第20話 反省していない理事長
フラワーカップ後の反省会から、三日が経った。
僕は、たづなさんに怒られた内容をノートにまとめていた。
事前告知。
新曲共有。
出走ウマ娘への影響確認。
観客導線。
救護体制。
ステージ上での発言内容。
そして、大きく囲って書いた。
サプライズは慎重に。
これは重要だ。
僕の言葉や歌は、思っていた以上にウマ娘たちへ届いてしまう。
届くこと自体は嬉しい。
でも、届き方を間違えれば、彼女たちを追い詰めてしまうかもしれない。
だから、今後は慎重に。
そう決めた。
僕は決めた。
僕は。
問題は、理事長だった。
その日の午後。
トレセン学園、理事長室。
秋川やよい理事長は、扇子を開きながら高らかに言った。
「小規模ッ! 実に小規模な案を思いついたぞ!」
駿川たづなさんは、書類から顔を上げた。
「理事長」
「まだ何も言っておらん!」
「では、先に確認します。サプライズですか?」
「……」
「理事長」
「小規模な」
「サプライズですか?」
「……驚き要素はある」
たづなさんは、静かにペンを置いた。
その音は小さかった。
けれど理事長の頭の上の猫が、ぴくりと耳を動かした。
「詳しくお聞きしましょう」
「うむ!」
理事長は嬉しそうに資料を広げる。
そこには、手書きでこう書かれていた。
スピカ君ミニ感謝メッセージ上映会
たづなさんは、数秒だけ沈黙した。
「……上映会」
「うむ! スピカ君が日頃の配信で生徒たちに向けてくれている言葉を、短くまとめた映像を食堂で流すのだ!」
「食堂で」
「昼食時に!」
「昼食時に」
「生徒たちの士気向上ッ!」
たづなさんは目を閉じた。
「理事長」
「小規模だぞ」
「昼食時の食堂でスピカ様の映像を流した場合、どうなると思いますか」
「感動ッ!」
「食事が止まります」
「……」
「泣く子が出ます」
「……」
「場合によっては、食堂内で立ち上がる子、走り出そうとする子、映像を保存しようとして端末を取り出す子が出ます」
「……しかし、感謝の」
「食堂では行いません」
「了承ッ」
声が小さかった。
翌日。
「理事長」
「なんだ、たづな」
「これは何でしょうか」
たづなさんが持っていたのは、一枚の企画書だった。
タイトル。
朝練前・元気注入スピカ音声
理事長は胸を張った。
「朝練前に、スピカ君の『今日も無理せず、自分の走りを大切にしてください』という音声を流す案だ!」
「音声は、どこから」
「過去配信から切り出して」
「許可は」
「これから取る」
「実施告知は」
「朝に突然」
「理事長」
「小規模だ!」
「朝練前にスピカ様の声を突然流した場合、生徒たちはどうなりますか」
「元気に」
「走り出します」
「良いことでは?」
「準備運動前です」
「……」
「却下です」
「無念ッ!」
その翌日。
「理事長」
「なんだ、たづな」
「廊下の掲示板に貼られていたこれは何でしょうか」
たづなさんが持っていたのは、色鮮やかなポスターだった。
大きな文字で、
今日も前へ! スピカ君応援標語週間
と書かれている。
理事長は堂々と言った。
「標語だ!」
「見ればわかります」
「生徒たちの心を明るくするために、スピカ君の配信での言葉をもとにした標語を掲示しようと」
「理事長」
「今回は音声ではない!」
「無断でスピカ様の言葉を標語化していませんか」
「意訳ッ!」
「許可は」
「これから」
「事前共有は」
「今している」
「貼った後に見つけたのですが」
「……」
「理事長」
「撤去ッ!」
理事長は即座に扇子を閉じた。
たづなさんは深く息を吐いた。
さらに翌日。
僕は、たづなさんから連絡を受けてトレセン学園を訪れていた。
内容は、次回配信と学園内相談枠についての確認だった。
会議は穏やかに進んだ。
少なくとも、途中までは。
「ところでスピカ君」
やよい理事長が、にこにことしながら切り出した。
「はい」
「次回の配信で、学園の生徒たちへ一言、朝に向けた応援メッセージを」
「理事長」
たづなさんの声が入った。
「まだ何も」
「理事長」
「……相談だ」
「その相談は、昨日却下しました」
「直接スピカ君に聞けば、何か良い形があるかと」
「理事長」
たづなさんの声は静かだった。
けれど、僕はフラワーカップ後の反省会を思い出して背筋を伸ばした。
理事長も伸ばした。
「スピカ様を巻き込んで既成事実を作ろうとしないでください」
「既成事実ではない。相談ッ」
「理事長」
「……反省ッ」
理事長は小さくなった。
僕はおそるおそる手を挙げる。
「あの」
二人がこちらを見る。
「もし、朝練前に聞くものなら……僕の声より、ウマ娘のみなさんが自分で声を出せる方がいいかもしれません」
「自分で?」
理事長が目を輝かせる。
たづなさんは少しだけ警戒した。
「はい。例えば、僕が何かを言うのではなく、短いリズムに合わせて、自分で今日の目標を口にする、とか」
たづなさんが、少し考える。
「それなら、スピカ様への依存を高めるのではなく、生徒自身の意識づけになりますね」
