無人島・帰還塔シルエット

演習中盤

無人島演習、中盤。

その日の午後は長かった。スタミナ施設の追加セットをこなして、根性施設の急坂を二往復して、賢さ施設のクイズに頭をつかって、班全員でへとへとになりながら帰路についていた。

スタンプ帳は半分を越えている。ハンバーグも、もう見えてきた。見えてきたから、足が速くなる。足が速くなるから、また迷子が出かけた。

「待って待って。地図、どっち?」

「こっち。合流標、見える?」

「見える! 青い布!」

「そっちに向かって」

合流標が、今日も機能していた。三日目に立ててから、道に迷いかけるたびに班の子たちが青い布を探すようになっていた。四本目は昨日、林の奥の分岐に追加した。低い杭に、短い布。地図に全部記録してある。

丘の上で

帰路の途中、一度だけ丘を越える。丘の上から、林の方角が見渡せる。

最強メンタル計画ちゃんは、足を止めて、振り返った。

林の中に、青い布が四本。三日目から少しずつ増えた、合流標の列。低い。短い。ただの布と流木。それが、遠くから見ると、ちゃんと目印として並んでいる。

「見える」

「見えるねー。今日もちゃんとあって安心した」

同室の親友が、疲れた足でそう言った。今日も三往復以上している。足は重いが、合流標のおかげで道に迷う時間は減った。

「帰れる」

「帰れる。標のおかげで」

「ん」

最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ耳を揺らした。帰れる。ちゃんと、見える。

班の子たちも、足を止めて振り返っていた。

「今日は早く帰れそう」

「ほんと。昨日より全然迷わなかった」

「青い布、見えると安心するよね」

みんなが頷く。同室の親友も、頷く。

そのまま、丘を下りようとした。

その時、風が来た。

角度が違った

夕方の風。海の方から来る、少し強い風。

最強メンタル計画ちゃんが、また振り返った。

何か、おかしかった。

おかしいというより、違う。昨日までと、違う。太陽が低い。夕方の角度で、光が横から射している。流木の影が、砂の上に長く伸びている。

布が、風を受けて、ぱたりと広がった。

四本の布。並んだ流木の影。砂の上に走る長い輪郭。根元で光を返す貝殻。

それが、遠くから見ると。

「……」

誰かが、言葉を止めた。

「あれ、なに」

班の子が、一人、首を傾けた。

「……標」

「標なんだけど」

「なんか、形」

「形?」

「……輪郭。布と流木の隙間から、夕日が、切り抜かれてて」

班の子が、その先を言おうとして、やめた。言葉にしてはいけない気がした。でも、見えている。

見えている。

ファンなら分かる形だった。トレセン学園でスピカさんのライブに行ったことのある子なら、どこかで目にしたことのある、あの立ち姿に似た。音もなく。映像もなく。ただ、風と布と夕日と影が偶然作り上げた、輪郭。

「……スピカさんが、入ってない」

誰かが、確認するように言った。

「声も映像も香りも、ないよね」

「ない」

「ないのに」

班の子の膝が、少し、曲がった。

「あ」

「待って」

「無理」

一人目が、砂の上に座り込んだ。

二人目が続く。

「幸せ……」

「え、なんで、私も」

三人目、四人目。次々と膝をついて、砂の上に。怪我じゃない。泣いているわけじゃない。ただ、ものすごく幸せそうな顔で、倒れている。

最強メンタル計画ちゃんは、踏ん張った。

帰るための標だ。帰れる。帰れるものを作った。塔じゃない。標だ。布と流木。貝殻。全部、帰るため。

でも。

遠くの輪郭が、風でまた動いた。

布が膨らんで、貝殻が光って、影が揺れた。

「……帰れない」

最後まで立っていた足が、砂の上についた。

静かに、幸せそうに、倒れた。

一人

砂浜に、倒れた班の子たちと、スタンプ帳と、紙地図が散らばった。

同室の親友は、立っていた。

立っていた。

ちゃんと立っていた。——目を細めて、口を結んで、なんならコースの方向を向いて、林の方角をあえて見ないようにしながら。

「…………っ」

奥歯を噛んだ。

見ない。見ない。あれは標だ。布だ。流木だ。班色の布が、四枚。それだけだ。スピカさんの音声も映像も香りも、何も入っていない。私はよく知っている。全部、正しかった。全部、正しかったんだから、私が倒れる理由は——

