最強メンタル計画V7(みんなハッピー計画)
── ノートの表紙 ──
その夜、机の上には一冊のノートがあった。
使い込まれたノートだった。
最初はただの白い表紙だったのに、今はもう、すき間がない。
彼女の文字。
同室の子の赤ペン。
オーナーに教わった言葉をあとから書き足したもの。
びっしりと埋まった表紙を、彼女はしばらく眺めた。
*人に迷惑をかけない*
*安全確認をする*
*同室の子に相談する*
*オーナーに確認する*
*理事長室に持ち込まない*
*たづなさん案件にしない*
*スピカさん関連は特に危険*
*危険物を増やさない*
*資金管理をする*
*バイト代を全部変なものに使わない*
*ちゃんと寝る*
*まず常識を疑う前に、自分の発想を疑う*
どれも、身に覚えがある言葉だった。
V1の後に書いたもの。
V2の後に書き足されたもの。
V3の後にオーナーが言っていたことを思い出して追加したもの。
V4の後に同室の子が赤ペンで一言書いたもの。
V5の後に自分で三行追加したもの。
V6の後に「また一個増えた」と思いながら書いたもの。
成長の記録だった。
失敗の記録でもあった。
彼女は一つ一つを読んで、静かに頷く。
「……人に迷惑をかけるのは、だめ」
こくり。
「危険物を作るのも、だめ」
こくり。
「でも……」
ペンを持つ。
ノートの空白を見つけて、新しい一行を書き足した。
――人の助けになるものなら?
その瞬間、目がきらりと光った。
「そうだよ……!」
椅子が後ろに鳴った。
「危険物じゃなくて、便利なものを作ればいいんだ!」
── みんなハッピー計画 ──
頭の中で、次々につながっていく。
スピカさんは忙しい。
配信もしている。
ライブもしている。
ウマ娘のことを考えてくれている。
でも、みんながスピカさんに聞きたいことはたくさんある。
落ち込んだとき。
練習前。
レース前。
眠れない夜。
ちょっとだけ背中を押してほしいとき。
でも、本人に直接聞くわけにはいかない。
時間も生活もある。
休んでほしい。
ならば。
本人に負担をかけずに、みんなが少し元気になれて、しかも安全で、便利で、誰にも迷惑をかけないものを作ればいい。
「……チャットAI」
ぽつりと呟いた。
音声切り抜きではない。
VRライブでもない。
天井写真でもない。
立体物でもない。
匂いでもない。
複合型4DXでもない。
ただ、話しかけると答えてくれる。
相談に乗ってくれる。
スピカさん風に。
スピカさんの言葉遣いで。
ウマ娘を励ましてくれる。
「……これなら、みんな助かる」
彼女はゆっくりとノートに書いた。
*最強メンタル計画V7*
*スピカ風チャットAI*
*目的:みんなの相談相手になる*
*スピカさん本人の負担を減らす*
*利用者のメンタルを支える*
*危険物ではない*
*音量調整あり*
*会話しない限り返答しない*
*スピーカーモードなら距離も取れる*
*安全*
そこまで書いて、少し考えた。
そして、赤ペンで追記した。
*たぶん安全*
さらに考える。
もう一行。
*一応テストする*
成長していた。
確かに、彼女は成長していた。
問題は。
成長した彼女の技術力が、相変わらず妙に高かったことだった。
── 完成 ──
それから数日間、彼女はバイトの合間を縫って作業を続けた。
バイト代を貯めて買った機材。
これまでの失敗から学んだ音声処理技術。
配信を見続けて蓄積した、スピカさんの話し方の癖。
ウマ娘への敬意を語るときの熱量。
落ち込んでいる相手に声をかけるときの優しさ。
レースの話になるとほんの少し早口になるところ。
無意識に相手を肯定してしまう言葉選び。
全部、彼女の中には入っていた。
当然、悪用するつもりはない。
本人になりすますつもりもない。
