なんで会わせてくれなかったんですか
赤ペン先生がノートに赤を入れ終えて、しばらく経った頃だった。
寮の部屋の扉が、勢いよく叩かれた。
「先輩! 赤ペン先生! 入ってもいいですか!」
後輩ちゃんの声だった。
赤ペン先生は、最強メンタル計画ちゃんを見た。
最強メンタル計画ちゃんは、いつもの顔で首を傾げている。
大丈夫。たぶん。
「"たぶん"」
最強メンタル計画ちゃんが言った。
「今、口に出してない」
「顔」
「顔に出てた?」
「ん」
赤ペン先生は、額に手を当てた。
「……入っていいよ」
「失礼します!」
扉が開いた。後輩ちゃんが入ってきた。ノートを抱えている。いつもの最強引き継ぎ計画。顔は真剣だった。耳と尻尾が、明らかに落ち着いていなかった。
「先輩! 赤ペン先生! なんで会わせてくれなかったんですかー!」
始まった。
「廊下に人が倒れてるし、赤ペン先生は先輩を抱えて走ってるし、私だけ置いていかれるし、先輩は手を振ってくれてたのに、どこへ行ったか分からなくなるし、何が何だか……!」
「落ち着いて」
「落ち着けません!」
「まず座って」
「……はい」
後輩ちゃんは、椅子に座った。ノートをぎゅっと抱えたまま。
「先輩は、今は大丈夫。でも今日、薬を飲んでたの」
「薬?」
「自分で作った薬。何を言われても受け入れられるようになる、ってやつ」
後輩ちゃんは、最強メンタル計画ちゃんを見た。最強メンタル計画ちゃんは、視線に気づいて、少しだけ首を傾げた。
「……先輩が、自分で?」
「自分で」
「なぜ」
「小さいって言われるのが嫌で」
後輩ちゃんは、しばらく黙った。それから、深く息を吸った。
「先輩が薬を飲むと、どうなるんですか」
「いつもより喋る。素直になる。感情がそのまま出る。近しい相手ほど、影響が出る」
「それで、私を近づけなかった、ということですか」
「そう」
「…………」
後輩ちゃんは、最強メンタル計画ちゃんをもう一度見た。それから、赤ペン先生を見た。それから、また最強メンタル計画ちゃんを見た。
「……私、先輩に近しいんですか」
「会いたがってた、って言ったでしょ」
「はい!」
「だから危なかったの」
「…………」
後輩ちゃんは、口を両手で押さえた。最強メンタル計画ちゃんは、その様子をぼんやり見ながら、首を傾げた。
「後輩ちゃん、どうした?」
「なんでもないです!」
「顔、赤い」
「なんでもないです!!」
後輩ちゃんは、深く息を吸った。少し間があった。
「……分かりました。でも」
「でも?」
「先輩は、具体的に何をしてたんですか」
「言わない」
「言ってください! 廊下で聞きました。倒れてたクラスメイトから」
「倒れてたのに喋ったの?」
「『袖……上目……ギャップ……』って言ってました!」
「断片が強い」
「袖ですか!?」
赤ペン先生は、動きを止めた。
「なんで知ってるの」
「さっき言いました」
「……」
最強メンタル計画ちゃんは、自分の袖を見た。
「袖?」
「あなたは見なくていい」
「私、袖を掴んだ?」
「掴んだ」
「強く?」
「強くはない」
「じゃあ、なぜ」
「強さの問題じゃない」
「……?」
最強メンタル計画ちゃんは、分からない顔をした。いつもの分からない顔だった。
後輩ちゃんは、その顔を見て、少しだけ胸を押さえた。
「いつもの先輩でも、ちょっと危ないです」
「そうでしょ」
「でも見たかったです!」
「だからだめなの」
「どうしてですか!」
「見たかった、と思ってる時点でだめなの」
「うう……!」
後輩ちゃんはノートをぎゅっと抱えた。
「先輩」
「ん」
「先輩、私に会いたがっていたんですよね?」
最強メンタル計画ちゃんは、赤ペン先生を見た。赤ペン先生は、少しだけ目をそらした。
「会いたがってた」
「覚えてない」
「そうですよね……」
後輩ちゃんは、両手でノートを抱きしめたまま、床を見た。
「先輩が私に会いたがってくれたのに、私は会えなくて、しかも先輩は覚えてないんです」
「……うん」
「ずるいです」
「ずるい?」
「ずるいです!」
「……ごめん」
「謝らないでください! でも謝ってください!」
「どっち」
「どっちもです!」
赤ペン先生は、机に肘をついた。疲れた。今日一番疲れたかもしれない。
最強メンタル計画ちゃんは、少し考えた。
「後輩ちゃん」
「はい!」
「今は、会えてる」
後輩ちゃんが止まった。赤ペン先生も止まった。
「薬、切れてる。今は、大丈夫」
後輩ちゃんの顔が、ゆっくり明るくなった。
「はい!」
赤ペン先生は、胸を押さえた。
「今のは普通なのに危なかった……」
