エピローグ・先輩、ごめんなさい
翌日の夕方、最強メンタル計画ちゃんは後輩ちゃんの部屋の前に立っていた。
赤ペン先生は、少し後ろにいた。
「一人で行けるから」
「見てる」
「見てる必要は」
「見てる」
「……ん」
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ深呼吸をした。
扉をノックする。
「はい」
後輩ちゃんの声がした。
最強メンタル計画ちゃんは、扉を開けた。
後輩ちゃんは、机に向かって勉強していた。振り返る。最強メンタル計画ちゃんを見る。
「先輩」
声は、穏やかだった。
怒っていない。恨んでいない。普通の声。
最強メンタル計画ちゃんは、入口で少し止まった。
「入って」
「……ん」
最強メンタル計画ちゃんは、部屋に入った。
後輩ちゃんは、椅子を向けた。
二人で、向かい合った。
「後輩ちゃん」
「はい」
「昨日、花が部屋に来たのは」
「はい」
「私のせいだった」
「……そうみたいですね」
後輩ちゃんは、あっさり言った。
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ意外そうな顔をした。
「怒ってない?」
「怒ってないです」
「でも、花が来て、落ちた」
「でも、怪我はなかったですし」
「ごめん」
「大丈夫ですよ」
「マグカップに挿さってて、先輩が置いてくれたかなって思ったって、聞いた」
「はい」
「それで落ちたって」
「はい」
後輩ちゃんは、少し考えてから言った。
「あれ、先輩が作ったんですか?」
「正確には、試作品の液体が花に影響して」
「踊るようになったんですね」
「そう」
「花、かわいかったです」
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ固まった。
「え」
「かわいかったです。踊り方、すごくよかったです。スピカさんみたいで」
「でも、落ちた」
「落ちましたけど、かわいかったです」
「……」
「先輩が作ったんだなって、分かりました。なんか、先輩っぽい動き方でした」
最強メンタル計画ちゃんは、返事ができなかった。
赤ペン先生が入口で少しだけ口元を動かした気がした。
「ごめん」
「大丈夫ですよ、先輩」
「次は相談する」
「はい」
「窓から捨てない」
「はい」
「お花だからって」
「安全とは限らない、ですよね」
「……ん」
後輩ちゃんは、少しだけ笑った。
「赤ペン先生に教わったんですか?」
「ノートに書いてあった」
「赤ペン先生のですか」
「そう」
「見たことあります。赤がたくさん入ってる」
「たくさんある」
しばらく、二人は花の話をした。
花が踊った話。廊下を走った話。捕まえたら落ちる話。
後輩ちゃんは、全部興味深そうに聞いた。
「捕まえた瞬間に香るんですね」
「そう」
「それで手が緩む」
「そう」
「そこで踊る」
「そう。キレがいいから」
「先輩も落ちたんですか?」
「落ちた」
「捕まえたのに?」
「捕まえた後がだめだった」
「何て言って落ちたんですか?」
「……いい、ダンス」
後輩ちゃんは、少しだけ笑った。
「先輩らしい」
「そういう感じじゃない」
「でも先輩らしいです」
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ顔を逸らした。
後輩ちゃんが、ふと言った。
「花壇に住み着いたんですね」
「そう。特定管理植物区画になった」
「見に行ってもいいですか?」
「遠くからなら。近づかない。追わない。見続けない」
「分かりました」
「捕まえようとしない」
「はい」
「かわいくても近づかない」
「分かりました」
「本当に」
「分かってます。でも」
後輩ちゃんは、少しだけ首を傾けた。
「かわいかったですよ。本当に」
最強メンタル計画ちゃんは、しばらく黙った。
それから、小さく言った。
「かわいいと安全は、同じじゃない」
「知ってます」
「でも」
「でも?」
「……かわいかった」
後輩ちゃんが笑った。
「先輩も同じ感想だったんですね」
「……ん」
「じゃあ、私が落ちたのも仕方ないですね」
「そういう結論にならないで」
赤ペン先生が、入口から言った。
「仕方なくない」
「すみません」
「怪我がなかったのは良かったけど、仕方なくはない」
「はい」
「次は、花だから安全と思わないように」
「はい」
「かわいくても近づかないように」
「はい」
「たとえ先輩からの贈り物だと思っても、動いていたら疑うように」
「先輩からの贈り物が動いてたら疑うんですか?」
