合宿の休みの日(最強商店街計画・発生)
合宿の休みの日。
朝の光が、宿泊施設の部屋のカーテンの隙間から差し込んでいた。
海沿いの旅館らしく、窓を少し開けると潮の匂いが混じった風が入ってくる。遠くからは波の音が聞こえ、廊下の向こうでは誰かが朝食に向かう足音がしていた。
そんな中、部屋では二人のウマ娘が並んで座っていた。一人は最強メンタル計画ちゃん。もう一人は、同室の親友である。
二人の前では、小さめのテレビが朝の情報番組を流していた。地元の観光地紹介や、今日の天気、近くの商店街の特集などが、のんびりとした空気で映し出されている。
合宿といっても、毎日朝から晩までトレーニングをしているわけではない。走ることも大切。鍛えることも大切。けれど、休むこともまたトレーニングである。しっかり練習して、しっかり休む。それがトレセン学園の教えだった。
「今日は商店街行ってみるー?」
テレビを見ながら、親友が軽い調子で話しかける。
「んー……行くー」
最強メンタル計画ちゃんは、座布団の上で少し体を揺らしながら返事をした。
今日は本当に休みの日。ノートも開いていない。工具もない。謎の材料もない。ただ、朝のテレビを見て、のんびりしているだけだった。
旅館の近くには、海沿いの小さな商店街がある。合宿が始まる前に、二人で少しだけ調べていた。観光地として有名というほどではないが、昔ながらの店が並ぶ落ち着いた商店街らしい。果物がおいしい。温泉まんじゅうがおいしい。海産物を使った軽食もある。そんな口コミを見て、ちょっと楽しみにしていた場所だった。
「温泉まんじゅう、後輩ちゃんに買って帰る!」
最強メンタル計画ちゃんが、急にきりっとした顔で言った。
「気が早いって〜。合宿、まだまだあるでしょ」
親友が笑う。
「でも、お土産は大事」
「まあ、後輩ちゃん喜ぶだろうけどね」
「ん!」
その一言で、最強メンタル計画ちゃんの表情が少し明るくなる。
合宿が始まってから、もう一週間。毎日連絡は取っている。後輩ちゃんも学園で元気にしている。それでも、離れていることに変わりはない。だからこそ、何か持って帰ってあげたいと思った。おいしいもの。かわいいもの。合宿先で見つけた、後輩ちゃんが喜びそうなもの。そう考えるだけで、胸のあたりが少しあたたかくなった。
「はいはい。じゃあ、朝ごはん食べたら行こっか」
「ん」
「買いすぎないようにね?」
「……ん」
「今ちょっと間があったよね?」
「なかった」
「絶対あった」
親友がじとっと見る。最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ視線をそらした。
それから、二人は顔を見合わせて笑った。
商店街に着いた二人は、並んでゆっくりと歩いていた。
調べていた通り、そこは静かで落ち着いた雰囲気の場所だった。道幅はそこまで広くない。けれど、古い看板の並びや、店先に置かれた植木鉢、軒先に吊るされた風鈴が、どこか懐かしい空気を作っていた。遠くからは、かすかに波の音が聞こえる。時折、潮の匂いを含んだ風が通り抜けて、店先ののぼりをゆっくり揺らした。
「落ち着いてるねー」
親友があたりを見回しながら言う。
「ん。静か」
最強メンタル計画ちゃんも、こくりと頷いた。
観光地としてにぎやか、というよりは、昔からこの町にある場所という感じだった。ただ、思っていたより、人は少なかった。朝だから、というのもあるかもしれない。合宿地から少し離れているから、というのもあるかもしれない。それでも、シャッターが下りたままの店や、少し色あせた看板が目に入ると、二人は自然と声を少し落としていた。
「もっと人いると思ってた」