「普通?」
「普通のあなたでも、今の流れで言うと危ない」
「……ごめん」
「謝らないで」
後輩ちゃんは、きらきらした目で最強メンタル計画ちゃんを見ていた。赤ペン先生はすぐに二人の間へ手を出した。
「距離」
「はい!」
「近い」
「はい!」
「近いまま返事しない」
「はい!」
後輩ちゃんは一歩下がった。
「距離」
「大事」
赤ペン先生が言った。
「特に今日は」
後輩ちゃんは、まだ少し納得していない顔だった。
「でも、赤ペン先生だけ見たんですよね」
「見た」
「ずるいです」
「ずるくない。危険だった」
「危険でも、見たかったです」
「それが危険なの」
「うう……!」
「本当に危険だったの。クラスメイトも落ちたし、私も落ちたし、あなたが見たらたぶん——」
「"たぶん"!」
今度は後輩ちゃんだけが言った。赤ペン先生は口を閉じた。
「……今のは私が悪い」
「はい!」
「嬉しそうにしない」
「すみません!」
後輩ちゃんは、少しだけ胸を張った。たぶん禁止を言えたのが、少し嬉しかったらしい。
最強メンタル計画ちゃんは、それを見ていた。
「後輩ちゃん、うれしそう」
「嬉しいです! 一人で言えました!」
「そう」
「はい!」
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ口元を緩めた。赤ペン先生は、すぐに目をそらした。
「今のは普通?」
「普通」
「なら大丈夫……のはず」
「"はず"は?」
「禁止じゃない」
「そう」
後輩ちゃんが小さく笑った。
しばらくして、後輩ちゃんが少しだけ声を落とした。
「先輩」
「ん」
「小さいって言われたの、そんなに嫌だったんですか?」
部屋が少し静かになった。
最強メンタル計画ちゃんは、ノートを見た。赤ペン先生が赤を入れたページ。
その下に、小さく書かれた一行。
可愛いだけ、ください
「……少し」
「少しより少し?」
赤ペン先生が聞いた。
「少しより、少し」
「そっか」
後輩ちゃんは、まっすぐ最強メンタル計画ちゃんを見た。
「私は、先輩のこと、可愛いと思います」
「……ん」
「でも、小さいって言うのは、やめます。可愛いだけにします」
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ耳を動かした。
「可愛いだけ」
「はい! 可愛いだけです!」
「……ありがとう」
後輩ちゃんが、両手で口元を押さえた。
「いまの、普通ですか?」
赤ペン先生に聞いた。
「普通」
「普通なのに、かなり効きました」
「でしょ」
「はい」
赤ペン先生は、少しだけ笑った。
「だから、薬はいらないんだよ」
「ん」
「嫌なら、嫌って言う。可愛いだけ、ください、って言う」
「使う場面に注意」
「ん」
後輩ちゃんは、小さく手を挙げた。
「私は、いつでも受け付けます!」
「あなたが受け付ける側じゃない」
「はい!」
後輩ちゃんは、ようやく少し落ち着いたらしい。ノートを机の上に置いた。
「今日のこと、私のノートにも書いていいですか?」
「だめ」
赤ペン先生が即答した。
「えっ」
「あなたのノートに書くと、たぶん発展する」
「発展……」
「させない」
「でも、先輩が自分だけに使ったら周囲に影響が出た、という大切な教訓です!」
「言ってる内容は正しい」
「では!」
「でも書き方が危ない」
「書き方!」
最強メンタル計画ちゃんは、自分のノートを見た。
「書く前に見せる」
「そう。それならいい」
「私も見せます!」
後輩ちゃんが言った。
「お願いします」
赤ペン先生は、深くうなずいた。
今日の反省は、そこにあった。自分だけなら大丈夫。それがだめだった。書くだけなら大丈夫。それも、たぶんだめだった。だから、見せる。確認する。赤を入れる。
「今日、ありがとう」
最強メンタル計画ちゃんが言った。赤ペン先生の方を見ながら。名前は呼ばなかった。でも、誰に言っているかは分かった。
いつもの声だった。短くて、静かだった。
赤ペン先生は、少しだけ息を止めた。それから、赤ペンを持ち直した。
「……どういたしまして」
「後輩ちゃんも」
「はい!」
「会えた」
「会えました!」
「よかった」
後輩ちゃんがまた両手で口元を押さえた。
「普通なのに……!」
「普通でも効くときは効く」
赤ペン先生が言った。
「今日、分かった」
「はい……!」
最強メンタル計画ちゃんは、やっぱり少し分かっていない顔をしていた。
その顔は、いつもの顔だった。だから大丈夫だった。
たぶん。
「"たぶん"」
「禁止」
三人の声が重なった。