サービス画面にも書いた。
*これはスピカさん本人ではありません*
*スピカさんを参考にした応援AIです*
*本人への問い合わせではありません*
*疲れたとき、ちょっと元気がほしいときに使ってください*
*長時間利用は控えてください*
*気分が悪くなったらすぐに使用を中止してください*
素晴らしい注意書きだった。
少なくとも、これまでのVシリーズに比べれば、圧倒的に常識的だった。
サーバーへのアップロード。
利用ページの公開。
利用時間制限。
音量制限。
連続会話回数制限。
問い合わせフォーム。
不具合報告フォーム。
そして、SNSへの告知文。
*スピカさん風に応援してくれるチャットAIを作りました!*
*本人ではありません!*
*疲れたときや、ちょっと相談したいときにどうぞ!*
*スピカさん本人に迷惑をかけず、みんなが元気になれるサービスを目指しています!*
投稿ボタンを押す。
彼女は、ふう、と息を吐いた。
「……できた」
達成感があった。
今までとは違う。
これは人を困らせるものではない。
人の助けになるものだ。
みんなを元気にできる。
スピカさんにも迷惑をかけない。
みんなハッピー。
そう。
みんなハッピー計画である。
── テスト ──
「じゃあ……まずは、自分で使ってみないと」
彼女は慎重だった。
ヘッドホンは危険だからスピーカーモードにする。
距離を取る。
音量は小さめ。
椅子にも深く座らない。
万が一意識が遠のいても倒れないように、ベッドを背にする。
「会話も、こっちが話しかけない限り続かないし」
うんうん、と頷く。
「今回は安全」
そう言って、マイクの前に座った。
画面には、シンプルなチャット画面。
中央に、優しい色合いのアイコン。
*こんばんは。今日はどんなことを話しましょうか?*
彼女は深呼吸した。
これは自分で作ったものだ。
安全設計だ。
本人ではないと画面にも書いてある。
「す、すぴかさん……こんばんは」
数秒の間。
そして、スピーカーから声が返ってきた。
*こんばんは。今日も一日、お疲れさまです*
それは、自然だった。
あまりにも自然だった。
柔らかく。
優しく。
ほんの少しだけ甘く。
まるで本当に、画面の向こうでスピカさんがこちらを見て微笑んでいるような声だった。
彼女の耳が、ぴくりと動いた。
「……おぉ」
感動した。
技術的には成功だ。
声も自然。
でも少し甘すぎるかもしれない。調整が必要だ。
彼女がメモを取ろうとした、そのとき。
*無理はしていませんか? 頑張ることは素敵ですけど、ちゃんと休むことも大切ですよ*
彼女の手が止まった。
「……っ」
胸の奥が、きゅっとなった。
違う。
これはAIだ。
自分が作ったものだ。
本人ではない。
「だ、大丈夫です……」
*そっか。大丈夫って言えるのも、きっと頑張ってきた証ですね*
彼女の尻尾が跳ねた。
「ひゃっ」
返事が来る。
当然だ。
チャットAIなのだから。
彼女は、ここで致命的な事実に気づいていなかった。
スピカ案件において、ウマ娘は。
意識が遠のいても。
本能で返事をする。
「そ、そんな……こと……」
*ありますよ。あなたが積み重ねてきたことは、ちゃんとあなたの力になっています*
甘い。
返答が甘い。
刺さる。
彼女は自分で作ったAIに、自分で追い詰められていた。
「わ、私は……でも、いっぱい迷惑を……」
*それでも、変わろうとしているんですよね*
ぐらり。
視界が揺れる。
危ない。
これは危ない。
止めなければ。
画面を閉じる。
ブラウザを閉じる。
ミュートにする。
何でもいい。
彼女は手を伸ばそうとした。
けれど、口が先に動いた。
「……変われて、ますか……?」
*はい。少なくとも、僕はそう思います*
