2話・来る前から伝説
朝礼
筋肉痛がすっかり引いた頃、全校朝礼があった。
体育館に全校生徒が集まった。秋らしい空気だった。窓から差し込む光が、夏より少しだけ斜めになっていた。
たづなさんがマイクの前に立った。
「今年の秋、地方トレセン学園との交流イベントを実施します」
静かだった。
「交換留学生として、地方の学生を一名、こちらで受け入れることになりました。期間は約三週間を予定しています」
最強メンタル計画ちゃんの耳が、ぴこ、と動いた。
地方。交流。来る。
「詳細は後日連絡します。受け入れにご協力をよろしくお願いします」
たづなさんが話し終えた。体育館がざわっとした。「地方ってどのへん?」「交流生、どんな子なんだろ」「うちの部屋に泊まることとかある?」
最強メンタル計画ちゃんは、前を向いたまま、少しだけ考えていた。
遠くから来る。三週間。知らない子。
知らない子が来るのは、少しどきどきする。いい方のどきどきか、そうじゃない方のどきどきかは、まだ分からなかった。
朝礼が終わって、外に出た。
後輩ちゃんが走ってきた。
「先輩! 聞きましたか!!」
「聞いた」
「地方から交流生が来るんですよ! すごくないですか!!」
「すごい」
「私、案内役やりたいです!」
最強メンタル計画ちゃんが後輩ちゃんを見た。後輩ちゃんが「だめですか?」と聞いた。
「だめじゃない」
「じゃあ、やります! 先輩のことも紹介できますし!」
赤ペン先生が手帳を取り出した。何かを書き始めた。
「何、書いてるの」と最強メンタル計画ちゃんが聞いた。
「メモ」
「何の」
「後輩ちゃんが案内役になったときにやることリスト」
「……準備が早い」
「後輩ちゃんが動き始めてから準備しても間に合わないから」
後輩ちゃんが「私、信頼されてない感じがします……!」と言った。赤ペン先生が「信頼してるから準備するんだよ」と返した。
「それ、信頼の使い方が違う気がします!」
「合ってるよ。夏の実績に基づいてる」
「夏は、ちゃんと相談しました!」
「相談して、それでも事故ったでしょ」
「……しました」
「だからリスト」
後輩ちゃんが「むぅ」と言った。でも、それ以上は反論しなかった。夏に学んだことの一つだった。
三人が話していた、少し離れたところで、たづなさんが立っていた。
朝礼の資料を抱えて、どこかへ行こうとしていた。でも、後輩ちゃんの「案内役やりたいです」という声が聞こえたらしい。
たづなさんは一度足を止めた。
「……後輩ちゃんが、案内役、か」
小さく言った。誰にも聞こえないくらいの声だった。
それから、何かを確認するような顔をして、また歩き始めた。
歩きながら、頭の中で一つ、付け足した。今度の受け入れ準備の項目に、もう一行。
草案、来る
交流生が来るまで、あと二週間になった。
後輩ちゃんが資料を持って来たのは、その日の放課後だった。
「先輩! 赤ペン先生! 資料の草案ができました!」
元気よく扉を開けた。分厚いクリアファイルを両手で抱えている。
分厚かった。両手で、抱えるしかない厚さだった。
最強メンタル計画ちゃんはノートを見ていた顔を上げた。赤ペン先生は本から目を上げて、クリアファイルを見た。目がそのまま、クリアファイルの厚みに止まった。
「……何を紹介するつもり?」
「先輩の活動です! 来てくれる交流生の方に、先輩がどんなことをしてきたか知ってもらえたら嬉しいと思って!」
「それは、分かった。何を紹介するつもり、って聞いてる」
後輩ちゃんが胸を張った。「全部です!」
赤ペン先生の目が細くなった。「見せて」
テーブルの上に、紙が広がった。
旧V1。旧V2。旧V3。旧V4。旧V5。旧V6。旧V7。真V1。真V2。真V3。真V4。真V5。真V5.5。真V6。真V7。真V8。フィジカルV1。V2。V3。V4。V5。V6。V6.1。V6.2。V7。V8。最強引き継ぎ計画V1〜V5。
ずらっと並んでいた。
一枚一枚に、後輩ちゃんの丁寧な字で説明が書いてあった。ところどころに、かわいいイラストまで添えてあった。
赤ペン先生がしばらく黙っていた。
「……後輩ちゃん」
「はい!」
「これ、見た人が来る前に帰らない?」
「大丈夫です! 良いところだけ書きました!」
