8話・またね、じゃあね
帰る日
交流生が帰る日は、秋晴れだった。
朝は、いつもどおりだった。いつもの時間に、いつものコースを、四人で走った。
交流生は、最後の一周だけ、少し前に出た。誰も何も言わなかったが、フォームは来た日より軽くなっていた。
「速くなった」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「……地面が、やわらかいので」
地面は、初日から同じやわらかさだった。たぶん、地面だけではなかった。でも、誰もそこは指摘しなかった。
バスが来るまで、まだ少し時間があった。
玄関前に四人が集まっていた。交流生が荷物を持って立っていて、後輩ちゃんがその隣で少しそわそわしていた。赤ペン先生は普通に立っていた。最強メンタル計画ちゃんも普通に立っていた。
普通に立っているように見えたが、ポケットに手を入れていた。
先に動いたのは、交流生だった。
「……あの。これ、よかったら」
荷物の横のポケットから、小さな包みを出した。開けると、細く編んだ紐が、四本入っていた。色は四本とも少しずつ違った。
「……前に話した、ゼッケンのお守りです」
「あれ、本当に作ってたんですか?!」と後輩ちゃんが言った。
「……はい。夜、少しずつ。あるもので作るので、形は不揃いですけど」
「レースの分だけ強くなってる布、ですよね!」
「……本当かどうかは、分からないですけど」
そう言って、交流生は少しだけ笑った。本当だと思って編んだ顔だった。
一本ずつ、渡された。後輩ちゃんに。赤ペン先生に。最強メンタル計画ちゃんに。
「……それで、あの。もう一本は、たづなさんに。あとで渡してもらえますか。お世話になったので」
「渡します! 絶対渡します!」と後輩ちゃんが言った。声がもう少しで泣きそうだった。
最強メンタル計画ちゃんは、手の中の紐を見た。
不揃いだった。でも、編み目はずっと丁寧だった。最初から最後まで、同じ丁寧さだった。機材の説明書きを全部読む子の、編み目だった。
「……だいじにする」
「……はい」
それを聞いて、最強メンタル計画ちゃんは、自分のポケットに手を入れた。
もらったら、返したい。だいじなものをもらったら、だいじなものを返したい。それは、本人の中では、完全に正しい流れだった。
ポケットから何かを取り出した。クリップで止めた紙の束だった。交流生に向かって、そっと差し出した。
「……これ、どうぞ」
赤ペン先生の視線が動いた。
「……それ、なに?」
「……最強メンタル計画のコピー」
一瞬の沈黙があった。
「それはだめーーー!!」
ぺりっと没収された。
あっという間だった。
「お守りのお返しが何で危険物の設計図なの!!」
「だいじなものだから」
「だいじの基準が合ってるのが余計だめなんだよ!!」
交流生が、ふっと笑った。
声が出た。「ふ……」ではなく、ちゃんと声に出た笑いだった。この三週間で、たぶん初めて聞く笑い方だった。
最強メンタル計画ちゃんが、少し驚いたような顔をした。
「笑ってる」
「……すみません」と交流生が言った。まだ少し笑いが残っていた。「なんか、いいなって思って」
「いい場面ですよね……!!」と後輩ちゃんが言った。
「いい場面じゃないよ」と赤ペン先生が言った。クリップ付きの紙束を握ったまま。「危険物のコピーを渡そうとしてたんだよ」
「でも、いい場面でした」と交流生が言った。
赤ペン先生が「……そうかもしれないけど」と言った。ちょっとだけ負けていた。
それからスマホを出して、連絡先を交換した。
「また連絡しますね」と交流生が言った。
「する」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「うちのトレセンにも来てください!」と後輩ちゃんが言った。「私も行きます!」
「行くかも」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「私は来ていいの?」と赤ペン先生が言った。
