ドリンクだよね」ってとこ
リアルタイム更新されてる名言集
「なんでもう追加されてるの」って赤ペン先生が言ってたらしい
展示側の情報収集が早い
しかも本人と後輩ちゃんが名言集を素直に褒めたらしい
「どれも、いいこと言ってますね」「うん。いいこと言ってる」
本人公認の名言集になった
赤ペン先生「本人の前で素直に言われると、つらい」
それも名言集に追加されそう
やめてあげて
たづなさんの判断記録も展示されてたよ
判断理由「いつもの」が三件
三件目から説明を省略し始めたたづなさん
たづなさんも人間
これ、申請通ってるの?
安全啓発展示として通ったらしい
赤ペン名言集も?
それは知らない
知らないで済ませるな
でも事実しか書いてないから、訂正もできない
正確であるがゆえの辛さ
問題はそのあと
何かあった?
V4の空白のところで例の子が止まってた
旧V4、3Dプリンターでスピカさんのフィギュアを作ろうとしたやつ
レス 51〜100
完成直前に赤ペン先生と寮長さんが止めたやつ
展示のパネルにそう書いてあったの?
「完成直前に阻止。現物なし。(赤ペン先生・寮長さん連名にて制止)」って書いてあったらしい
連名で記録されてる赤ペン先生と寮長さん
当時お疲れ様でした
例の子、何か言ってた?
何も言ってなかった
ただ、じっと見てた
何も言わなかったの
後輩ちゃんが「ちょっと寂しいですね」って言ったら赤ペン先生が「そうね」って答えて次のパネルに歩いて行ったらしい
例の子は?
……しばらく、その場に立ってたって
それだけ?
それだけ
……なんか嫌な予感がするんだけど
言わないで
赤ペン先生は気づいてなかったの?
視線には気づいてたと思う
夜、部屋で「V4の空白、ずっと見てたね。何か考えてる?」って聞いたらしい
例の子の答えは
「考えてない」って言ったらしい
それで赤ペン先生は?
「ならいいけど」って言って寝たって
……
……
嫌な予感がするのやめてって言ったのに
明日のスレを待とう
待ちたくない気もするけど
でも待つ