真・最強メンタル計画V7(スピカさんリアルタイム音声変換インナーイヤホン)
── 旧V7の遺産 ──
旧・最強メンタル計画V7。
音声型スピカ風チャットA.I。
あれは、完成形だった。
少なくとも、彼女はそう思っていた。
もちろん、最初に作ったものは危険物だった。危険物というか、危険物に人格を与えて喋らせたようなものだった。
しかしその後、数々の赤ペン、指導、叱責、封印、説教、再設計、倫理審査、技術監修、そしてスピカ本人の協力のもと、安全版が作られた。
公式音声を使ったメンタルケア用システム。
それは今、怪我で入院しているウマ娘や、レースに出られなくなったウマ娘、気持ちが沈み込んでしまった子たちの支えとして、医療現場やトレセン内のケア施設で試験的に使われている。
優しく励ます。寄り添う。無理をさせない。必要なら休ませる。
かつて彼女が作った危険物とは、似て非なるものだった。ちゃんとした大人たちが関わり、ちゃんとした倫理のもと、ちゃんとした目的のために作られたもの。
「旧V7は、方向性としては正しかった……!」
寮の自室。机に向かい、なんちゃって白衣を羽織ったウマ娘は、新品のノートを前にして拳を握っていた。
その瞳は、まっすぐだった。まっすぐすぎた。まっすぐなのに、進行方向が明後日の空を突き抜けていた。
ノートの表紙には、力強い文字でこう書かれている。
『真・最強メンタル計画V7』
その下には、さらに小さく。
『日常相談・学習効率・安心環境化プロジェクト』
書いてあることは、かなりまともだった。気軽に相談できる。日常の中で使える。学習や訓練の効率を上げる。落ち込んだ時に支えになる。そこまでは、何一つおかしくない。
そして最後の一文。
『スピカさん音声を常時活用する』
ここだけが、赤く点滅していた。本人の中では点滅していない。むしろ、金色に輝いている。
「でも……まだ足りない」
彼女はペンを握りしめた。
「旧V7は、相談するために起動するものだった。つまり、使う側が"相談しよう"と思わないといけない」
「でも、本当に弱ってる時って、相談する気力すらない」
「だったら、もっと自然に。もっと日常に。もっと環境に溶け込む形で、スピカさんの声が届けば……」
そこで、彼女の手が止まった。
窓の外では、放課後のトレセン学園の声が遠く聞こえている。誰かが笑っている。誰かが走っている。誰かが明日のレースについて話している。
「……そうだ」
ひらめいた。天啓だった。災厄だった。
「聞こえる会話を、全部スピカさんの声に変換すればいいんだ!」
ペンが走り出す。
『外部音声入力』
『話者認識』
『内容保持』
『声質変換』
『自然イントネーション補正』
『リアルタイム処理』
『違和感ゼロ』
『スピカさん音声化』
そして、大きく丸で囲まれる。
『授業に使える!!』
「先生の言葉がスピカさんの声になる」
彼女は脳内でシミュレーションした。
数学の授業。先生が黒板に数式を書く。その説明が、スピカの声で聞こえる。
『ここは大事です。焦らなくて大丈夫。一緒に考えていきましょう』
「……覚える」
国語の授業。難しい文章の解説。それがスピカの声になる。
『この登場人物は、きっと迷いながらも前に進もうとしているんですね』
「……心に残る」
完璧だった。本人の中では。とても完璧だった。
「これは……日常学習支援デバイス!」
彼女は勢いよくノートに書いた。
『真V7:スピカさんリアルタイム音声変換インナーイヤホン』
長い。しかし危険物の名前としては、かなり正確だった。
そして厄介なことに、彼女には、それを作るだけの技術があった。
旧V1で音声加工を学び、旧V2でVRを学び、旧V3で視覚誘導を学び、旧V4で立体・空間認識を学び、旧V5で嗅覚方面まで踏み込み、旧V6で複合演出を組み上げ、旧V7でA.I音声対話まで到達した。さらに真シリーズでは、環境化、日常化、安全化、周囲への配慮という概念を、本人なりに学んできた。
学んできた。学んできたのに。なぜかこうなる。
── 製作、完了 ──
数日後。
「できた……!」
机の上に置かれていたのは、小さなインナーイヤホン型デバイスだった。
見た目は市販品とほとんど変わらない。むしろ、かなり洗練されていた。耳に入れても目立たない。軽い。装着感がいい。長時間使用しても疲れにくい。
外部マイクで周囲の音を拾い、音声だけを抽出し、内容を保持したままリアルタイムで声質変換する。