「例の子からなら、確認してから」
後輩ちゃんは、最強メンタル計画ちゃんを見た。
「先輩、今後何か置いていったら確認していいですか?」
「……ん」
「贈り物が動いてないか」
「もう窓から捨てない」
「先輩に直接渡してもらったものが踊り出したらどうすればいいですか?」
「……」
「先輩?」
「起きてないから考えてない」
赤ペン先生が、また口を動かした。
「まだ起きていない、が正しい」
「……ん」
「後輩ちゃん」
「はい」
「昨日、落ちる前に、最強引き継ぎ計画ノートに何か書いてた」
後輩ちゃんが、少しだけ目を丸くした。
「見たんですか?」
「赤ペン先生が拾ってた。私も少し見た」
「……恥ずかしいです」
「でも」
「でも?」
「敵はうつ、って書いてた」
「……はい」
「書いてから落ちた」
「書いた直後に来たので」
「間に合わなかった」
「間に合わなかったです」
最強メンタル計画ちゃんは、少し考えてから言った。
「でも、書いた」
「……はい」
「落ちながらも書いた」
「落ちる前ですけど、ギリギリでした」
「それでも書いた。分析した」
「でも間に合いませんでした」
「後輩ちゃん、すごい」
「え?」
後輩ちゃんは、きょとんとした顔になった。
「先輩は今、私を褒めてますか?」
「書いた。分析した。落ちながら分析した。それはすごい」
「でも落ちましたよ」
「落ちながらもすごかった」
「落ちながら、はだめな方なんですが」
「でも書いた」
「先輩、それはどっちの話ですか?」
赤ペン先生が、入口で静かに言った。
「どっちもだめだけど、後輩ちゃんの見方は正しかったよ。ちゃんと気づいてた。間に合わなかっただけで」
「そうなんですか」
「そう。ただ、その観察を落ちる前に活かせるといい」
「次は活かします」
「難しいかもしれないけど」
「難しいですけど」
後輩ちゃんは、ノートを手に取った。
その白いページを見た。
敵はうつ!
後輩ちゃんが、その字を少し見てから笑った。
「書いておいたのに間に合いませんでした」
「次は先に書く」
「何を?」
「花を見たら逃げる、とか」
「その方がいいですね」
「ぴょんとしたら逃げる」
「かわいくても逃げる、も」
「それも書いておく」
最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ頷いた。
「次は間に合うといい」
「先輩が次に何かを作らない方がいいですが」
「……ん」
「作るんですか?」
「相談する」
「してください」
「たづなさんにも」
「してください」
「窓から捨てない」
「してください」
「……ん」
後輩ちゃんは、また少し笑った。
「先輩、私に怒られてますね」
「……ん」
「後輩に怒られてる先輩、かわいいですね」
「その感想は言わなくていい」
赤ペン先生が、入口で小さく笑った気がした。
「じゃあ、私たち帰る」
「はい」
「ごめん」
「大丈夫ですよ」
「本当に」
「本当に大丈夫です」
「次は相談する」
「はい」
「なるべく」
「相談してください」
「なるべく窓から捨てない」
「なるべく、ではなく」
「……ん」
最強メンタル計画ちゃんは、扉の方へ向かった。
そこで少し止まった。振り返る。
「後輩ちゃん」
「はい」
「花、かわいかった?」
「かわいかったです」
「……そっか」
「そっか、って顔してる先輩、何を考えてるんですか?」
「何も」
「先輩?」
「考えてない」
「本当に?」
「……かわいかったなら、よかった」
後輩ちゃんは、少しだけ目を細めた。
「先輩、今次に向けての動機を作ってませんか?」
「作ってない」
「先輩」
「見てる」
「聞こえましたか」
「聞こえた」
赤ペン先生は、最強メンタル計画ちゃんの背中を押した。
「帰る」
「……ん」
「ノートに書かない」
「……ん」
「今日考えた新しい計画は、明日まで口に出さない」
「……ん」
「後輩ちゃん、また何かあれば言って」
「はい。先輩もお気をつけて」
「何を気をつけるの」
「いろいろ」
「……ん」
最強メンタル計画ちゃんは、廊下へ出た。
扉が閉まった。
後輩ちゃんは、しばらくその扉を見ていた。
それから、机に向かい直した。
ノートを開く。
そのページに、一行だけ足した。
先輩が謝りに来てくれた。
花はかわいかった。
でも次は逃げる。
後輩ちゃんは、そこで少し考えた。
付け足す。
……たぶん。
少しだけ、笑った。
窓の外に、夕方の光があった。
どこかに、特定管理植物区画の花が、今もそっと揺れているかもしれなかった。
かわいく。
元気よく。
危険な感じで。