第14話 定期配信、始めます

中山競馬場でのイベントから、数日が経った。

僕の生活は、少し変わった。

いや、少しではないのかもしれない。

初配信の後も反響はあった。

けれど、中山で現地に立った後の反響は、それとは違う種類のものだった。

画面の向こうで歌った配信者。

それだけだった僕が、実際にレース場に立った。

中山競馬場。

観客席。

出走ウマ娘たち。

レース後のステージ。

そこで、僕は歌った。

ただの個人配信ではなく、現実のレース後に歌が響いた。

その意味を、僕自身もまだうまく受け止めきれていなかった。

でも、いつまでも立ち止まっているわけにはいかない。

中山の最後に、僕は言った。

これからは、定期的に配信を行います、と。

言ったからには、やる。

僕は机の前に座り、配信画面を開いた。

チャンネル名。

Spica Project。

初配信の時よりも、待機人数が明らかに多かった。

まだ配信開始前なのに、コメント欄が流れている。

待機。

待機。

待機。

スピカきゅん来る?

来る。

定期配信。

定期配信。

生きる。

まだ始まっていないのに、もうすでに圧がある。

僕は少しだけ息を吐いた。

落ち着こう。

今日やることは決めてある。

まず、中山競馬場イベントのお礼。

それから、当日のレースについての感想。

最後に、少しだけ歌う。

今回は、メイクデビューを歌う予定はなかった。

中山で歌ったばかりだ。

毎回同じ曲を歌っていたら、ウマ娘たち自身に歌ってもらうという目的から離れてしまう気もする。

だから今日は、レース感想と雑談を中心にする。

そう決めていた。

決めていた、のだけれど。

待機コメントの中に、すでに流れている。

メイクデビューお願いします。

メイクデビュー聞きたい。

寝る前にお願いします。

朝練前にも使うのでお願いします。

用途が複数ある。

僕は画面の前で少し頭を抱えた。

「……まあ、最後に少しだけなら」

まだ配信は始まっていないのに、そんな言葉が口から出た。

よくない。

流されている。

でも、聞きたいと言ってくれるのはありがたい。

ありがたいけれど、僕はウマ娘のみんなに歌ってほしいのであって。

いや、まずは今日の配信だ。

僕は背筋を伸ばし、配信開始ボタンを押した。

「こんばんは。スピカです」

コメント欄が爆発した。

こんばんは。

来た。

生きた。

定期配信だ。

スピカきゅんこんばんは。

こんばんはスピカきゅん。

スピカきゅん。

スピカきゅん。

「……こんばんは」

僕は少しだけ笑ってしまった。

「まず、中山競馬場でのイベントに来てくださった皆さん、配信や後日の映像で見てくださった皆さん、本当にありがとうございました」

頭を下げる。

「それから、当日走ったウマ娘の皆さん。本当にお疲れさまでした」

コメントの流れが少し変わる。

また言った。

お疲れさまでした。

泣く。

出走した子、見てる?

見てたら泣く。

僕は続けた。

「今日は、中山でのイベントについて少し振り返りつつ、当日のレースについても話したいと思います」

レース感想。

待ってた。

聞きたい。

スピカきゅんのレース語り好き。

僕は手元の資料を開く。

映像は何度も見直した。

勝ったウマ娘の走りはもちろん素晴らしかった。

けれど、僕が話したかったのはそれだけではない。

「まず、勝った方についてですが、最後の直線で前を譲らなかったのが本当に強かったと思います」

資料を見ながら、あの直線を思い出す。

「あの位置から粘るのは、見ている以上に苦しいはずです」

コメントが流れる。

ちゃんと見てる。

あそこ本当にすごかった。

勝った子、絶対嬉しい。

「ただ、後ろから迫った方もすごかったです。あそこで一度仕掛けを早めて、最後まで追った」

言葉にしながら、もう一度レースの流れをなぞる。

「結果として届きませんでしたが、勝った方に最後まで脚を使わせたのは間違いなくあの方だと思います」

コメント欄が一瞬止まったように見えた。

それから、また流れ出す。

そこ拾う?

