3話・お花ならかわいい

翌日

翌日、最強メンタル計画ちゃんは、たづなさんの前にいた。

理事長室ではない。

今回は管理室だった。

机の上には、昨日の機材が並べられている。VRゴーグル。ヘッドホン。小型の再生機器。ケーブル。そして、赤字だらけのノート。

たづなさんは、ノートを開いた。

赤ペン先生は、隣に立っている。

最強メンタル計画ちゃんは、椅子に座っている。少しだけ小さくなっていた。

たづなさんが、表紙を見る。


最強復刻メンタル計画


ページをめくる。


初心に帰る。


その横には、赤ペン先生の赤字。


→ そういうことじゃない。


たづなさんは、一度だけ目を閉じた。

それから、静かに言った。

「初心に帰る、という方針自体は悪くありません」

「ん」

「過去の失敗を振り返ることも、大切です」

「ん」

「段階式にすることも、考え方としては分かります」

最強メンタル計画ちゃんが、少しだけ顔を上げた。

赤ペン先生が、その横顔を見た。

危ない。

褒められたと思っている顔だった。

たづなさんは、続けた。

「ですが」

最強メンタル計画ちゃんの耳が、ぴこ、と止まる。

「LV4から始めてはいけません」

「……ん」

「未実施だった危険項目を、復刻の名目で確認してはいけません」

「……ん」

「VR映像と自然音声と距離感補正と視線補正を同時に行ってはいけません」

「……ん」

「気絶時も自動継続再生にしてはいけません」

「……ん」

「一人で確認してはいけません」

「……ん」

だんだん返事が小さくなっていった。

赤ペン先生は、少しだけ同情した。でも、必要なことだった。

たづなさんは、台帳を開いた。

「こちらの機材一式は、当面お預かりします」

「……はい」

「ノートは返却します。ただし、赤ペン先生の確認を受けてから使用してください」

「……はい」

「そして」

たづなさんが、少しだけ声を低くした。

「次に何か作る前に、相談してください」

「……ん」

「返事ではなく、約束です」

「……約束します」

最強メンタル計画ちゃんは、小さく頭を下げた。赤ペン先生も頭を下げた。

管理室を出る頃には、最強メンタル計画ちゃんの耳は少し下がっていた。

部屋に戻って

管理室から戻ったあと、赤ペン先生は少し用事があると言って部屋を出た。

「すぐ戻るから」

「ん」

「今日はもう作らない」

「……ん」

「混ぜない」

「……ん」

「確認もしない」

「……ん」

返事はした。

したけれど、最強メンタル計画ちゃんは、机に座ってからもしばらくノートを見ていた。

赤字だらけのページ。


初心に帰る。

→ そういうことじゃない。

補完不要。

→ 逃げ場なし。

LV4から確認する。

→ しない。


最強メンタル計画ちゃんは、じっとそれを見た。

前半の反省。VRとASMRは強い。映像と声は強い。距離が近い。補完不要にしすぎると、全部から来る。

だから、もっとやさしいものがいい。

もっと自然なもの。

もっと、かわいいもの。

「……お花」

小さく呟いた。

前に後輩ちゃんと作ったお花を思い出す。きれいだった。後輩ちゃんも喜んでいた。

お花は、かわいい。

お花は、やさしい。

ただ、前のものは匂いに寄りすぎた。匂いは吸う。吸うと危ない。

なら、今度は匂いではなく、動き。

お花が動く。お花が踊る。スピカさんの曲に合わせて、小さく揺れる。

かわいい。

癒やし。

安全。

最強メンタル計画ちゃんは、新しいページを開いた。


最強復刻メンタル計画・自然回帰編

前半の反省:

・VRとASMRは強い

・距離が近い

・声が近い

・補完不要にすると直撃する

次の方針:

・もっとやさしいもの

・もっとかわいいもの

・自然

・お花

過去のお花:

・きれいだった

・後輩ちゃんが喜んだ

・匂いに寄りすぎた

・匂いは吸う

・吸うと危ない

改善案:

・匂いではなく動き

・お花が動く

・お花が踊る

・スピカさんの曲に合わせる

・かわいい

・癒やし

・安全


書いてから、少しだけ満足した。

理屈は通っている。

通っていなかった。

机の引き出しを開ける。

中には、前のお花計画で使った材料が少しだけ残っていた。

植物用の栄養剤。花の色をよくするための薄い液体。動きを観察するために作ったメモ。小さなスポイト。ラベルの貼られた瓶。

最強メンタル計画ちゃんは、それらを机に並べた。

これは本番ではない。装置でもない。ただの確認。

お花が元気になるための栄養剤。お花が少し揺れやすくなるかもしれない調整液。匂いを強くするものではない。だから、大丈夫。

小さなカップに、数滴ずつ入れる。

透明な液体が、ほんの少しだけ青紫に光った。

「……きれい」

思わず声が出た。

きれいだった。

これなら、お花もきっと喜ぶ。お花が喜べば、かわいく動く。かわいく動けば、みんな癒やされる。

最強メンタル計画ちゃんは、スポイトで液体を吸い上げた。

試作品。

まだ使わない。

ただ、できただけ。

そこまで考えたところで、廊下から足音が聞こえた。

聞き慣れた足音。

赤ペン先生だった。

最強メンタル計画ちゃんは、机の上を見た。

瓶。カップ。スポイト。ノート。青紫に光る液体。

完全に、何かを作っているように見える。

実際、作っていた。

さっき、たづなさんに言われたばかりだった。

「次に何か作る前に、相談してください」

赤ペン先生にも言われた。

「今日はもう作らない。混ぜない。確認もしない」

返事をした。

返事をしたのに、机の上には試作品がある。

足音が近づいてくる。

最強メンタル計画ちゃんは、慌ててスポイトを握った。

捨てる。見つかる前に、捨てる。

これは証拠隠滅ではない。危険かもしれないものを処理するだけ。安全処理。

そう思った。

完全に間違っていた。

最強メンタル計画ちゃんは、窓を少しだけ開けた。

外は夕方だった。

寮の下には植え込みがある。その先には、トレセン学園の花壇が見えた。

最強メンタル計画ちゃんは、スポイトの中の液体を外へ落とした。

一滴。

二滴。

夕方の光の中で、青紫の液体が小さく光る。下へ落ちていく。

植え込みの葉に当たったのか。花壇の土に落ちたのか。それとも、どこかの小さな花にかかったのか。

その時の最強メンタル計画ちゃんには分からなかった。

誰にも分からなかった。

ただ、液体は外へ落ちた。

足音が扉の前で止まる。

「ただいま」

赤ペン先生の声がした。

最強メンタル計画ちゃんは、すぐに窓を閉めた。スポイトを机の端へ置く。瓶を隠そうとする。ノートを閉じる。

間に合わなかった。

扉が開く。赤ペン先生が入ってきた。

机の上を見た。スポイトを見た。小さな瓶を見た。閉じきれていないノートの表題を見た。


最強復刻メンタル計画・自然回帰編


赤ペン先生は、無言だった。

最強メンタル計画ちゃんも、無言だった。

しばらく、部屋の中に沈黙が落ちた。

赤ペン先生が、ゆっくり言った。

「……作らないって言ったよね」

「……試作品」

「試作品は作ってる」

「……確認」

「確認もしないって言ったよね」

「……」

「手に持ってたのは?」

「……スポイト」

「中身は?」

「……栄養剤っぽい液体」

「ぽい」

「……お花用」

「どこにやったの」

最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ目を逸らした。

赤ペン先生は、窓を見た。

窓は閉まっている。でも、ついさっき開けた跡があった。

赤ペン先生は、窓へ近づいた。外を見る。

夕方の植え込み。その先の花壇。

特に何かが起きているようには見えなかった。

その時は。

赤ペン先生は、ゆっくり振り返った。

「捨てた?」

「……処理」

「捨てた?」

「……捨てた」

「外に?」

「……ん」

「何も起きてないよね」

「……起きてない」

赤ペン先生は、深く息を吐いた。

「今すぐ、たづなさんに連絡する」

「……ん」

「それから、ノートを見せて」

「……ん」

二人は、まだ何も知らなかった。

その時は。