4話・もったいない、気がします
数日が経つ
交流生が来て、四日が経った。
毎朝、後輩ちゃんが迎えに行く。一緒に食堂へ行き、一緒に練習する。午後はたづなさんの案内で授業に出たり、施設を見て回ったりした。
交流生はずっと静かだった。
でも、ゼロではなかった。
二日目の朝、食堂で。
交流生は、トレーを持ったまま、配膳の列の前で少し止まった。メニューの札を、端から順に読んでいた。
「おすすめ、ありますよ!」と後輩ちゃんが言った。「今日は煮込みうどんです!」
「……じゃあ、それで」
席について、一口食べて、交流生は箸を止めた。
「……これ、おいしいですね」
「ですよね!!」
「……うちの食堂より、種類が多いです。毎日、全部の札を読んでたら、三週間で読み切れないかもしれない」
「全部読むんですか?!」
「……読みます。せっかくなので」
後輩ちゃんは、メニューの札を全部読むという発想を初めて聞いた。でも、なんとなくこの子らしい気がした。
三日目の午後、図書室で。
交流生は棚の前に立って、背表紙を一冊ずつ見ていた。手は出さない。目だけが棚を進んでいく。
後輩ちゃんが「何か探してますか?」と聞くと「……いえ、見てるだけです」と答えた。
「見てるだけ、ですか」
「……どんな本があるか分かってると、あとで探すとき、早いので」
「先に地図を作ってるんですね!」
交流生が、少し驚いた顔をした。
「……そうです。地図です」
自分のやっていることに名前がついたのが、うれしかったらしい。それからしばらく、二人で棚の地図を作った。後輩ちゃんはすぐ道に迷った。
四日目の朝、グラウンドで。
朝練の時間、交流生は最強メンタル計画ちゃんたちと同じコースを走った。
速くはなかった。でも、フォームが丁寧だった。一周ごとに、何かを確かめるように走っていた。
走り終わって、交流生は息を整えながら、コースの方を見ていた。
「……いいコースですね」
「ん」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「……地面が、やわらかい。うちのより」
「地面、見るんだ」と赤ペン先生が言った。
「……脚に来るので。地面は、大事です」
「それはそう」
赤ペン先生と交流生が、地面の話で少し盛り上がった。盛り上がったといっても、交流生の声は小さいままだったが、言葉の数は確かに増えていた。
後輩ちゃんは、交流生のペースに慣れてきていた。
聞けば答えてくれる。聞かなければ黙っている。黙っていても、見ている。それが、この子の普通なのだと分かってきた。
話が増える
五日目の夜、寮の談話室で四人になった。
後輩ちゃんが先輩の活動について話し始めた。資料に載っていない話——単純に「こういうことがありました」という話だった。
「先輩って、毎回誰かのために作るんです。自分のためじゃなくて」
「……そうなんですか」と交流生が言った。
「はい! 最初は、大好きなスピカさんに少しでも近づきたくて始まったらしいんですけど、いつの間にかいろんな人のために作るようになって」
赤ペン先生が「スピカさんの話はそこまで」と言った。
「なんでですか?」
「先輩の耳が反応するから」
後輩ちゃんが最強メンタル計画ちゃんを見た。最強メンタル計画ちゃんの耳が、少しぴんと立っていた。
「……あ」
「うん。そこまで」
「はい! 先輩が大好きな方です! それだけです!」
最強メンタル計画ちゃんの耳が、ゆっくりと戻った。
交流生が、その様子をじっと見ていた。それから小さく「……分かります」と言った。
「分かりますか」と後輩ちゃんが言った。
「……うちのトレセンでも、スピカさんの配信があった日は、翌日の練習がなんとなく変わります。みんな少し……どこかに行ってる顔をしてるので」
「それです!! まさにそれです!!」と後輩ちゃんが言った。
「……先生が、配信の翌日はメニューを軽くするようになりました。『あの顔の日に追い込むと、怪我をする』って」
「地方、対策が進んでる」と赤ペン先生が言った。
「……対策というか、あきらめというか」
赤ペン先生が少し笑った。たぶん、地方の先生と同じ顔をしていた。
後輩ちゃんが「交流生さんも、行っちゃう方ですか?」と聞いた。
交流生は、少し考えた。
「……私は、途中で戻ってきちゃいます。半分くらいで」
「半分、ですか」
「……みんなが行ってるのを、見てる方が、楽しくて。配信の日は、画面と、みんなの顔を、半分ずつ見てます」
「もったいない!」と後輩ちゃんが言った。「配信は全部見ないと!」
