3話・交流生、来る
到着
交流生が来た日は、晴れていた。
後輩ちゃんは朝から落ち着かなかった。朝食を食べながら「今日ですよ!」と言い、練習中も「今日ですよ!」と言い、練習が終わったら「もうすぐですよ!」と言った。
「分かってる」と赤ペン先生が言った。
「先輩、ちゃんと来れますよね?」
「来る」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「資料も持ちました! ハンカチも持ちました!」
「ハンカチは何に使うの」と赤ペン先生が聞いた。
「分かりません! でも持ちました!」
「うん。気合は伝わった」
玄関ホールで待った。たづなさんがすでに来ていた。手元に書類を持って、入口と時計を順番に見ていた。受け入れの段取りが、全部その書類に入っているらしかった。
正面の扉が開いたのは、約束の時間の少し後だった。
入ってきたのは、小柄な子だった。
荷物を抱えて、一度扉の前で立ち止まった。
すぐには進まなかった。まず、ホールの天井を見た。それから壁の掲示を見て、床を見て、最後に人を見た。たづなさんを見つけて、少し会釈した。それから後輩ちゃんを見て、また会釈した。
見る順番が、人より物の方が先だった。
「ようこそ。長い道のりでしたね、お疲れ様です」とたづなさんが言った。
「……ありがとうございます」と交流生が言った。
声は小さかった。でもちゃんと聞こえた。
「荷物、重かったでしょう。お部屋まで運ぶのを手伝いますね」
「……だいじょうぶです。自分で、持てます」
「そうですか。では、無理になったら言ってください」
たづなさんは、それ以上は言わなかった。書類を一枚めくって、案内の段取りを後輩ちゃんに引き継いだ。
「よろしくお願いします! 後輩ちゃんといいます。三週間、何でも聞いてください!」
「……よろしくお願いします」
案内
「食堂はこっちです! トレーニング施設はこっちです! 寮はこっちです!」
後輩ちゃんが元気よく歩く。交流生がその半歩後ろを、静かについていく。
最初の立ち止まりは、廊下の掲示板の前だった。
部活の勧誘。落とし物の知らせ。プチ学祭の写真。交流生は、その前で足を止めて、一枚ずつ見ていた。
「気になるところがありましたか?」と後輩ちゃんが聞いた。
「……いえ」
そう言って、また歩き始めた。でも、最後にもう一度だけ、プチ学祭の写真を見た。
二度目の立ち止まりは、渡り廊下だった。
窓の外に、グラウンドが見えた。午後の練習をしているウマ娘たちが走っていた。交流生は窓の前で止まって、しばらく見ていた。
「広いですよね!」と後輩ちゃんが言った。
「……広いです」
「自慢のグラウンドです!」
「……コース、何本あるんですか」
「えっと……何本でしたっけ?!」
後輩ちゃんが慌てて指を折り始めた。交流生が「……あとで、いいです」と言った。
三度目は、トレーニング施設の機材の前だった。
交流生は、機材の説明書きを最初から最後まで読んだ。触らなかった。読むだけだった。読み終わると、機材全体をもう一度見て、小さくうなずいた。何に納得したのかは、誰にも分からなかった。
その間、後輩ちゃんは次の場所の説明を三つ先まで進めてしまっていて、戻ってきた。
歩く速さが、合っていなかった。
後輩ちゃんは案内したいところがたくさんあって、速い。交流生は一つずつ見たくて、遅い。どちらも悪くないのに、廊下の途中で距離が開いた。
赤ペン先生が後輩ちゃんの隣に並んだ。
「後輩ちゃん」
「はい!」
「振り返ってみて」
後輩ちゃんが振り返った。交流生が、ずいぶん後ろで掲示物を見ていた。
「あ」
「案内って、連れて行くことじゃなくて、相手が見たいものを見られるようにすることだよ」
「……なるほど!」
「ゆっくりでいいよ」
「はい!」
後輩ちゃんが、少しペースを落とした。
