第21話 不愉快です。帰ります

スピカの名前は、少しずつ広がっていた。

初配信。

中山競馬場でのレース後イベント。

フラワーカップでのNEXT FRONTIER。

そして、その後に続いた定期配信。

最初は、ウマ娘たちの間でだけ大きな話題になっていた。

男性の個人配信者が、ウマ娘の走りを熱く語る。

勝った子だけではなく、届かなかった子の走りにも触れる。

レース後に歌を届ける。

ウィニングライブという聞き慣れない言葉を語る。

その珍しさと熱量が、ウマ娘たちの間で広がっていった。

けれど、それだけでは終わらなかった。

レース後イベントの映像が切り抜かれた。

NEXT FRONTIERの一部が話題になった。

メイクデビューを鼻歌で口ずさむウマ娘が増えたという話が記事になった。

トレセン学園がスピカと関わっているらしい、という噂も広がった。

いつの間にか、スピカという名前は、ウマ娘界隈だけではなく一般のニュースやバラエティ番組でも取り上げられるようになっていた。

僕自身は、実感が追いついていなかった。

配信をする。

レースを見る。

曲を練習する。

たづなさんとイベントの調整をする。

理事長の思いつき企画を、たづなさんが止めるところに同席する。

そういう日々を送っているうちに、気づけば周りの方が勝手に大きくなっていた。

そして、ある日。

配信用の連絡窓口に、一通のDMが届いた。

差出人は、テレビ局の番組制作担当者だった。

内容は、菊花賞特番への出演依頼。

今年の菊花賞は、注目度が高い。

無敗二冠を達成し、三冠に王手をかけたミホノブルボン。

その特集番組に、特別ゲストとして出演してほしい。

ウマ娘への熱い想いを語ってほしい。

スピカさんならではの視点を聞かせてほしい。

そう書かれていた。

僕は、何度も読み返した。

菊花賞。

ミホノブルボン。

その名前を見た瞬間、胸の奥が少し重くなる。

前世で知っている。

史実も、アニメも、アプリも。

ミホノブルボンの三冠。

ライスシャワー。

菊花賞。

それは、僕の中でも忘れられない出来事だった。

もちろん、この世界が前世と同じとは限らない。

ここにいる彼女たちは、ゲームのキャラクターでも、過去の記録でもない。

今を生きているウマ娘だ。

結果を知っているつもりになってはいけない。

それでも、菊花賞という文字を見ると、どうしても胸がざわついた。

でも同時に、思った。

語れる場だ。

ミホノブルボンのすごさを。

そして、ライスシャワーのすごさも。

三冠という大きな物語の中で、見落とされそうな走りについても。

テレビという場で、少しでも話せるなら。

僕は返信を書いた。

ぜひ出演させてください。

ウマ娘たちの走りについて話せる機会をいただけるなら、とてもありがたいです。

送信した後、僕はノートを開いた。

菊花賞。

ミホノブルボン。

ライスシャワー。

レース映像。

走りの特徴。

長距離適性。

展開予想。

書くべきことは多かった。

僕は、それから数日間、いつも以上にレース映像を見直した。

ミホノブルボンの走りは、やはりすごかった。

逃げる。

ただ前に出るだけではない。

自分のリズムを作り、後続に脚を使わせ、最後まで粘り切る。

それを実現するには、どれだけの積み重ねが必要なのか。

どれだけの練習を、どれだけ正確にこなしてきたのか。

画面越しにも伝わってくる。

周囲からサイボーグのようだと言われる理由もわかる。

けれど、僕にはそれが、感情がないからだとは思えなかった。

むしろ、積み上げ続けるための熱がある。

淡々としているからこそ、そこにある執念が見える気がした。

そして、ライスシャワー。

小柄で、控えめで、自信なさげに見えるウマ娘。

でも、長い距離の中でじっと脚を溜める走りには、独特の怖さがあった。

決めた瞬間、空気が変わる。

青い炎。

その言葉が頭に浮かぶ。

彼女は、ただの挑戦者ではない。

届く。

届いてしまうかもしれない。

そう思った。

番組当日。

控室に案内された時点で、少しだけ違和感があった。

スタッフの対応は丁寧だった。

けれど、どこか慌ただしい。

僕に渡された台本には、大きくこう書かれていた。

菊花賞直前! 無敗三冠なるか! ミホノブルボン大特集

そこまではいい。

問題は、出演者欄だった。

司会者。

ウマ娘評論家。

男性アイドルユニット。

スピカ。

男性アイドルユニット。

僕は台本を見ながら、少しだけ首を傾げた。

菊花賞特番。

ウマ娘評論家がいるのはわかる。

僕が呼ばれたのも、ウマ娘向けの曲や配信で話題になったからだろう。

でも、男性アイドルユニット。

もちろん、彼らが悪いわけではない。

ウマ娘のファンなのかもしれない。

菊花賞に興味があるのかもしれない。