拾ってくれた。

二着の子も見てた。

スピカきゅん、そういうところ。

「それから、終盤で少し外を回る形になった方もいました。あれは苦しい展開だったと思います」

僕は少しだけ間を置いた。

「でも、そこから最後まで大きく崩れなかったのは、普段の積み重ねがあったからだと思います」

話しながら、僕は改めて思う。

レースは、一着だけでできているわけではない。

勝った子がいる。

その勝利は本当に素晴らしい。

けれど、その勝利を輝かせたのは、追った子、粘った子、仕掛けた子、最後まで諦めなかった子たちでもある。

僕は、そこを見たい。

そこを忘れたくない。

気づくと、コメント欄の流れは少し落ち着いていた。

見ている人たちも、レースを思い出しているのかもしれない。

僕は資料を閉じた。

「やっぱり、レースはすごいですね」

自然と、言葉がこぼれた。

「何度見ても、最後の直線は胸が熱くなります」

苦しいはずなのに、前を向く。

脚を伸ばす。

届くかどうかわからなくても走る。

「僕は、そういう姿を見るたびに、歌を届けたいと思います」

コメント欄に、無理、という文字が流れた。

またか。

焼けた。

健全に焼け。

レース感想で焼くな。

僕は少し困った。

「焼かないでください」

そう言うと、コメント欄が笑いの流れになった。

焼かれてるのはこっち。

火元が言うな。

スピカきゅんが火元。

違います。

火元自覚なし。

僕は咳払いをする。

「えっと、今日はもう一つ、少しだけお話ししたいことがあります」

コメントの流れが変わる。

何。

新曲?

新曲?

新曲ですか?