それからは、交流生が立ち止まるたびに、後輩ちゃんも止まるようになった。止まって、交流生が見ているものを一緒に見た。説明できるものは説明して、説明できないものは「何でしょうね?」と言った。交流生が、少しだけ話すようになった。
「……これ、手作りですか」
「掲示板の飾りですか? あ、それ、文化部の子が作ったやつです!」
「……上手ですね」
「伝えておきます!」
最強メンタル計画ちゃんは、少し後ろを歩いていた。
交流生が立ち止まった場所を、なんとなく見ていた。
掲示板。窓。機材の説明書き。飾り。
人がたくさんいる場所では止まらなかった。物の前でだけ、止まった。
それが、なんとなく分かる気がした。物は、ゆっくり見ても、怒らない。
資料
一通り案内が終わって、談話室で一息ついた。
後輩ちゃんが「これを渡したいんですが」と言いながらクリアファイルを取り出した。
「先輩の活動紹介の資料です! この三週間、一緒にいる予定なので、先輩のことを知ってもらえたら嬉しくて」
交流生がクリアファイルを受け取った。表紙を見た。それからゆっくりページをめくり始めた。
後輩ちゃんが「いくつか説明しましょうか?」と言った。
「……少し、読ませてもらえますか」
「もちろんです!」
交流生がページをめくる。後輩ちゃんは隣で少しそわそわしながら見ている。赤ペン先生は少し離れたところに立って、交流生の表情を見ていた。
最強メンタル計画ちゃんも、見ていた。
どのページで、どんな顔をするか。
めくり方は、機材の説明書きを読んだときと同じだった。一ページずつ、最初から最後まで、飛ばさない。
交流生がある一枚で手を止めた。
しばらく、そのページを見ていた。
「あの……」
「はい!」と後輩ちゃんがすぐ返した。
「ここ……」
交流生が、指でそっとページの一か所を示した。
VRライブのページだった。後輩ちゃんが書いた一文。「入学前の私が、このVRライブに救われました。前を向くきっかけになりました」。
「ここ、いいなって思って……」
後輩ちゃんが「そこ、先輩がV2を作ったときの話です! 実は私のことで、入学する前に先輩のVRライブに救われたんです!」と言った。
赤ペン先生が心の中で思った。*その話、内容的には一番ギリギリのやつなんだけど。でも良いところだけ見えてるのは……本当だ。*
交流生がもう一度、その一文を見た。
「……助かった人が、いるんですね」
危ないとか、すごいとか、どうやってとか。最初に出てくる言葉は、いくらでもあるはずだった。この子のは、そのどれでもなかった。
初対話
後で、最強メンタル計画ちゃんが交流生に話しかけた。
廊下で、後輩ちゃんがたづなさんに呼ばれてその場を離れた隙だった。赤ペン先生は少し距離を置いて立っていた。
「……どのへんが、いいなって思ったんですか」
交流生が顔を上げた。少し驚いたような顔をした。それから、考えた。
考えている間、目が資料の方に一度戻った。答えを探す場所が、人ではなく物なのだった。
「……助かった人の顔が、浮かんで」
最強メンタル計画ちゃんが、少し黙った。
「浮かんだ?」
「はい。その資料を読んでいたら、助かった人がどんな気持ちだったか、少し想像できた気がして……」
また少し間があった。
「……そういうふうに、読んでくれたんですね」
「……読んでいいんでしょうか」
「いい」と最強メンタル計画ちゃんが言った。「読んでほしくて、作ったから」
交流生が小さく「ありがとうございます」と言った。
後輩ちゃんが戻ってきた。
「先輩のこと、来る前から知ってたんですか?」と聞いた。
交流生が少し考えた。
「……掲示板で。うちのトレセンでも、安全版を使ってたので」
「え、どれを?!」
「……VRのと、フィジカルのランニング支援の方を。先生が許可してくれて」
後輩ちゃんが「それ、先輩が作ったものが地方まで届いてるってことですよね!! すごいです!!」と言った。