ただ、台本上では、彼らのトーク時間がかなり多かった。

僕の役割は、ところどころでコメントを求められる程度。

それでも、話せる場があるならいい。

そう思うことにした。

スタジオに入る。

明るい照明。

カメラ。

司会者の笑顔。

評論家の落ち着いた表情。

男性アイドルたちの華やかな衣装。

僕は一礼して、自分の席に座った。

番組が始まる。

司会者が、明るい声で話す。

「さあ、いよいよ菊花賞が近づいてまいりました! 今年の注目は何と言っても、無敗二冠のミホノブルボン! 三冠達成なるか!」

画面に、ミホノブルボンの映像が流れる。

強い。

何度見ても、強い。

僕は自然と背筋を伸ばした。

「そして本日は、ウマ娘評論家の先生、人気男性アイドルユニットの皆さん、さらに今話題のスピカさんにもお越しいただいております!」

今話題の。

その紹介に、少しだけ引っかかった。

でも、僕は笑顔で頭を下げた。

「よろしくお願いします」

番組は華やかに進んだ。

ミホノブルボンのこれまでの戦績。

三冠の価値。

過去の名勝負。

評論家が数字を語る。

男性アイドルたちが、かっこいい、すごい、三冠って響きがいい、と盛り上げる。

それ自体は悪いことではない。

ミホノブルボンがすごいのは間違いない。

三冠が特別なのも間違いない。

でも、少しずつ違和感が積もっていった。

映像の中のミホノブルボンが、記録のための記号のように扱われている気がした。

無敗。

二冠。

三冠。

サイボーグ。

最強。

そういう言葉が並ぶ。

でも、その裏にある積み重ねや、走る本人の苦しさや、レースの中の細かな駆け引きについては、あまり触れられない。

司会者が、僕に話を振った。

「スピカさんは、ミホノブルボンについてどうご覧になっていますか?」

僕は、ようやく話せると思った。

「はい。ミホノブルボンさんの走りは、本当にすごいと思います」

僕は、言葉を選びながら続ける。

「特に逃げる強さというのは、ただ前に出ればいいわけではなくて、自分のペースを作りながら、後ろの子たちに脚を使わせて――」

「そうですね、数字で見ても圧倒的です」

評論家が、僕の言葉に被せるように言った。

「これまでのタイム、ラップ、勝ち方。いずれを見ても本命と言っていいでしょう」

司会者が頷く。

「なるほど、やはり数字でも圧倒的!」

男性アイドルの一人が笑う。

「いやあ、三冠ってやっぱりロマンありますよね。響きが強い!」

「そうですね」

僕は頷いた。

それは否定しない。

でも、僕が話したかったのはそこだけではない。

もう一度、タイミングを探す。

しばらくして、司会者が別の話題を振った。

「スピカさんは、レース後イベントでもウマ娘たちを応援されていますが、今回の菊花賞ではどんなところに注目していますか?」

「長距離なので、単純な速さだけではなく、どこで脚を使うかが重要になると思います」

今度こそ、そこを話したかった。

「ミホノブルボンさんが自分のリズムを作れるか、それに対して後ろの子たちがどう動くか――」

「やはりミホノブルボンが中心ですよね」

評論家が言った。

「後続がどう動くにしても、彼女を崩せるかどうかが焦点です」

また、僕の言葉は途中で切られた。

スタジオの流れは、すぐにミホノブルボン三冠の話へ戻る。

僕は笑顔を保った。

保とうとした。

でも、少しずつ胸の奥に溜まっていくものがあった。

僕は、ウマ娘たちの話をしたい。

記録だけではなく、走る本人の話をしたい。

勝者だけではなく、挑む子たちの話もしたい。

でも、この場では、どうやらそれは求められていないのかもしれない。

そう思い始めた頃、司会者が明るく言った。

「では皆さん、今回の菊花賞で一番注目しているウマ娘を挙げるとしたら、誰でしょうか?」

評論家は即答した。

「ミホノブルボンですね」

男性アイドルたちも頷く。

「やっぱりミホノブルボンちゃんですかね」

「三冠見たいですよね」

「歴史的瞬間に立ち会えるかもって思うと、ワクワクします」

司会者が僕を見る。

「スピカさんはいかがですか?」

僕は一度、息を吸った。

「もちろん、ミホノブルボンさんは本当にすごいです」

そこは、絶対に誤解されたくなかった。

「無敗で二冠を達成し、三冠へ向かう。そこまで積み上げてきたものは、簡単に言葉にできるものではないと思います」

ミホノブルボンを下げるつもりはない。

彼女は本当にすごい。

でも。

「ただ、僕はライスシャワーさんにも注目しています」

スタジオの空気が、少しだけ止まった。

司会者が、わずかに目を瞬かせる。

「ライスシャワー、ですか」

「はい」

僕は頷いた。

「レース映像を見る限り、ライスシャワーさんはただの挑戦者ではないと思います」

スタジオの空気を感じながら、それでも続ける。