「良いところだけ書いても……」
赤ペン先生が一枚目を手に取った。旧V1のページだった。説明欄に「スピカさんの声を集めてみんなに届けようとしました!」と書いてあった。
「……残る情報があるんだよ」
「でも本当に良いところだけなんです! 危ないところは全部省いて、その制作物が誰かを助けた部分だけを書きました!」
最強メンタル計画ちゃんは、後輩ちゃんが作った資料をのぞき込んだ。
旧V2のページ。説明欄に「入学前の私が先輩のVRライブに救われました。前を向くきっかけになりました」と書いてあった。
「後輩ちゃんが選んだなら、大丈夫だと思う」
「ありがとうございます、先輩!!」
赤ペン先生が「そこに同意しないで」と言った。
赤入れ
赤ペン先生が、赤ペンを取り出した。
キャップを外す音が、妙にはっきり聞こえた。
「一枚ずつ見る。二人とも、文句は最後にまとめて聞く」
作業が始まった。
一枚目。旧V1。
「『スピカさんの声を集めて』——集め方には触れてないけど、音源管理の注記がない」
赤線。
「音源管理って何ですか?」
「説明しない方がいいやつ。だから線を引いてる」
二枚目。旧V2。
「『ループ設定で何度でも』……ループの話は書かなくていい」
赤線。それから、同じページの「入学前の私が救われました」のところに、赤で丸を付けた。
「ここは残す」
「丸、もらいました!」と後輩ちゃんが言った。
三枚目。旧V3。
「静止画の枚数が書いてある」
「枚数、だめですか?」
「枚数だけで何かが伝わるんだよ、これは」
赤線。
四枚目。旧V4。
「『未遂』って書いてある」
「未遂は良いところだと思って! 止まったので!」
「止まったのは良いところ。でも『何の未遂か』を読んだ人は考えるでしょ」
「……考えますね」
「書かなくていい」
赤線。
五枚目。旧V5。
「密閉保管の理由が書いてある」
「理由がないと、どうして密閉なのか分からないと思って」
「分からなくていいの。理由は書かなくていい」
赤線。赤線。赤線。
「先輩の活動量ってあらためて見るとすごいですよね」と後輩ちゃんが言った。
「すごい」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「すごいのは認める。でも今、私の手が止まらないのも事実だよ」と赤ペン先生が言った。
作業は続いた。
真V3のページで手が止まった。「隠れスピカ探し……『探し方のコツ』まで書いてある」
「コツ、いりませんか?」
「いらない。これは遊び方の説明じゃなくて、再現手順なの」
赤線。
真V6のページで、少し長く手が止まった。「スピカ4DXスーパーデラックス……」と小さく言った。それから無言で赤線を引いた。
「真V6、説明ごと消しますか?」と後輩ちゃんが聞いた。
「消す。これは紹介しない」
「でも発想はすごかったんですよ!」
「発想がすごいのと、紹介していいのは別の話」
後輩ちゃんが「むぅ」と言った。最強メンタル計画ちゃんも似たような顔をした。
「二人して納得しない顔しないで」
真V7のページ。
「『リアルタイムで変換』……この単語の並びが、もうだめ」
「単語が、ですか?」
「単語が。読んだ人の頭の中で完成しちゃうから」
赤線。
フィジカルV6.1のページで、手が止まった。
「朝日と鳥の声の目覚まし。……これは良品」
赤丸。
「丸だ!」
「良品は残す。実績もある。これは紹介していい」
真V5のページ。ハンドクリーム。赤丸。真V8のページ。指輪。少し見てから、赤丸。
「丸が増えてきました!」
「最初から丸だけの資料を持ってきてくれると、私の放課後が守られるんだけどね」
「次からそうします!」
「次があるんだ」
一時間後。
テーブルの上の紙の山が、ずいぶん薄くなっていた。
削除されたページが別の山になっている。元の草案の三分の二くらいある。
「だいぶ減った」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「減ったね」と赤ペン先生が言った。「でもこれでも多い」
「まだ減りますか?!」と後輩ちゃんが言った。
「たづなさんに最終確認してもらう。その前にもう一回見る」