赤ペン先生が*安全版が地方まで届いてる……それは良いことのはずなんだけど*と思った。思いながら、後輩ちゃんの方を見た。後輩ちゃんが全肯定で喜んでいる。最強メンタル計画ちゃんが静かに聞いている。交流生が資料を手に持ったまま立っている。
「……役に立ってたなら、よかった」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「役に立ちました」と交流生が言った。「ランニングが、少し楽しくなりました」
最強メンタル計画ちゃんの耳が、ぴこ、と動いた。
「楽しくなった?」
「……はい。走りながら景色が変わるのが、面白くて」
「……そう」
最強メンタル計画ちゃんが、少し考えるような顔をした。
赤ペン先生がその顔を見た。ペンは出さなかった。でも、頭の中で付箋を一枚貼った。
付箋に書いたのは、こうだった。
——この子の感想は、あの子に効く。
理由までは、まだ書けなかった。でも、貼る場所は間違っていない気がした。
夜
夕食の後、交流生はたづなさんの案内で客室へ向かった。
別れ際、後輩ちゃんが「明日は朝食から一緒に行きましょう! 迎えに来ます!」と言った。
「……はい。あの」
「はい!」
「……今日は、ありがとうございました。ゆっくり見せてもらえて、うれしかったです」
後輩ちゃんが、一瞬きょとんとして、それからぱっと明るくなった。
「いつでもゆっくり見てください! 三週間ありますから!」
「……はい」
交流生が、小さく頭を下げて、たづなさんと歩いていった。
その後ろ姿を見ながら、後輩ちゃんが言った。
「いい子ですね!」
「いい子だね」と赤ペン先生が言った。
「いい子」と最強メンタル計画ちゃんも言った。
三人とも、本心だった。
本心だったので、誰も、何も警戒しなかった。
トレセン学園スレ
【交流】来た【地方トレセン・三週間】
レス 1〜50
交流生来た
どんな子だった
おとなしい子。静かによく見てた
廊下の掲示板の前でずっと止まってたって聞いた
掲示板で?
機材の説明書きも最初から最後まで読んでたらしい
触らずに読むだけ読んで頷いてたって
何に頷いたの
誰にも分からない
観察する子だ
後輩ちゃんが案内役してたって
最初飛ばしすぎて距離が開いたらしい
後輩ちゃんらしい
赤ペン先生に「案内は連れて行くことじゃない」って言われてすぐ直したって
良いこと言う
直してからは二人で一緒に止まって見てたらしい
ほほえましい
資料を渡したらV2のページで手が止まったらしい
V2。あれを見てどう反応したの
「助かった人が、いるんですね」って言ったって
その読み方
危険な部分じゃなくて助かった人の話をしてる
後輩ちゃんが書いた文章をそう読んだのか
ちなみに来る前から掲示板で知ってたって話になったらしい
掲示板で知ってた!?
ここ見てたの?
やめろ変なこと書けなくなる
もう書いてるでしょ
地方のトレセンで安全版を使ってたって。VRとランニング支援
安全版が地方まで届いてた
それを後輩ちゃんが「すごいです!!」って喜んで
赤ペン先生が「……それは良いことのはずなんだけど」って顔してたって
「はずなんだけど」がついてる
赤ペン先生の「はずなんだけど」は危険信号
安全版が届いてる→掲示板で他の活動も知ってる→来る前から関心がある
この子、来る前からかなり情報持ってるな
そういうことか
で、最強メンタルちゃんはどうだった
「ランニングが楽しくなりました」って言われて耳がぴこってしたって
嬉しかったんだろうな
「楽しくなった?」って珍しく聞き返したって
普段「ん」で終わるのに
純粋に嬉しかったんだよ
赤ペン先生がペンを出さずに頭の中で何かを記録したらしい
内部付箋
赤ペン先生の内部付箋は外れない
三人とも「いい子」って言ってたって
実際いい子なんだよ
いい子なのは確定してる。誰も疑ってない
いい子で、よく見る子で、良いところを言葉にできる子
……それ、ここでは一番効くタイプでは
言うな
レス 51〜100
まだ初日だよ
まだ初日なのにこれだけ情報量がある
三週間あるな
ある