「はい。僕が中心になるより、その方がいいと思います」
理事長は扇子を開いた。
「採用ッ!」
「理事長、まだ検討段階です」
「検討採用ッ!」
「言葉を混ぜないでください」
僕は少し笑ってしまった。
たづなさんがこちらを見た。
僕はすぐに表情を引き締めた。
「すみません」
「いえ」
たづなさんは、ほんの少しだけ目元を緩めた。
「今の案は、良いと思います」
その言葉に、理事長が満足げに頷く。
「やはりスピカ君を呼んで正解であった!」
「理事長」
「なんだ」
「結果的に良い案が出ましたが、無断で進めようとしたことは別問題です」
「……はい」
理事長はまた小さくなった。
その後も、理事長の「反省しているようでしていない」小さな企画案は続いた。
スピカ君おすすめレース振り返り会
「本人不在で名前を使わないでください」
放課後ミニメイクデビュー体操
「体操にする前に許可と安全確認です」
スピカ君ありがとう寄せ書き企画
「スピカ様が受け取った時にどう反応されるか考えてください」
「喜ぶのでは?」
「泣くかもしれません」
「それは……見たい」
「理事長」
「反省ッ!」
たづなさんは、そのたびに止めた。
止め続けた。
しかし、完全に否定しているわけではなかった。
理事長の企画は、勢いがありすぎる。
サプライズに寄りすぎる。
スピカの影響力を軽く見ている部分がある。
でも、その根っこには、生徒たちを元気づけたいという思いがあった。
だから、たづなさんは怒りながらも、使える部分を拾う。
安全に直す。
事前告知を入れる。
スピカ本人の許可を取る。
生徒たちが依存しすぎない形に調整する。
それは、かなり大変な仕事だった。
理事長は夢を見る。
スピカは夢を語る。
そしてたづなさんは、夢が事故にならないように資料を作る。
トレセン学園の平和は、今日もたづなさんの胃の上に成り立っていた。
ある日の夕方。
理事長室で、たづなさんは山になった企画書を整理していた。
やよい理事長は、窓の外を見ながら言う。
「たづな」
「はい」
「私はな、反省していないわけではないのだ」
「はい」
「本当だぞ」
「はい」
「ただ、思いついてしまうのだ」
「はい」
「スピカ君の歌や言葉が、あの子たちの背中を押すなら、もっと何かできないかと」
たづなさんの手が、少しだけ止まった。
理事長の声は、いつものように大きくはなかった。
小柄な背中が、窓の向こうのトレーニングコースを見ている。
そこでは、夕方の練習を終えたウマ娘たちが、ゆっくりと戻ってくるところだった。
「中山の後、顔を上げた子がいた」
「はい」
「フラワーカップの後、転んだ子がまた走る準備を始めた」
「はい」
「なら、もっとと思ってしまう」
たづなさんは、資料を置いた。
「お気持ちはわかります」
「うむ」
「だからこそ、止めます」
「む」
「続けるためにです」
理事長は少し黙った。
それから、小さく笑う。
「厳格ッ」
「業務です」
「頼もしいな」
「理事長が思いつきで動かれるので」
「反省ッ」
「何度目ですか」
「……継続反省ッ」
たづなさんは、ため息をついた。
けれど、その表情は少しだけ柔らかかった。
理事長は、やはり反省しているようでしていない。
でも、その思いつきの根っこにあるものを、たづなさんは知っている。
ウマ娘たちに笑ってほしい。
ただ、それだけなのだ。
問題は、そのためにサプライズを仕込みがちなことだけで。
かなり大きな問題だった。
その夜。
トレセン学園の一部職員用連絡板には、こんなスレが立った。
【業務連絡】理事長発案ミニイベント案の取り扱いについて
レス 1〜50
理事長発案のミニイベント案について、必ずたづなさん確認後に動くこと。
了解。
了解しました。
「小規模」と書かれていても要確認。
「サプライズではない」と書かれていても要確認。
「感動」と書かれていたら?
即確認。
「生徒たちのため」と書かれていたら?
それは本心なので、内容を精査。
「スピカ君」と書かれていたら?
最優先でたづなさん確認。
草。
笑えない。
スピカ様関連は影響範囲が広いので本当に注意。
前回のNEXT FRONTIER後、救護対応増えましたしね。
でも良かった。
良かったかどうかと、事前確認は別。
はい。
理事長、反省してます?
している。
しているけど思いつく。
一番厄介。
繰り返します。
理事長発案、スピカ様関連、サプライズ要素あり。
この三つが揃った場合、必ずたづなさんへ。
了解。
こうして、トレセン学園では新しい業務ルールが生まれた。
理事長発案のスピカ関連企画は、まずたづなさんへ。
それは、生徒たちを守るためであり。
スピカを守るためであり。
たづなさんの胃を、少しでも守るためのルールだった。
なお、その翌朝。
理事長はまた新しい企画書を一枚書いた。
タイトルは、
スピカ君と学ぶ、レース後拍手の心得
だった。
たづなさんは、それを見て静かにペンを置いた。
「理事長」
「小規模だ」
「理事長」
「……確認を頼む」
少しだけ、成長していた。