「……そうかもしれません。でも、いい顔なので。みんなの」
行く側ではなく、見る側。この子はたぶん、いつもそうなのだった。誰よりもよく見えるのは、半分残っているからだった。
最強メンタル計画ちゃんが、その「行ってる顔」という言葉を静かに咀嚼しているようだった。
行ってる顔。どこかに行ってる。みんなで。
行き先は、たぶん同じ場所だった。
封印物の話
六日目。
後輩ちゃんが「封印されているものの話をしてもいいですか?」とたづなさんに聞いた。
たづなさんは、すぐには答えなかった。一度、手元の書類を置いた。
「どうして話したいんですか?」
「交流生の子が、先輩の活動をちゃんと知りたがってるからです。良いところだけじゃなくて、封印になったものがあることも、隠したくなくて」
たづなさんは少し考えてから、言った。
「内容の詳細は話さないこと、再現につながる話はしないこと、その二つを守れるなら構いません」
「分かりました!」
「……正直に話そうとするのは、良いことです」とたづなさんが付け足した。「隠すと、あとで大きくなりますから」
夜、また四人が集まった。
後輩ちゃんが、封印されているものについて話し始めた。何が封印されているかではなく、どうして封印されたかの話だった。
「全部、善意なんです。誰かを元気にしたい、助けたい、喜ばせたいって思って作ったのに、予想外のところで事故になって、たづなさんに金庫に入れられる」
「……たづなさんに」
「はい。理事長室の金庫に、何個も入ってます」
「……そんなに」
「そんなに。でも全部、最初は誰かのためでした。それだけは、本当のことです」
交流生が、少し考えた顔をした。
「……事故って、誰か、怪我をしたんですか」
「してません!」と後輩ちゃんが言った。「そこがすごいところで、誰も怪我してないんです。みんな……その、幸せそうに、なっちゃうだけで」
「……幸せそうに」
「幸せそうに、すやぁって」
交流生は「すやぁ」を、しばらく頭の中で処理していた。
「……それは、事故なんでしょうか」
「事故なんだよ」と赤ペン先生が言った。実感のこもった声だった。「練習の予定も、授業も、廊下の通行も止まるからね。幸せでも、止まったら事故なの」
「……なるほど」
交流生がうなずいた。それから、また少し考えて、聞いた。
「……封印されたものは、全部だめなものなんでしょうか。それとも……」
交流生が言葉を止めた。また少し考えた。
「……だめな部分と、良い部分が、両方あるんでしょうか」
「両方あると思います!」と後輩ちゃんが言った。「だから私も、良いところだけ資料に入れました!」
「良いところはある」と赤ペン先生が言った。「だから危険なところだけを封印してる。全部を捨てたわけじゃないよ」
交流生がうなずいた。「……もったいない、気がします」
誰も、すぐには返事をしなかった。
最強メンタル計画ちゃんは、手の中のカップを見ていた。
もったいない。
封印されたものたちのことを、そういうふうに言った人は、初めてだった。危ない、怖い、すごい、はたくさんあった。もったいない、は初めてだった。
「……うちのトレセンだと」と交流生が、沈黙を埋めるように小さく続けた。「ものが少ないので、壊れたものも、直して使うんです。全部だめになることって、あんまりなくて。使える部分は、残すので」
「たとえば、どんなのですか?」と後輩ちゃんが聞いた。
「……ゼッケンとか。古くなったら、ほどいて、紐にして編みます。お守りにするんです。布を、捨てないので」
「お守り! いいですね、それ!」
「……レースの分だけ、強くなってる布だから、って。本当かどうかは、分からないですけど」
「使える部分は、残す」と後輩ちゃんが繰り返した。
「……だから、金庫の中に良い部分ごと入ってるのが、その……もったいないなって。すみません、変なこと言ってたら」
「変じゃないよ」と赤ペン先生が言った。「考え方としては、まっすぐだと思う」
まっすぐだから困るんだけどね、という後半は、言わなかった。
旧V5の話
七日目の午後。
四人でいるときに、旧V5の話になった。
きっかけは交流生だった。「掲示板で、匂いを使ったものがあると読んだんですが」と言った。
「旧V5ですね!」と後輩ちゃんが言った。「私が来る前のやつです。詳しくは聞いてますけど」
「内容は話せないよ」と赤ペン先生が言った。「封印されてるから」
「概要だけなら」と後輩ちゃんが言った。「スピカさんの香りを再現しようとして、逃げ場がなくて、密閉封印になったやつです」