「ね。口コミだと温泉まんじゅう有名って書いてあったのに」
「お土産、あるかな」
「そこはたぶん大丈夫じゃない?」
そう言いながら、二人は開いている店を順番に見て回ることにした。
最初に入ったのは、土産物屋だった。
店内には、温泉まんじゅう、地元の果物を使ったジャム、海産物の加工品、キーホルダー、絵はがきなどが並んでいる。そして、その奥。いかにも温泉街の土産物屋にありそうな、謎の置物コーナーがあった。
木彫りの何か。貝殻で作られた何か。妙に目力の強い招き猫。なぜか剣を持っているタヌキ。誰が買うのだろう、と思わず考えてしまうような置物たちが、棚の上に堂々と並んでいた。
「……ぉぉ」
最強メンタル計画ちゃんの目が輝いた。
親友は、その横顔を見て即座に警戒した。
「それは寮に置かないよね?」
「まだ何も言ってない」
「目が言ってた」
「見るだけ」
「本当に見るだけ?」
「ん」
最強メンタル計画ちゃんは、小さく頷いてから、棚の前に立った。その視線は真剣だった。まるで、何か重要な資料を確認しているかのように、ひとつひとつの置物を見つめている。親友は隣で腕を組みながら、その様子を見守った。
「これは……」
「何?」
「たぶん、守り神」
「たぶんって何」
「説明がない」
「じゃあ買わないでね」
「ん」
「今の『ん』は納得の『ん』? それとも保留の『ん』?」
「納得のほう」
「ほんとかなぁ」
親友がじっと見つめる。最強メンタル計画ちゃんは、少しだけ視線をそらした。棚の上では、目力の強い招き猫が、なぜか二人を見守っているように見えた。
「後輩ちゃんに……」
「置物はやめようね」
「まだ言い切ってない」
「言い切る前に止めた」
「……ん」
今度の返事は、少しだけ残念そうだった。
けれど、最強メンタル計画ちゃんも本気で買うつもりだったわけではない。たぶん。おそらく。きっと。
親友は念のため、彼女を置物コーナーからそっと引き離した。
代わりに、二人は店先に並んでいた小さな和柄のハンカチや、地元の果物を使った飴を眺める。
「こっちの方が後輩ちゃん喜びそうじゃない?」
親友が、淡い色の包みに入った飴を指さす。
「ん。かわいい」
「でしょ?」
「こっちは?」
「温泉まんじゅう味キャンディ……?」
「気になる」
「それは私もちょっと気になる」
二人は顔を見合わせて、小さく笑った。
店内には、のんびりした時間が流れていた。店番のおばあさんが、奥の椅子に座って新聞を読んでいる。テレビの小さな音。外から聞こえる風鈴の音。棚の木の匂いと、お菓子の甘い匂い。
何かが起こる気配はない。危険なノートもない。試作品もない。ただ、友達同士で商店街を歩き、変な置物に少し目を奪われて、後輩へのお土産を考えているだけだった。
「次、果物屋さん見てみよっか」
「ん。行く」
「置物は?」
「置いていく」
「よし」
親友が満足そうに頷く。
最強メンタル計画ちゃんは、最後にもう一度だけ、目力の強い招き猫を見た。招き猫は、何も言わずにそこにいた。たぶん、これからもずっとそこにいる。それでいい。そういうものも、きっとこの商店街の一部なのだ。
二人は土産物屋を出て、また並んで歩き出した。静かな商店街に、二人の足音が小さく響く。穏やかな時間が、ゆっくりと流れていた。
しばらく商店街を歩いていると、少し小腹が空いてきた。朝ごはんはちゃんと食べた。けれど、歩けばお腹は空く。それはとても自然なことだった。
「どこか入る?」
「ん。入る」
返事は早かった。
二人であたりを見回すと、少し先に小さな喫茶店があった。木の看板に、手書き風の文字。窓際には小さな鉢植え。入口の横には、今日のおすすめと書かれた黒板が置いてある。そこには、温泉まんじゅうとグレープスムージーの文字があった。
