外伝01:理事長の好奇心(封印物の末路)
── 保管をお願いします ──
その日、たづなさんは両手にいくつかの袋を持っていた。
封をした密閉袋。
ラベルを貼った小箱。
内容物の説明が書かれた紙。
生徒から預かった「危険物」の一時保管依頼だった。
寮の部屋に置くのは論外。
一般の倉庫に混ぜるのも望ましくない。
施錠でき、責任感があり、かつ中身の説明をしても動揺しない人物。
消去法で残ったのが、理事長室だった。
「理事長。少しよろしいですか」
「歓迎ッ! どうぞどうぞ!」
扉越しに、よく通る声が返ってきた。
たづなさんはドアを開けた。
理事長はいつものように執務机の前に座っていた。
小柄な体に大きな椅子。帽子の上の猫が、たづなさんを一瞥して目を細めた。
この人は、呼ばれるたびに少し目が輝く。
それ自体は悪いことではないのだが、今日ばかりは少し困る。
「こちらを、しばらく保管していただけますか」
「ほう! なんだ?」
「詳しくは……」
たづなさんは説明用紙を差し出した。
理事長はそれを受け取り、扇でパタパタしながら読み進めた。
「ふむ……スピカさん関係の……音声データ……封印……なるほどッ!」
たづなさんはそれを見守りながら、心の中で「頼みます」と祈った。
理事長はしばらく読み進めて、最後に顔を上げた。
「了解ッ! 大切に保管しよう!」
「絶対に開けないでください」
たづなさんは、にこりと笑って言った。
静かな笑顔だった。
笑顔なのに、なぜか背筋が少しだけ伸びる種類の笑顔だった。
「承知ッ!」
力強く言った。
たづなさんは、この「承知ッ!」が二種類あることをまだ知らなかった。
本当に理解した「承知ッ!」と。
とりあえず聞いた「承知ッ!」の。
── 三日後 ──
三日後。
理事長室の前を通りかかったたづなさんは、廊下に漏れてくる微かな音に気づいた。
聞き覚えのある声だった。
というより、絶対に聞き覚えがある。
たづなさんはドアを静かにノックした。
「理事長?」
返事がない。
「理事長、いらっしゃいますか」
返事がない。
たづなさんはドアを開けた。
理事長は椅子の上にいた。
ヘッドホンをつけていた。
幸せそうな顔で、ぐったりしていた。
机の上には、開封された密閉袋。
そして、電源の入ったパソコン。
再生中の表示。
「……」
たづなさんは、しばらく無言で立っていた。
理事長の耳が、ぴくりと動いた。
尻尾も、ゆらりと揺れた。
「ん……んー……」
幸せそうだった。
誰がどう見ても、完全に幸せそうだった。
たづなさんは静かに歩み寄り、理事長の耳元に向かって言った。
「理事長?」
理事長の体がびくりと跳ねた。
「ひぇっ!」
素っ頓狂な声が漏れた。
ゆっくり顔を上げると、目の前に、にこりと微笑むたづなさんの顔があった。
「た、たづなッ!」
「お目覚めですか」
「あ……その……これは」
「ヘッドホンをつけていましたね」
「ちょっとだけ……」
「聞きましたか」
「……ちょっとだけ」
たづなさんは、一言も責めなかった。
ただ、静かにヘッドホンを手に取り、再生を止め、袋に戻して封をした。
それから理事長を見た。
穏やかな、笑顔だった。
「お体の具合は?」
「……温かかったです」
「そうですか。よかった」
よかった、と言いながら、目は全く笑っていなかった。
正確には、笑ってはいるのだが、その笑顔の奥に「後ほどお話があります」という静かな圧が漂っていた。
理事長は、それに気づいた。
理事長はするする小さくなった。
「……もう、理事長は……」
たづなさんが、初めて言葉の端にため息をにじませた。
責めているわけではない。
ただ、呆れている。
愛情ある呆れ、というやつだった。
「……たづな……ごめんよ」