「来て」と最強メンタル計画ちゃんが言った。すぐに。
「来てください!」と交流生も言った。
赤ペン先生が「じゃあ、みんなで」と言った。
「あと、手紙も書きます!」と後輩ちゃんが言った。「お守りのお礼は、手紙がいい気がするので!」
「……待ってます」
交流生が、そう言ってから付け足した。
「……私も、書きます。手で書く方が、得意なので」
バスが来た。
「また来てくださいね!」と後輩ちゃんが言った。
「……また来ます」と交流生が答えた。さっきの笑顔の余韻がまだ少し残っていた。
乗り込む直前、交流生は一度振り返って、三人を見た。それから、校舎の方も見た。掲示板のある廊下も、図書室の窓も、中庭のベンチも、ここからは見えない。見えないところを見る目だった。
「……ありがとうございました」
小さい声だった。でも、ちゃんと聞こえた。三週間、ずっとそうだったように。
荷物を持って、乗り込んだ。窓から手を振った。四人とも手を振った。
バスが動き出した。
見えなくなった。
しばらく、三人のまま立っていた。後輩ちゃんの右手には、たづなさんの分のお守り紐が、ぎゅっと握られたままだった。
「いい子だったね」と赤ペン先生が言った。
「ん」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「また会えますよね!」と後輩ちゃんが言った。
「連絡する」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「三週間、早かったね」と赤ペン先生が言った。
「早かった」と最強メンタル計画ちゃんが言った。
「……封印、一個増えたけどね」と赤ペン先生が言った。
「改善した」
「改善されてるから封印なんだよ」
「……ん」
後輩ちゃんが「先輩、また何か作るんですか?」と聞いた。
「もっと安全に、直したい」
「じゃあ、相談してね」と赤ペン先生が言った。
「うん。相談する」
三人で、寮へ戻った。
手首には、不揃いの編み目のお守りが、それぞれ一本ずつ巻かれていた。
秋の空が青かった。
エピローグ・台帳
その日の夜、たづなさんは執務室で台帳を開いた。
交流イベントの締めの処理が、いくつか残っていた。
一件目。改良版・旧V5。封印済み。金庫番号を記入。管理条件:密閉。既存の旧V5と同区画に保管——少し考えて、別区画に変えた。元のものと改良版を同じ場所に置くと、いつか誰かが「比較したい」と言い出す。言い出す顔まで想像できた。別区画。
二件目。紹介資料。回収・保管。交流生は持ち帰っていない。帰る前に、自分から返しに来た。「……大事なものだと思うので、ここに置いておく方がいいと思って」と言っていた。質問対応の記録と一緒に綴じた。質問は三週間で十一件。すべて事前確認済み。問題なし。
三件目。「最強メンタル計画のコピー」。赤ペン先生から提出済み。中身を確認して、たづなさんは少しの間、手を止めた。コピーは、全ページの危険箇所に、あらかじめ赤線が引いてあった。渡す前から、渡せる形に直してあったらしい。それでもだめなものはだめなのだが——直してから渡そうとしたことは、記録に残す価値があった。備考欄に一行:「事前に自主的な安全化の試みあり(不十分)」。
扉が、勢いよく開いた。
「たづな君! 金庫に新入りが入ったと聞いたが!」
「入りました。触らないでください」
「業務上の確認だ! 理事長として内容物を把握する義務が——」
「書類で把握できます。こちらです」
書類が差し出された。理事長は書類と金庫を見比べて、書類を取った。取ってから、未練がましく金庫の方をもう一度見た。
「……ふむ。実に興味深い。香りの、というと、つまりあの旧V5の」
「それ以上は書類にもありません。お引き取りください」
「たづなぁ……要約だけでも……」
「要約が一番危ないんです。おやすみなさい、理事長」
理事長が出ていった。たづなさんは扉が閉まるのを確認して、台帳に戻った。