手が、非常用GPS携帯に伸びた。

それが一番、正しい行動だった。

「——位置、共有。全員確認します」

声は、少し低かった。

画面を操作する指が、かすかに震えていたが、それは疲れのせいだと決めた。

浜辺待機所のトレーナーから、応答が来た。

「位置確認。丘の西側、合流点手前。全員ダウン。バイタルは正常範囲。——またあれですか?」

「……またあれです」

「了解。様子見で続けます」

電波が、切れた。

同室の親友は、膝の力が少し抜けそうになった。

いや。今は立つ。

ただし、林の方角は、もう少しだけ見ないことにした。

目が覚めた

意識があるのは、少し後。

砂の上。空が、さっきより少し暗い。夕日がもう少し沈んで、光の角度が変わっていた。

最強メンタル計画ちゃんは、ゆっくりと上半身を起こした。

班の子たちが、あちこちで目を覚ましている。

「……起きた」

「起きたねー」

同室の親友が、砂の上に座っていた。倒れていない。でも、班の子が「赤ペン先生、顔が少し赤いよ」と言ったのには答えなかった。

「大丈夫?」

「大丈夫。全員のバイタル確認済み。怪我なし。GPS、ちゃんと届いた」

班長が、非常用GPS携帯の画面を見せた。浜辺待機所からの返信。班全員の位置が記録されている。

「これ、初めてちゃんと使えたね」

「帰還塔のせい」

「塔、作ってないよ」

最強メンタル計画ちゃんは、林の方向を見た。夕日が変わった今、標の列は、ただの低い流木と短い布に戻っていた。塔には、見えない。

「塔、作った?」

同室の親友に聞いた。

「作ってない。景色が、勝った」

「景色が」

「あなたは何もしてない。標は正しかった。でも夕方の角度と風と貝殻が、たまたま全部一致した」

「……たまたま」

「たまたま。——ただし、明日、全部解体」

「解体」

「地図は残す。標は、はずす。貝殻は、浜辺に返す」

「……わかった」

最強メンタル計画ちゃんは、紙地図を拾い上げた。合流標の番号が書いてある。明日、全部消す。

「帰還塔」

小さく、呟いた。

「命名、禁止」

同室の親友が即座に言った。

「帰るための標だったから」

「帰還標、ならまあいい」

「……帰還標」

「それくらいなら」

班の子たちが、ぼんやりした顔で立ち上がり始めていた。「幸せだった……」「なんか、良いもの見た気がする」「何も見てないよ」「見たよ」。口々に言いながら、砂を払っている。

最強メンタル計画ちゃんは、林の方角を見た。

標が、夜風に揺れている。明日、あれを解体する。帰るための標は、朝になれば、ただの低い流木だ。

「帰ろう」

「帰ろうねー」

同室の親友が、立ち上がった。その時だけ、少しだけ足元がふらついた気がしたが、誰も言わなかった。

班は、浜辺のテントへ向けて歩き出した。

翌朝

朝の光では、ただの流木だった。青い布も、短い。貝殻も、普通に白い。

林の方角を見た。標が低かった。

「解体、今日やるね」

「ん」

三十分で終わった。布を回収して、貝殻を浜辺に返して、流木を元の場所へ戻した。

テントに戻って、ノートを開いた。

「書く前に見せて」

差し出した。


帰還標(解体済み)

夕方だった。

次は——


「最後の行」

「……書きかけただけ」

「書いたよね」

「書きかけた」

「書いた」

赤線が引かれた。それだけだった。