赤ペン先生が残ったページをもう一度確認し始めた。
残ったもの
最強メンタル計画ちゃんは残った資料をながめた。
旧V2の「前を向くきっかけになりました」というページ。フィジカルV1の「走るのが怖くなくなりました」というページ。真V5の「親友の手が少し楽になりました」というページ。最強引き継ぎ計画V5の「一人でいてもふわさらでした」というページ。
後輩ちゃんが選んだのは、助かった人の話だった。
全部、本当のことだった。
「……後輩ちゃん」
「はい!」
「これ、全部、本当のこと?」
「本当のことです! 全部、実際に言ってもらったか、私が経験したことです!」
最強メンタル計画ちゃんは、少し考えた。
「……知らなかったこと、あった」
「え?」
「真V5の……手が楽になった、って。これ、初めて聞いた」
後輩ちゃんが「あ、聞いてませんでしたか?! 赤ペン先生がずっと使ってくれてるって聞いて、私が直接話を聞いたんです!」と言った。
赤ペン先生がページから目を上げた。少し黙っていた。
「……まあ、使ってるよ」
「ありがとう」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
赤ペン先生が少し目を伏せた。「どういたしまして」
それから、ごまかすようにページをめくる速度が上がった。後輩ちゃんが、二人を交互に見て、にこにこしていた。
「何笑ってるの」
「何でもないです!」
たづなさんの確認
翌日の放課後、三人でたづなさんのところへ行った。
後輩ちゃんが「交流生への紹介資料の最終確認をお願いしたいです!」と言いながら資料を差し出した。たづなさんが受け取って、一枚ずつめくり始めた。
廊下の窓から、グラウンドで走っているウマ娘たちが見えた。秋の午後の光だった。
たづなさんがページをめくる音だけが続いた。
後輩ちゃんが小さく「どうですか……?」と聞いた。
「今確認しています。少し待ってください」
またページをめくる音。
めくる速さは、ずっと同じだった。表情も、ずっと同じだった。柔らかいまま、目だけが一行ずつ確実に進んでいく。後輩ちゃんは、その一定の速さが、なんだか一番緊張すると思った。
赤ペン先生が「問題のある記述は削除してあります。残っているのは具体的な効果の記述と、実際の経験談だけです」と言った。
たづなさんが「ありがとうございます」と言って、最後のページをめくった。
しばらく、静かだった。
「……よくできていますね」
「本当ですか!!」と後輩ちゃんが言った。
「はい。危険な記述は取り除かれていて、良い部分が丁寧に書かれています。これなら渡して大丈夫です」
「やった!!」
「ただし」とたづなさんが続けた。「交流生の方が質問してきたときのことを、少し考えておいてください。この資料を見て、詳しく聞きたくなる部分があるかもしれません」
「はい! 答えてもいいですか?」
「答える前に私を通してください。内容によります」
「分かりました!」
たづなさんが資料をクリアファイルに戻した。それから、赤ペン先生の方を見た。
「赤ペン先生、今回も助かりました」
「いえ……私だけだと、たづなさんの確認がないと不安なので」
「それでいいと思いますよ」とたづなさんが言った。「一人で全部抱えなくていいんです。確認するために私がいますから」
赤ペン先生が「……はい」と言った。
後輩ちゃんが「赤ペン先生もすごいんですよ!」と言った。
「ありがとう。でも今回はたづなさんが」
「二人ともすごいんです!」
たづなさんが小さく笑った。最強メンタル計画ちゃんも、少しだけ笑った。
帰り際、たづなさんがクリアファイルを後輩ちゃんに渡しながら、言った。
「良い資料です。……良い資料なので、扱いには気をつけてくださいね」
「良いのに、気をつけるんですか?」
「良いものほど、よく伝わりますから」
後輩ちゃんは、よく分からないという顔で「はい!」と返事をした。
分かっていないな、という顔を、たづなさんと赤ペン先生が同時にした。二人は目を合わせなかったが、同じ顔をしていた。
トレセン学園スレ
【速報】地方から交流生が来るって【後輩ちゃんが即案内役立候補した】
レス 1〜50
今日の朝礼聞いた?