「それが概要」
「概要です!」
交流生が少し黙った。
スピカさんの香りを再現した。それがどういう意味か、ウマ娘なら分かる。
「……これ、機械がいらないんですよね」
「そうだね。逃げ場がないから封印なの。でも、そこに気がついたのは正しいよ」と赤ペン先生が言った。
「……でも、うちのトレセンみたいに設備が少なくても、できる。それって……」
交流生が続けた。「……あと、みんなに、同時に届く。一人ずつじゃなくて」
「そうだね」と赤ペン先生が言った。「その通り。面白い見方だと思う」
「でしょう!」と後輩ちゃんが言った。
「うん。だから封印も難しいんだよね。良いところを見てくれる人がいるから」
交流生が「……もったいない、ですね」と言った。
「もったいないね」と赤ペン先生が言った。「そこは正直に言うと、私もそう思う」
少し静かになった。
最強メンタル計画ちゃんが「……みんなに、同時に」と小さく言った。
聞いていた三人がそれぞれ、ちょっとだけ最強メンタル計画ちゃんの方を見た。
最強メンタル計画ちゃんは、手の中のカップを見ていた。
VRは、一人ずつだった。クリームは、塗った手の分だけだった。でも、香りは。
「……もったいない、か」
そう言って、一口飲んだ。
それだけだった。
後輩ちゃんが「先輩……!」と言いかけた。赤ペン先生が「後で話そ」と小声で言った。後輩ちゃんが「……はい」と言った。
談話室はその後もしばらく、たわいない話が続いた。地方の食堂の話。こっちの食堂の話。煮込みうどんの話。
たわいない話の間も、カップの中身は、少しずつ冷めていった。
最強メンタル計画ちゃんは、最後まで普通だった。普通に話して、普通に笑って、普通におやすみを言った。
ただ、部屋に戻ってから、ノートを開いた。
開いて、何も書かずに、少しの間、白いページを見ていた。
それから、閉じた。
書かなかったことに、赤ペン先生は気づいていた。書くより手前の段階があることを、長い付き合いで知っていた。
トレセン学園スレ
【交流】交流生が「もったいない気がします」って言った件【旧V5に目をつけた】
レス 1〜50
交流生が「封印されてるもの、全部だめなんですか?」って聞いたらしい
その質問ができる子か
「もったいない気がします」って言ったって
もったいない
新しい角度が来たな
今まで「怖い」「すごい」「封印しろ」しかなかったところに「もったいない」
言われてみればもったいないんだよな
お前まで言うな
地方だと壊れたものも直して使うから、良い部分ごと金庫に入ってるのが気になるらしい
発想が健全すぎる
健全な発想が一番危ないのこのトレセンだけだと思う
赤ペン先生は「良いところはある。だから危険なところだけを封印してる。全部捨てたわけじゃない」って言ったって
全否定しないのが赤ペン先生
しかも「もったいないね、私もそう思う」って本音も言ったらしい
赤ペン先生が本音を!
そういうとこが赤ペン先生
旧V5の話になったらしいんだけど
旧V5!!
匂いのやつ
交流生が「機械がいらない」「みんなに同時に届く」って言ったって
正しいんだよな
良いところを見てる
でも「みんなに届く」「機械がいらない」って最強メンタルちゃんに聞こえる場所で言うのは
やめてくれ
最強メンタルちゃんは「……みんなに、同時に」って繰り返してたって
繰り返してた
その後「もったいない、か」って言ったらしい
交流生と同じ言葉
来た場所が違う「もったいない」
交流生のは「直して使いたい」の文化から来てる
最強メンタルちゃんのはどこから来てるの
それが分からないから怖い
後輩ちゃんは?
「届けやすいってことですよね!」って言いそうになったところを赤ペン先生に止められたって
後輩ちゃん……
一瞬でも止まれたのは成長
一瞬だけど
そういえばスピカさん配信翌日の話も出たらしい
地方でも配信翌日はみんな「どこかに行ってる顔」になるって
全国共通だった
地方の先生は配信翌日メニューを軽くするらしい
対策が現実的
「あの顔の日に追い込むと怪我をする」
分かりすぎる
その後はたわいない話に戻って平和に終わったって
平和に終わった!
でも「みんなに、同時に」は最強メンタルちゃんの中に残ってる
残ってる
今頃ノート開いて、何も書かずに閉じてそう
想像で書くな
レス 51〜100
でも当たってそうなのが怖い
まだ一週間ちょっとしか経ってないのに
まだ二週間近く残ってる
やめろ
でも今日は平和だった
今日は平和だった