「ここにしよっか」
「ん」
扉を開けると、カラン、と小さなベルが鳴った。
店内は広くはない。カウンター席がいくつかと、二人掛けのテーブル席が三つほど。年季の入った木の床と、少し色あせた壁紙。けれど、きれいに掃除されていて、どこか落ち着く空間だった。
カウンターの向こうから、年配の女性が顔を上げた。
「あら、いらっしゃい」
柔らかい声だった。
「二人?」
「はい」
「じゃあ、そちらの席にどうぞ」
案内された席に座り、二人でメニューを見る。おすすめは入口の黒板にあった通り、温泉まんじゅうとグレープスムージーらしい。温泉まんじゅうはこの店で蒸しているもの。スムージーは地元の果物を使っているもの。説明を読んだだけで、少し期待が高まった。
「どうする?」
「これ」
最強メンタル計画ちゃんは、迷いなくおすすめセットを指さした。
「私もそれにしようかな」
二人で同じものを注文する。しばらくすると、湯気の立つ少し大きめの温泉まんじゅうと、紫色がきれいなグレープスムージーが運ばれてきた。
「お待たせしました」
皿の上の温泉まんじゅうは、普通のものより少し大きい。ふっくらとしていて、表面がつやつやしている。横に添えられた小さな楊枝まで、どこかかわいらしかった。グレープスムージーは透明なグラスに入っていた。ひんやりとした紫色。上には小さく刻まれた果肉が少しだけ乗っていた。
「いただきます」
「いただきます」
最強メンタル計画ちゃんは、両手で温泉まんじゅうを持つと、ぱくりとかじった。
もぐ。もぐもぐ。本当に音が聞こえてきそうな食べ方だった。頬が少しふくらんでいる。目がゆっくり細くなる。
「あ、おいしいんだ」
「ん」
口に入っているので、返事は短い。けれど、表情を見れば十分だった。
親友も温泉まんじゅうを一口食べる。生地はふわっとしているのに、しっとりしている。中のあんこは甘すぎず、でもしっかり甘い。温かさもあって、歩いてきた体にじんわり染みる。続けて、グレープスムージーを飲む。冷たくて、甘酸っぱくて、果物の味が濃い。
隣では、もう温泉まんじゅうの半分以上が消えていた。早い。早いけど、幸せそうなので何も言えない。
その時、カウンターの向こうから、年配の女性がこちらに話しかけてきた。
「あなたたち、トレセン学園の子だね」
「あ、はい」
「やっぱり。毎年、合宿の時期になるとトレセン学園の子が来てくれてねぇ。嬉しいんだよ」
その言葉に、少しだけ照れる。たぶん、二人個人というより、トレセン学園の生徒全体のことを言っているのだと思う。それでも、嬉しいものは嬉しかった。
「ありがとうございます」
そう答えると、女性は目元を細めた。
隣では、最強メンタル計画ちゃんが聞いているのか聞いていないのか、ひたすら温泉まんじゅうを食べていた。
もぐ。もぐもぐ。
「でもねぇ」
女性の声が、少しだけ寂しそうになる。
「やっぱり、少しずつ寂れてきててね。昔はもっと賑わってたんだよ」
親友は、窓の外に目を向けた。
静かな商店街。開いている店もある。きれいに手入れされている場所もある。けれど、歩いている人は少ない。少し先にはシャッターの下りた店がある。海沿いの温泉旅館があって、合宿の時期で、外の海には人も多かった。けれど、少し離れたこの商店街までは、なかなか人の足が向かないのかもしれない。
「昔はね、夏になるとこの通りも人でいっぱいでね。お土産屋さんも、喫茶店も、果物屋さんも、みんな忙しくて」
女性は懐かしそうに話す。
「温泉まんじゅうも、朝から晩まで蒸してたんだよ。今は、まあ、食べてくれる人がいるだけでありがたいけどね」