「長い距離の中で脚を溜める力があって、決めた時の集中力がとても高い。ミホノブルボンさんの強さは疑いようがありません」

そこは、誤解されたくなかった。

「でも、ライスシャワーさんも届かない位置にはいないと思っています」

言い切った。

スタジオが、一瞬だけ静かになる。

その沈黙を、評論家が笑って埋めた。

「まあ、もちろん競馬に絶対はありませんからね。ただ、話題性としてはやはり三冠でしょう」

「そうですね!」

男性アイドルの一人が笑う。

「三冠達成って、見たいですもんね。みんな応援してると思います!」

その言葉に、少しだけ胸が重くなる。

みんな。

本当に、みんなだろうか。

ライスシャワーは、応援されていないのだろうか。

彼女が勝ったら、それは空気を読まなかったことになるのだろうか。

レースなのに。

全員が勝つために走るのに。

「ライスシャワーさんが勝つ可能性を語ることは、ミホノブルボンさんを否定することではありません」

気づけば、そう言っていた。

司会者がこちらを見る。

僕は続ける。

「どちらが勝っても、その子が全力で掴んだ結果です。三冠がかかっているからこそ、他の出走者の走りもちゃんと見たいと思っています」

今度こそ、少しだけ空気が重くなった。

その空気を変えようとしたのか、男性アイドルの一人が明るい声を出した。

「そういえばさ、スピカくん」

「はい」

「あの曲、僕らにも歌わせてくれない?」

一瞬、何を言われたのかわからなかった。

「あの曲、というと」

「ほら、メイクデビュー」

彼は笑っていた。

軽い調子だった。

「今すごい人気でしょ? 僕らが歌ったら、もっと広まると思うんだよね。番組企画とかでさ。ウマ娘ちゃんたちも喜ぶんじゃない?」

スタジオの音が、遠くなった。

メイクデビュー。

すべてのウマ娘が栄光を掴めるわけではない。

それでも夢を見て、ゲートに立ち、前を向く子たちへ贈りたかった曲。

眠れなかった子が、あの曲で眠れたと言ってくれた。

負け続けた子が、もう一度走ろうと思えたと言ってくれた。

まだ何者でもない子が、それでも夢を見ていいと思えたと言ってくれた。

あの曲を、僕は何度も何度も練習した。

前世で胸を焼かれた光を、できる限り壊さずに届けたかった。

それを。

人気だから。

話題だから。

歌えばウケるから。

そんな理由で。

「……すみません」

自分の声が、思っていたより低く響いた。

スタジオの空気が変わったのがわかった。

司会者の表情が固まる。

評論家が口を閉じる。

男性アイドルの笑顔が、少しだけ引きつった。

「あの曲は、僕がウマ娘へ捧げるために歌った曲です」

誰も喋らなかった。

「同じ思いを持って歌ってくれるなら、考えます」

僕は、相手の目を見た。

「でも、人気取りのためだけに、薄っぺらいものとして歌ってほしくありません」

男性アイドルの表情が固まった。

司会者が、何かを言おうとする。

「あ、いや、スピカさん、それは――」

僕は立ち上がった。

「不愉快です。帰ります」

その瞬間、スタジオは完全に止まった。

誰も動けない。

誰も笑えない。

空気だけが、重く沈む。

数秒後、スタッフの声が飛んだ。

「CM入ります!」

画面が切り替わる直前、僕はマイクを外した。

控室へ戻る廊下を歩きながら、心臓が強く鳴っていた。

やってしまった。

生放送で、途中退席。

番組にも迷惑をかけた。

そこは、僕が悪い。

でも。

あの場に座り続けることはできなかった。

メイクデビューを、あんなふうに扱われたくなかった。

ウマ娘たちへの曲を、話題作りの道具にされたくなかった。

控室に戻り、荷物を取る。

スタッフが何か言っていた気がする。

謝罪もした。

でも、長く話す気にはなれなかった。

局を出る。

外の空気は冷たかった。

僕は一度立ち止まり、深く息を吸った。

怒っている。

まだ怒っている。

でも、それだけではだめだ。

このままでは、誤解されるかもしれない。

誰にも歌わせたくないと思われるかもしれない。

曲を独占したいと思われるかもしれない。

違う。

そうじゃない。

僕は、ウマ娘たちに歌ってほしい。

同じ思いを持つ人にも歌ってほしい。

ただ、敬意なく使われるのが嫌だっただけだ。

僕はスマホを取り出した。

配信準備をするために、家へ戻らなければ。

急いで説明しよう。

自分の言葉で。

その頃。

テレビを見ていた全国のウマ娘たちは、まだ固まっていた。

初めて聞いた、スピカの低い声。

あの曲は、僕がウマ娘へ捧げるために歌った曲です。

人気取りのためだけに、薄っぺらいものとして歌ってほしくありません。

不愉快です。帰ります。

その言葉は、あまりにも強かった。

ウマ娘掲示板が燃えるまで、そう時間はかからなかった。