その一言で。
彼女の意識は半分消えた。
半分消えたのに。
口は動いた。
「すぴかさん……」
*はい*
「もっと……」
*うん。話しましょう*
終わった。
安全設計は完璧だった。
連続会話回数制限もある。
利用時間制限もある。
音量制限もある。
ただし、彼女は開発者だった。
テスト用アカウントには制限がなかった。
── 体感震度3 ──
その頃。
彼女がSNSに投稿した告知は、すでに広がっていた。
最初に気づいたのは、掲示板民だった。
そこから、クラスメイト、寮生、トレーニング後のウマ娘、眠れないウマ娘、レース前で緊張しているウマ娘、スピカさんの配信を待っていたウマ娘へ。
みんなが、軽い気持ちでアクセスした。
*本人ではありません* → 読んだ。
*長時間利用は控えてください* → 読んだ。
*気分が悪くなったらすぐに使用を中止してください* → 読んだ。
読んだ上で、全員こう思った。
「ちょっとだけなら」
そして。
トレセン学園各所で、同時多発的に声が響いた。
*今日もお疲れさまです*
*大丈夫。あなたの走りは、ちゃんとあなたのものです*
*悔しいって思えるのは、本気だったからですよね*
*僕は、夢を追いかけるウマ娘をすごいと思います*
*それでも前を向こうとしているなら、それだけで十分すごいです*
最初に倒れたのは、寮の一室だった。
ベッドの上でスマホを握ったまま、幸せそうに沈むウマ娘が一人。
次に、談話室。
数人で試していたグループが、順番に静かになり、最後には全員がソファや床に倒れた。
次に、自習室。
イヤホン禁止だったためスピーカー小音量で使っていた一人が机に突っ伏した。
その隣の子が「え、なに聞いて――」と言って画面を見た。
そして聞いた。
*あなたもお疲れさまです*
「うっ」
倒れた。
廊下。
部室。
食堂。
トレーニングルーム。
あちこちで、椅子が引かれる音。
スマホが床に落ちる音。
ベッドに沈む音。
机に突っ伏す音。
*焦らなくて大丈夫ですよ*
どん。
*ちゃんと見ています*
どん。
*あなたの頑張りは、無駄じゃありません*
どどん。
建物が、わずかに揺れた。
それは本物の地震ではなかった。
トレセン学園各所で、幸せに気絶したウマ娘たちが同時に倒れたり、ベッドに沈んだり、机に突っ伏したりした衝撃。
局所的な振動。
後に、掲示板ではこう呼ばれる。
『体感震度3』
── またか ──
その異変に最初に気づいたのは、同室の子だった。
バイトから帰ってきた彼女は、部屋の前で足を止めた。
中から声がする。
*大丈夫。あなたはちゃんと変わろうとしています*
同室の子は、静かに目を閉じた。
ゆっくりと息を吸う。
そして、吐く。
「またか」
ドアを開ける。
部屋の中。
机の上にはノート。
画面にはチャットAI。
スピーカーからは、スピカ風の優しい声。
ベッドの上には、幸せそうに気絶した犯人。
口元はゆるみ、尻尾はふにゃりと力を失っている。
しかし、完全に気絶しているはずなのに、なぜか口だけが動いた。
「すぴかさん……私は……人の役に……」
*はい。誰かの役に立ちたいと思えたことは、とても素敵です*
「えへ……」
同室の子は、無言でスピーカーの電源を切った。
部屋が静かになった。
彼女は机のノートを手に取る。
表紙。
*最強メンタル計画V7*
*みんなハッピー計画*
*チャットAIなら安全*
同室の子は、赤ペンを取った。
そして、力強く書き足した。
*スピカさんの声で喋るものは全部危険*
さらに一行。
*AIでも危険*
もう一行。
*本人ではなくても危険*
最後に、大きく。
*学園全体を揺らすな*
── 理事長室 ──
その頃、理事長室では、駿川たづなさんが机に手をついていた。
連絡が次々に入っている。