その声は、暗いわけではなかった。ただ、懐かしさの奥に、少しだけ諦めのようなものが混じっていた。
「ふふっ。学生の子に話すことじゃなかったね」
女性は小さく笑う。そして、カウンターの奥から小皿を持ってきた。
「これは謝罪も込めたおまけね。よかったら食べて」
小皿の上には、温泉まんじゅうが二つ乗っていた。
「え、いいんですか?」
「もちろん。いっぱい歩くんでしょう?」
「ありがとうございます」
親友は少し頭を下げた。
隣の最強メンタル計画ちゃんも、食べる手を止めていた。いつの間にか、温泉まんじゅうを持ったまま、女性の方を見ている。
「もう一度でいいからねぇ」
女性が、ほとんど聞こえないくらいの声で呟いた。
「栄えてた時の光景、見たいもんだねぇ」
その言葉が、静かな店内に落ちた。
親友は何も言えなかった。慰めるのも違う気がした。簡単に「きっと大丈夫です」と言うのも、少し無責任な気がした。だから、ただ黙っていた。
けれど。
隣から、小さな声が聞こえた。
「……最強商店街計画」
親友は、勢いよく振り向いた。
そこには、最強メンタル計画ちゃんがいた。
さっきまで温泉まんじゅうを持っていた手には、なぜか新品のノートが握られている。本当に、どこから取り出したのかわからない。しかも、すでに開かれている。さらに、ペンも握られている。
「ちょっと待って」
親友が言うより早く、彼女はノートに文字を書き始めていた。
さらさら。さらさらさら。
不思議そうにこちらを見る店の女性。たぶん、何が起きているのかわかっていない。
ただ、わかることが一つだけある。
何かが、始まってしまった。
「人が溢れる最強の商店街にする!」
最強メンタル計画ちゃんが、力強く言った。店内の空気が止まった。
「温泉まんじゅうの美味しさ、伝える!」
さらに続ける。
「みんな幸せ!」
言い切った。その目は、本気だった。善意百パーセントだった。
困っている人がいる。寂しそうな人がいる。昔の賑わいをもう一度見たいと言った人がいる。だから、何とかしたい。その気持ちだけは、まっすぐで、疑いようがなかった。
店の女性は目をぱちぱちさせたまま固まっている。
親友は、ゆっくりと息を吸った。そして、鞄の中に手を入れる。
取り出したのは、赤ペンだった。
最近、持ち歩くことが自然になりつつある。本当は、自然になってはいけない気がする。けれど、今この瞬間は必要だった。
「まず」
赤ペンのキャップを外す。
「商店街は、寮の部屋と違って広いからね」
「ん」
「勝手に何か設置しない」
「ん」
「勝手に何か配らない」
「ん」
「勝手に何か香らせない」
「……ん」
「今、少し間があったよね?」
「なかった」
「ありました」
親友はノートをそっと覗き込む。そこには、力強い字でこう書かれていた。
最強商店街計画。
その下には、すでにいくつかの項目が並び始めている。
・温泉まんじゅうをもっと知ってもらう
・果物もおいしい
・商店街を歩く理由を作る
・後輩ちゃんにも食べてもらう
・みんな幸せ
最後の項目だけ、妙に大きく書かれていた。
親友は赤ペンを構える。隣で、最強メンタル計画ちゃんは真剣な顔をしている。カウンターの向こうで、年配の女性はまだ少し固まっている。湯気の立つ温泉まんじゅう。冷たいグレープスムージー。静かな商店街。穏やかな喫茶店。
休みの日。ただの日常。そのはずだった。
けれど、手元には赤ペンがある。彼女の手元には新品のノートがある。そして、ページの一番上には、間違いなくこう書かれている。
最強商店街計画。
親友は小さく息を吐いた。
「……まずは、合法で安全で迷惑をかけない範囲から考えようね」
「ん!」
その返事は、とても元気だった。
何かが、始まってしまった。