「新曲ではありません」

早めに否定する。

残念。

早い。

でも安心。

いや新曲も聞きたい。

どっち。

「中山で話した、ウィニングライブのことです」

コメント欄が少し静かになる。

ウィニングライブ。

あの言葉。

勝った子がセンター。

届かなかった子も一緒。

僕はゆっくり話す。

「僕が見たいのは、勝った方を軽くするものではありません。一着になった方が真ん中に立つ。それは、とても大切なことだと思っています」

勝者は、ちゃんと祝福されるべきだ。

それは揺らがない。

「でも、同じレースを走った方たちが、その場から消えてしまうのは寂しいと思っています」

コメント欄が止まりかける。

「悔しいままでもいい。泣きそうでもいい。笑えなくてもいい」

言葉を区切るたびに、画面の向こうを想像する。

「でも、そのレースを走ったことが、勝てなかったから全部なくなるわけじゃない。僕は、そういう場所を作りたいです」

画面の向こうに、誰がいるのかはわからない。

現役のウマ娘。

未勝利の子。

勝ったことのある子。

引退した子。

ただレースを見るのが好きな人。

それでも、誰かに届けばいいと思った。

「もちろん、いきなりは難しいと思います。だから最初は僕が歌います」

「でも、いつかはウマ娘の皆さん自身に歌ってほしい」

コメント欄が動き出す。

それはわかる。

素敵。

でもスピカきゅんにも歌ってほしい。

いつもの。

様式美。

スピカきゅんがセンターで。

「センターは勝ったウマ娘の方です」

即座に言う。

コメント欄がさらに流れる。

レースでは先頭譲らないのにスピカきゅんにはセンター譲るの草。

最終直線では譲らない、ステージ中央は譲る。

僕はそのコメントを読んで、固まった。

「……えっと、それは譲らないでください」

笑いのコメントが流れる。

草。

困ってる。

かわいい。

かわいいって言うな。

でもかわいい。

「レースで先頭を譲らない方が、ステージでも胸を張って真ん中に立つべきだと思います」

真面目に言ったつもりだった。

しかしコメント欄は、

そういうところ。

だから好き。

センター譲りたくなる。

違う。

違わない。

と、また別の方向に盛り上がっている。

僕は少しだけ天井を見た。

難しい。

本当に難しい。

でも、完全に伝わっていないわけではない。

たぶん。

少しずつ、少しずつだ。

僕はそう自分に言い聞かせる。

「では、最後に少しだけ歌って終わりにします」

コメント欄が爆発した。

メイクデビュー。

メイクデビュー。

メイクデビューお願いします。

知ってた。

様式美。

僕は苦笑した。

「今日は別の曲を少し練習していたんですが」

メイクデビュー。

メイクデビューも。

最後に少しだけ。

寝る前に必要。

朝練前にも必要。

使い道が多い。

僕は負けた。

「では、練習していた曲を少しだけ歌って、その後にメイクデビューも短く」

勝った。

勝った。

勝った。

僕は負けたのかもしれない。

いや、これは負けではない。

聞きたいと言ってもらえるのはありがたいことだ。

それに、いつかウマ娘のみんなが歌う時のために、何度も聞いてもらうのも悪くない。

そう思うことにする。

まず、練習していた曲を少しだけ歌った。

まだ完成していない。

この世界に届けるには、もう少し整えたい曲。

未来への期待と、旅の始まりのような曲。

歌い終えると、コメント欄が静かになった。

良い。

何これ。

新曲?

今の何?

もっと聞きたい。

僕は首を振る。

「まだ、ちゃんとお届けできる形ではありません。いつか、きちんと準備できたら」

コメントがざわつく。

いつか。

新曲予告?

生きる。

僕はまた墓穴を掘った気がした。

続けて、短くメイクデビューを歌う。

あの前奏が流れた瞬間、コメント欄が一斉に変わった。

来た。

助かる。

寝られる。

走れる。

効能が矛盾。

歌い終えると、僕は頭を下げた。

「今日も聞いてくださってありがとうございました」

コメントが流れる。

ありがとう。

お疲れさまでした。

スピカきゅんも寝て。

ちゃんと休んで。

次いつ?

定期ってどのくらい?

「今後は、週に一度を目標に。余裕があれば、もう一度できたらと思っています」

週一。

週一。

週一。

週二の可能性。

生きる。

僕は少し笑った。

「無理のない範囲で続けます。皆さんも、無理はしないでください。夜中に走りに行くのは、できれば控えてください」

コメント欄が止まった。

知ってるの?

バレてる。

寮長案件。

すみません。

わかるけど寝ます。

「寝てから走ってください」

そう言うと、またコメント欄が笑いで流れた。

僕は配信を終了した。

部屋に静けさが戻る。

初配信の時よりは、少しだけ落ち着いている。

それでも、心臓はまだ速かった。

定期配信。

始まった。

画面の前で歌うこと。

レースについて話すこと。

ウィニングライブのことを少しずつ伝えること。

そして、いつかウマ娘たちが歌ってくれる日へ近づくこと。

遠い。

とても遠い。

でも、中山で最初の歌は響いた。

今日、少しだけウィニングライブの話もできた。

コメント欄の反応は、かなり違う方向へ曲がっていた気もするけれど。

それでも、進んではいる。

たぶん。

僕はノートを開き、今日の配信の反省を書く。

レース感想は続ける。

ウィニングライブ説明は、もう少しわかりやすく。

メイクデビューを求められた時の対応を考える。

夜中に走らないよう注意。

最後に一行。

少しずつ、歌を渡していく。

それを書いて、僕はペンを置いた。

同じ頃。

トレセン学園の寮では、何人かのウマ娘がスマホを抱えたまま布団に入っていた。

「寝てから走ってください、だって」

「……明日走る」

「うん」

「今日じゃなくて?」

「寮長に怒られるから」

「えらい」

廊下の向こうから、別の声がする。

「明日の朝練、少し早く出る?」

「出る」

「メイクデビュー流す?」

「流す」

「小さくね」

「うん」

彼女たちは笑った。

少しだけ泣きそうに。

少しだけ楽しそうに。

スピカの定期配信は、その日から始まった。

レースを語る配信。

ウマ娘の走りを熱く話す配信。

歌ってみた回。

そして、毎回のようにメイクデビューを求められる配信。

スピカ本人は、ウマ娘たちに歌ってほしかった。

ウマ娘たちは、スピカに歌ってほしかった。

そのズレは、しばらく埋まりそうになかった。

それでも。

レース後に歌があるという考えは、少しずつ、少しずつ広がり始めていた。