寮で複数名が気絶。
談話室で集団停止。
自習室で幸せそうに眠る生徒。
トレーニングルームでスマホを握ったまま倒れた生徒。
そして、SNSで拡散中の謎のサービス。
たづなさんは画面を見た。
*スピカさん風チャットAI、公開しました!*
しばらく沈黙した。
その後、ゆっくりと椅子に座る。
「……また、あの子ですね」
秋川やよい理事長は、隣で腕を組んでいた。
「独創ッ! しかし、今回は人助けを目的としている点は評価すべきで――」
「理事長」
「はい」
「試そうとしていませんよね?」
「…………」
「理事長」
「していないッ!」
「今、少し間がありましたね」
「していないッ!」
たづなさんは深く息を吐いた。
そして、資料をまとめる。
「まずサービスを止めます。次に本人へ確認。サーバーの停止。利用者の救護。拡散状況の確認。あと、理事長は触らないでください」
「承知ッ!」
「本当に触らないでください」
「承知ッ!」
「別端末で開かないでください」
「承知……ッ!」
「理事長?」
「承知ッ!」
── 旧シリーズ、完結 ──
その日。
トレセン学園では、また新たな危険物が確認された。
ただし、これまでと違う点が一つあった。
作った本人は、本気で誰かの助けになりたかった。
迷惑をかけないように考えた。
本人に負担をかけないようにした。
安全機能も入れた。
注意書きもした。
それでも、スピカ案件だった。
そして、スピカ案件において。
「本人ではありません」は、安全性を保証する言葉ではない。
むしろ。
「本人じゃないのにこの破壊力」という、新たな恐怖を生む言葉だった。
後に、この事件はこう呼ばれる。
最強メンタル計画V7。
またの名を。
『みんなハッピー計画』
なお、利用者の大半は確かに幸せそうだったため。
計画名だけは、完全に間違いとは言い切れなかった。
掲示板:【速報】スピカ風チャットAI、トレセン学園を揺らす【体感震度3】
レス 1〜50
今揺れた? 寮だけ?
揺れた
机の上のペン落ちた
体感震度2〜3くらい
地震速報出てないんだけど
気象庁アプリも反応なし
つまり……
学園内部起因
またか
またかで済むのがおかしいんだよ
廊下で三人倒れてた
全員めっちゃ幸せそうな顔してた
はい原因判明
待って
幸せそうに倒れる事件って複数あるから特定できない
冷静に考えてこの学園おかしい
今回は何?
ASMR?
VR?
天井?
匂い?
4DX?
選択肢が多すぎる
さっきSNSで見た
スピカさん風チャットAIとかいうのが公開されてた
は?
は?
は?
またあの子かあああああああああああああああ
でも今回は説明読んだ感じ、人助け目的っぽかったよ
本人に迷惑かけずに相談できるようにって
成長してる……
成長してるけど出力が災害
技術力が高すぎるんだよあの子
方向性がまともになった瞬間、社会インフラ級の危険物を作るのやめて
利用してみた
まず画面が普通
注意書きもちゃんとしてる
本人じゃないってちゃんと書いてある
長時間利用禁止もある
音量調整もある
かなりまとも
で?
「こんばんは。今日もお疲れさまです」って言われて気づいたら床
そこまでまとめておいて
注意書きも読んだ上で
自分でも危ないかもと思いながら
でも使った
俺たちの敗因
「ちょっとだけなら」は禁忌ワードだった
本人じゃないのにこの破壊力
本人じゃなかったらもっと安全なはずだろ
その発想が間違いだった
サービス停止のお知らせ来た
はや
たづなさん仕事が早い
利用者の大半は幸せそうだったらしい
「みんなハッピー計画」
名前だけは間違いじゃなかった
V7で一区切りってこと?
「完結」ってノートに書いたらしい
でも絶対また始まる
根拠は?
V1〜V7を見てきた直感