「いいえ」
たづなさんは首を振った。
今度は本当に笑顔だった。
「ただ、こちらは今後、別の場所に保管することにします」
「憂慮ッ! ……それは、仕方ないな」
理事長は、珍しく大人しく頷いた。
それから、すぐに顔を上げた。
少し真剣な顔になっていた。
「たづな」
「はい」
「あの子は……本当にスピカさんのことが好きなのだな」
「そうですね」
「聞いてみると、わかるような気がした。あの子が何故あんなに頑張るのか」
たづなさんは、すぐには答えなかった。
窓の外を見て、少しだけ間を置いてから、言った。
「わかってしまうところが、問題なんです」
理事長は、その言葉を聞いて、少しだけ神妙な顔をした。
そして頷いた。
「……理解ッ! それが一番よくわかった」
一瞬の沈黙。
「次から、ちゃんと我慢する」
「……お願いします」
たづなさんは、柔らかく笑った。
本当の笑顔だった。
「……後処理は、頼んだぞ、たづなッ!」
「はい、任せてください」
理事長は、安心したようにぱっと表情を明るくした。
たづなさんは、封をし直した袋を手に持ちながら、心の中で思った。
もう、理事長は。
でも。
この方がいるから、この学園なのだ、とも思った。
── 理事長室保管禁止 ──
その日から、保管場所が変わった。
詳細は明かされなかった。
ただ、学園内で「あれは理事長室に預けてはいけない」という認識が静かに広まった。
理由を聞かれると、たづなさんは「諸事情で」とだけ答えた。
理事長は聞かれると、一瞬だけ遠い目をして、それからきっぱりと言った。
「憂慮ッ! ……気をつけてください。本当に」
理事長が「本当に」と付け足すことは、あまりない。
その二文字が、なぜか妙に説得力があった。
掲示板:理事長室が保管場所から外れた件
1:名無しのウマ娘
V1の封印物、最初は理事長室に保管されてたって聞いた
2:名無しのウマ娘
なんで理事長室に
3:名無しのウマ娘
施錠できて信頼できる場所ということで
4:名無しのウマ娘
理屈はわかる
5:名無しのウマ娘
でも今は違う場所に移されてるよね
6:名無しのウマ娘
何があったの
7:名無しのウマ娘
「諸事情」
8:名無しのウマ娘
たづなさんが言う諸事情は大体推測できる
9:名無しのウマ娘
やめろ
10:名無しのウマ娘
理事長は「気をつけてください」しか言わなかったらしい
11:名無しのウマ娘
それが全部物語ってる
12:名無しのウマ娘
理事長……
13:名無しのウマ娘
被害者だ
14:名無しのウマ娘
でも好奇心で開けたなら自業自得では?
15:名無しのウマ娘
それはそう
16:名無しのウマ娘
でも理事長の好奇心は止められない
17:名無しのウマ娘
それもそう
18:名無しのウマ娘
「絶対に開けないでください」って笑顔で言われてたらしい
19:名無しのウマ娘
笑顔で言われる「絶対に開けないでください」はこわい
20:名無しのウマ娘
なのに開けた
21:名無しのウマ娘
でも理事長の好奇心は止められない
22:名無しのウマ娘
それもそう
23:名無しのウマ娘
たづなさんが「諸事情で」って言い続けてるのは、理事長を庇ってるんだと思う
24:名無しのウマ娘
たづなさん優しい
25:名無しのウマ娘
ただし封印物の移動は即断だった
26:名無しのウマ娘
そりゃそうだ
27:名無しのウマ娘
なお理事長は翌日から特に変わりなく仕事してたらしい
28:名無しのウマ娘
さすが理事長
29:名無しのウマ娘
スピカきゅんへの親心が増したとかいう噂もある
30:名無しのウマ娘
それはそれで
31:名無しのウマ娘
いい話?
32:名無しのウマ娘
いい話にするな
33:名無しのウマ娘
でもちょっといい話