その声は、公式メンタルケア版を参考にした、優しく自然なスピカ風音声。
「違和感ゼロの予定」
予定。この一語が、後に赤ペンで三重丸されることになる。
彼女はイヤホンを耳に入れた。
「痛くない。違和感なし。重さも問題なし」
ノートに記録する。
『装着感:良好』
『耳への負担:少』
『見た目:目立たない』
『危険性:なし』
最後の項目は、まだ判定してはいけなかった。だが、本人はもう書いた。
「音がないと何も起きないね」
部屋は静かだった。同室の子は外出中。廊下の声も遠い。
「自分だけでテストする。安全第一」
安全第一。言葉だけ見れば、非常に立派だった。
── テスト、開始 ──
その時。スマホが震えた。
同室の子からの電話だった。
「あ、ちょうどいい」
彼女は何も疑わず、通話ボタンを押した。
そして、いつもの癖でスマホを耳に当てる。
『もしもし? 今大丈夫?』
同室の子の声が、イヤホンのマイクに拾われる。
音声認識。内容解析。声質変換。自然イントネーション補正。リアルタイム出力。
次の瞬間。
『もしもし? 今、大丈夫ですか?』
スピカの声が、耳元で囁いた。
「――――」
彼女の目が見開かれた。口元がふにゃりと緩んだ。膝から力が抜けた。
スマホが手から滑り落ちる。
ぽすん、とベッドの横に倒れた。
幸せそうだった。とても幸せそうだった。
電話の向こうで、同室の子が言う。
『え? もしもし? ちょっと?』
その声も、変換される。
幸せそうな気絶顔が、さらに幸せそうになった。
── 回収作業 ──
しばらくして。廊下を全力で走る足音が近づいてきた。
「失礼しますじゃない! 入るよ!」
ドアが開く。
飛び込んできた同室の子は、部屋の中を見て、深く息を吸った。
机。ノート。なんちゃって白衣。謎の小型デバイス。床のスマホ。そして、ベッド横で幸せそうに気絶している問題児。
「……またかぁ」
声に疲れがにじんでいた。しかし、慣れている。慣れたくなかったが、慣れている。
同室の子はスマホを拾い、通話を切った。それから問題児の肩を揺する。
「起きて。起きてってば」
すると。
「……はい」
返事があった。
同室の子の手が止まる。
「え?」
問題児は目を閉じたまま、幸せそうに気絶している。しかし、返事をした。
「……はい」
もう一度。同室の子の背筋に、ぞわりとしたものが走った。
「こわっ」
気絶している。意識はない。でも、声に反応している。いや、正確には、声ではない。スピカの声に変換された命令に反応している。
「……寝て」
「……はい」
問題児はふらふらと立ち上がり、ぽすんと布団に倒れ込んだ。
同室の子は、両手で顔を覆った。
「怖い怖い怖い怖い怖い」
これは駄目だ。過去最高に駄目な方向の危険性がある。爆発しない。匂いもしない。光らない。巨大装置でもない。部屋を巻き込まない。
だからこそ危ない。
日常に溶け込む危険物。
本人の目標は、ある意味で達成されてしまっていた。
同室の子は机に向かう。そこには、いつものノートが開かれていた。
『スピカさんの声なので安心』
その横に赤ペンで書いた。
『一番危ない理由です』
さらにページをめくると、もっとやばい記述があった。
『スピカさんに応援されている感覚を保つため、使用者が無意識に外したくならないよう、装着継続性を高める』
『外れにくい構造』
『気持ちが沈んでいる時でも、声が途切れないようにする』
「善意で最悪の機能を足してる……」
同室の子は天を仰いだ。
でも、まだ方法はある。声に反応するなら、外せと言えばいい。
「それ、外して」
変換される。
『それ、外してください』
ベッドの上の問題児が、ぴくりと動いた。
だが次の瞬間。
「やっ……」
問題児は、両手で耳を覆った。しっかりと。守るように。イヤホンを。
「そこは拒否するんかい!?」
もちろん、そのツッコミも変換される。
「ふへ……」
問題児は幸せそうに微笑んだ。
「反応がややこしい!」
同室の子は頭を抱えた。この装置は命令を聞かせる。でも、スピカの声を手放す命令だけは、本人の本能が全力で拒否する。
つまり、悪夢のような仕様だった。
「よし。物理でいこう」
同室の子は覚悟を決めた。
右手を外す。左手が戻る。左手を外す。右手が戻る。両手を押さえる。尻尾が暴れる。
「尻尾で抵抗しない!」
「んん……」
「寝てるのに器用すぎる!」
格闘は続いた。V1からずっと見てきた同室の子には、対処経験だけは無駄に豊富だった。