最後のページ。交流イベントの総括欄だった。
ペンを持って、少し考えた。
受け入れ自体は、成功だった。交流生は真面目で、礼儀正しく、規則を一つも破らなかった。質問はすべて事前確認を通した。事故は一件。怪我人はゼロ。地方のトレセンには、感謝の連絡をもう入れてある。先方の先生は「うちの子がご迷惑を」と恐縮していたが、迷惑をかけたのはどちらかというと、こちらの在校生の方だった。
机の上に、細く編んだ紐が一本、置いてあった。
夕方、後輩ちゃんが届けに来たものだった。「交流生の子から、たづなさんにって!」。古いゼッケンの布を、ほどいて編んだお守り。あるものを、最大限に使う子。
たづなさんはそれを少し見てから、総括欄に書いた。
——交流生受け入れ:問題なし。事故一件は在校生側の事案として処理済み。
書いてから、ペンを止めた。
本当のことを言えば、書いておきたいことが、もう一つあった。あの子は何も作らなかった。何も壊さなかった。ただ、見たものの良いところを、静かに正確に言葉にした。それだけで、金庫の中身が一つ増えた。
でも、それは書けない。書く欄がない。「良いところを見つける目」は、危険物ではない。むしろ、いちばん良いものだ。台帳は物の管理簿で、目は、物ではない。
たづなさんは、備考欄に一行だけ足した。
——備考:良いものほど、よく伝わる。
台帳を閉じた。
お守りの紐を手に取って、少し眺めて、それから手帳の内ポケットに、そっとしまった。
「……次は、学園祭ですね」
誰に言うでもなく言って、執務室の電気を消した。
トレセン学園スレ
【交流終了】交流生、帰った【三週間お疲れ様でした】
レス 1〜50
交流生、帰ったね
三週間早かった
最後に何かあったって聞いた
まず交流生が手作りのお守りをくれたらしい
お守り?
古いゼッケンの布をほどいて編むやつ。地方の方の風習だって
いい話だ
四本あって、一本はたづなさん宛て
たづなさんの分まで!!
お世話になったからって
良い子すぎる
で、ここからが本番なんだけど
嫌な予感
お返しに最強メンタルちゃんがコピー渡そうとして没収された
最後まで最強メンタルちゃん!!!!
コピー!!!!
しかも「最強メンタル計画のコピー」って自分で言ったらしい
自己申告!!!!
渡す直前に赤ペン先生にぺりっとされたって
ぺりっと
「ぺりっと」の擬音が似合いすぎる
「だいじなものをもらったから、だいじなものを返した」理論らしい
理屈は完璧なんだよな
赤ペン先生が「だいじの基準が合ってるのが余計だめ」って言ったって
的確すぎる
それを見て交流生が声出して笑ったって
声出して笑った!!
この三週間で初めてじゃない?
そうらしい。あの子、声出してあんまり笑わない子だったから
いい場面じゃないのにいい場面になってる
それが最強メンタルちゃんの才能
赤ペン先生が没収したのも込みでいい場面
三人セットで成立してる
連絡先は交換した?
した。「また連絡します」「する」「行くかも」で終わったって
軽い別れだ
それがいい
重くない別れが一番また会える
封印一個増やして友達できたのか
そういう三週間だった
悪い三週間じゃなかった
向こうのトレセンで何か始まったりしない?
あの子、発明はしないから
良いところを見つけて誰かに伝えるだけ
……それが最強メンタルちゃんに届いたときに何が起きるかは
今回証明されちゃったな
でも誰も傷ついてないんだよ
廊下の子も芝生の子も幸せそうだったし
それがこのシリーズ
最強メンタルちゃん「もっと安全に直したい」って言ったらしい
レス 51〜100
また作るのかー!!
でも「相談する」って言ったって
即「うん、相談する」って返したって
えらい
相談しても事故るのは今回証明されたけどな
それでも相談しないよりずっといいんだよ
封印一個増えた
また作るの?
うん。相談してから
それで乗り切ろう
次は学園祭か
言うな。まだ心の準備が
また来年も何かあるんだろうな
絶対ある
見てるよ最強メンタルちゃん