地方から交流生が来るやつ?
三週間
後輩ちゃんが朝礼終わってすぐ案内役立候補したって
早い!
朝礼終わって何秒後?
秒単位だったらしい
赤ペン先生がその場でメモ取り始めてたって
何のメモ?
「後輩ちゃんが案内役になったときにやることリスト」
リスト!?
「後輩ちゃんが動き始めてから準備しても間に合わない」って言ったらしい
夏を経て赤ペン先生の防衛意識が段違いになってる
成長の方向がそっちか
後輩ちゃんが案内役ということは先輩の活動を紹介する流れになるよな
「先輩のことも紹介できます!」って言ってたって
後輩ちゃんが選ぶとどうなる?
全部良いところになる
やめろ
たづなさんが確認するような顔をしてたって
たづなさんはいつも気づいてる
気づいてるから対策を立てる
頼もしすぎる
三週間か
三週間あれば最強メンタルちゃんは
やめろ
でも三週間で終わるとも限らないし
本当にやめろ
【来る前から伝説】後輩ちゃんが紹介資料を作った件【全部入ってた】
レス 1〜50
後輩ちゃんが交流生のために紹介資料を作ったって
何の紹介
最強メンタルちゃんの活動一覧
草案の段階でV1からフィジカルVまで全部入ってたらしい
全部!?
「良いところだけ書きました!」って言いながら両手で抱えて持ってきたって
両手で抱える厚さの「良いところ」
後輩ちゃん……
イラスト付きだったらしい
かわいいが過ぎるが内容はV一覧なんだよな
赤ペン先生が一時間かけて三分の二削除した
三分の二!!
削除した方が多い
削除理由が聞きたい
「枚数だけで何かが伝わる」「単語の並びがもうだめ」「読んだ人の頭の中で完成しちゃう」
赤ペン先生の削除基準が情報戦のそれ
歴戦すぎる
でもまだ残ってる
残ってる量も相当だよね
後輩ちゃんが書いた活動の量が多すぎる
それはそう
たづなさんが最終確認してOK出したって
レス 51〜100
赤ペン先生+たづなさんのダブルチェック体制
「答える前に私を通してください」って質問対応の条件まで付いたらしい
たづなさんの先回りが完璧
後輩ちゃんが選んだの、全部本当のことだったらしい
助かった人の話だけ残ってる
後輩ちゃん、そっちだけは外さないんだよな
先輩のV2に救われた本人だから
だからちゃんと見える
たづなさんが最後に「良いものほど、よく伝わりますから」って言ったって
それ褒めてるけど警告だよね
両方なんだよ
その資料を見た地方の子が
やめて
後輩ちゃんが良いところだけ集めて
赤ペン先生が安全分だけ残して
たづなさんがOKを出した資料を
やめて
地方の子が読んで良いところを見つけて最強メンタルちゃんに伝えたら
やめろ!!
普通の子が来るかもしれないでしょ
そうだね
来てみないと分からない
うん
……まあ何か起きてもみんなで見守ろう
それしかない