「スピカさんは、たぶん外してって言う!」
「……」
一瞬、問題児の抵抗が弱まった。その隙に、右耳のイヤホンを外した。続けて左耳。
ぱちん、と小さな音を立てて、もう片方も外れる。
同室の子は、外したイヤホンを即座に机の上へ置き、タオルで包み、その上から空き箱をかぶせ、さらに教科書を三冊乗せた。封印としては雑だが、今できる最大限だった。
── 赤ペンと、繰り返し ──
同室の子は赤ペンを握った。
『真V7 赤ペン指摘』
『一、聞こえる会話をすべてスピカさんの声に変換してはいけません』
『二、授業効率は上がる前に受講者が気絶します』
『三、命令文をスピカさんの声に変換するのは危険すぎます』
『四、無意識で従う可能性があります。絶対に駄目です』
『五、外してと言われても拒否する仕様は最悪です』
『六、そもそもスピカさんの声を常時聞かせる前提を疑ってください』
『七、日常に溶け込む危険物は、普通の危険物より危険です』
『八、まず相談してください』
『九、完成してから相談しないでください』
『十、赤ペンが足りません』
同室の子はそこで一度手を止めた。机の引き出しを開ける。赤ペンの替え芯を見る。残り二本。
「……買い足さなきゃ」
その声は、もうスピカの声には変換されなかった。だから問題児は反応しない。幸せそうに眠ったままだった。
同室の子はため息をつき、ノートの最後に大きく書いた。
『封印。たづなさんに報告。理事長には絶対に先に見せない』
少し考えて、追記する。
『特に理事長には絶対に試させない』
さらに強く、二重線で囲む。
『絶対に』
その時、ベッドの上から寝言が聞こえた。
「……日常化……成功……」
同室の子は、ゆっくり振り返った。
「成功してない」
即答した。しかし、きっと本人は起きたら言うのだ。
装着感は良好だった。変換も自然だった。反応も確認できた。つまり技術的には成功。安全面に課題があるだけ。
絶対に言う。
同室の子は、赤ペンを握り直した。ページの端に、小さく書く。
『技術的成功と計画成功は違います』
『あと、スピカさんを万能安全素材扱いしない』
『本人に知られたら、たぶん本気で心配されます』
そこまで書いて、同室の子は少しだけ笑った。
スピカ本人がこれを知ったら、怒るより先に心配するだろう。
そして、たぶんこう言う。
無理しなくていい。君自身の言葉で大丈夫。誰かを支えたい気持ちは素敵だけど、自分や周りを危なくしないで。
それを聞いたら、この子はまた幸せそうに気絶するのだろう。そして、目覚めたあと、きっとこう思う。
スピカさんの言葉を、もっと安全に届ける方法を考えよう。
「……終わらないなぁ」
机の上には、赤ペンだらけのノート。箱の下には、封印されたインナーイヤホン。ベッドの上には、幸せそうに眠る問題児。
窓の外では、いつものようにトレセン学園の日常が続いている。
日常に溶け込むもの。彼女はそれを目指した。確かに、目指した。ただし今回も。
日常に溶け込ませてはいけないものが、またひとつ増えた。
赤ペンの量も、また増えた。
掲示板:【技術板】真V7って、冷静に考えると技術革新なのでは?【なお用途】
レス 1〜50
真V7の情報が回ってきた
今度は何?
リアルタイム音声変換インナーイヤホン
……何?
周囲の会話をリアルタイムでスピカの声に変換してイヤホンに出力する
終わった
技術面だけ見ると本当にすごい
音声拾い、内容解析、声質変換、リアルタイム処理、自然補正
これ普通に産業応用できるやつでは?
できる
スピカさんの声じゃなければ
そこだよな
外してと言うと拒否する件
機能として実装したの?
「装着継続性」として実装した
善意で最悪の機能を載せた
意識ないまま声に反応するのが一番怖い
「寝て」「はい」が成立してる
命令への服従デバイスになってる
そこに気づいてない本人が一番怖い
たづなさんがこれ見たら胃薬が増える
増えた
理事長には絶対に知らせるな
試すに決まってる
朝から業務継続型で使いそう
その言葉まずい
技術自体の純粋な応用価値は本物
音声認識・変換・補正の精度が高い
スピカさん成分さえなければ医療や福祉方面にも使える可能性が
たづなさんとお医者さんが今それを考えてる
あの子の発想が正しい方向に向くとこうなる
最強メンタルちゃん、毎回ギリギリのところで誰かを助ける技術を作ってる
本人は幸せに気絶してるけど
毎回そこが惜しい