外伝13:理事長・特殊植物管理温室建設記(フィジカルV4)


関連章: 35_最強メンタル&フィジカル計画V4.md
視点: 秋川やよい理事長、駿川たづな(および後日の三人呼び出し)
位置付け: 花壇型スピカ概念災害(V4)の後始末。生きた危険物だから捨てられない・金庫にも入れられない・通常の倉庫も不可という三重苦を経て、「特殊植物管理温室」が建設されるまで。理事長の「確認ッ!」が正式な危険ワードになった回。

── 危険物なのに専用温室を作る羽目になった回 ──

理事長室の応接テーブルの上に、透明なケースが置かれていた。ケースの中には、植木鉢が一つ。そこに咲いているのは、朝顔に似た花だった。

淡く爽やかな色。朝の光を閉じ込めたような花びら。派手すぎず、けれど目を引く不思議な存在感。

見た目だけなら、本当に美しい花だった。

問題は、そのケースの周囲に厳重に貼られた注意書きである。

開封禁止
吸引禁止
単独確認禁止
理事長単独接近禁止
香気漏れ確認中
赤ペン先生確認済み:危険

「…………」

駿川たづなは、その注意書きを見て、深く、深く息を吐いた。

「……花、なんですよね」

「花であるなッ!」

秋川やよい理事長は、腕を組んで頷いた。理事長の目は、明らかに輝いていた。たづなはそれを見逃さない。

「理事長」

「な、なんであるか」

「開けませんよ」

「まだ何も言っておらぬッ!」

「目が言っていました」

「む……」


「報告によると、開花後に室内へ搬入した結果、最強メンタル計画さんと後輩さんが同時に意識を失ったそうです」

「うむ。赤ペン先生が救助したのであろう?」

「はい。今回もです」

「実に頼もしい生徒であるッ!」

「本当に頼もしいです。頼もしすぎて、そろそろ正式な危機管理手当を検討したいくらいです」

たづなは、手元の報告書をめくった。そこには赤ペンで追記されたメモが挟まれている。

・花は綺麗です。そこは否定しません。
・でも室内に入れたらだめです。
・香りが危険です。
・後輩ちゃんも止める対象に追加してください。
・植物なので捨てるのは少し可哀想です。
・ただし増やさないでください。絶対に。

「増やさないでください。絶対に……」

「大事な注意であるなッ!」

「理事長。念のため確認しますが、増やしませんよ」

「もちろんであるッ!」

返事は早かった。早すぎた。たづなはじっと理事長を見る。

「本当に?」

「……もちろんである」

「理事長」

「…………確認用に、一株くらいなら」

「だめです」

「まだ最後まで言っておらぬ!」

「言う前に分かりました」

理事長は、むう、と頬を膨らませた。


「しかし、困ったものであるな」

理事長は、ケースの中の花を見つめた。

危険物であることは間違いない。だが……」

「生き物です」「そして、普通に綺麗です」「さらに、技術的な価値があります」

「うむッ! 朝顔をベースにした成長速度の調整、花色の安定、香気の発現。危険性はさておき、完成度は高い。植物学、園芸、メンタルケア、環境演出……応用先は多いであろう」

危険性はさておかないでください」

「もちろん、さておかぬッ!」

「目がさておいていました」

「む……」

「問題は、保管方法です」

「金庫では駄目であるな」「はい。植物なので」「倉庫も駄目である」「光と水と温度管理が必要です」「理事長室も駄目であるか?」「一番駄目です」

「なぜッ!?」「理事長が開けるからです」「開けぬ!」「開けます」「開け……ぬ、よう努力する!」「それが駄目です」

たづなは即答した。理事長は少し悔しそうにしたが、反論できなかった。

過去の実績がある。


「では、隔離施設か」

「はい。正確には、管理温室です。香気を外に漏らさず、花を生かし、研究や確認は複数人立ち会いで行う。さらに、理事長が単独で入れない構造にします」

「最後の条件が厳しすぎるのではないかッ!?」

「必須条件です」

「わたしは理事長であるぞ!」

「だからこそです」

たづなの声は穏やかだった。穏やかだったが、圧があった。

「……承知ッ」


数日後。トレセン学園の一角で、妙な工事が始まった。もともとは園芸用具や古い資材が置かれていた小さな空きスペースだった。そこに、ガラス張りの小型温室が建てられることになった。

ただし、普通の温室ではない。外側には二重扉。内側には換気フィルター。香気検知センサー。開閉記録装置。複数認証式のロック。非常時の自動密閉機能。外部から水やりができる管理配管。内部監視カメラ。そして入口には、大きな看板。

特殊植物管理温室
関係者以外立入禁止
理事長単独入室禁止

工事担当者は看板を見て、少し固まった。

「……理事長単独入室禁止、ですか?」

たづなは笑顔で頷いた。

「はい。重要事項です」

「わざわざ看板に書く必要はあるのか?」

「あります」

「生徒に見られたら威厳が……」

「すでに掲示板で広まっています」

「なぜッ!?」

「広まらない理由がありますか?」

「…………ない」

理事長は肩を落とした。工事担当者は黙々と作業に戻った。


完成した温室は、小さいながらも立派だった。中には、例の花が一株だけ置かれた。

たづなはチェックリストを読み上げた。

「換気システム、正常」「正常であるッ!」「外部漏洩センサー、正常」「正常であるッ!」「内扉ロック、正常」「正常であるッ!」「理事長単独認証、無効」

「……正常である」

「声が小さいですよ」

「正常であるッ!」

「では、これで正式に管理を開始します」


その後、温室の運用ルールが正式に決まった。

一、入室は最低三名以上。
一、たづなさんの許可必須。
一、理事長のみでの入室は禁止。
一、最強メンタル計画ちゃんと後輩ちゃんの二人だけでの接近は禁止。
一、赤ペン先生の同席を推奨。
一、香気濃度が一定値を超えた場合、自動密閉。
一、花が増えた場合、即報告。
一、種ができた場合、即報告。
一、理事長が「確認」と言った場合、たづなさん確認。

「わたしの『確認』が危険ワードのようではないかッ!」

危険ワードです」

「即答ッ!?」

「これまでの実績がありますので」


放課後、三人が温室の前に呼ばれた。

「わぁ……」

最強メンタル計画ちゃんは、温室を見て目を丸くした。後輩も同じ顔をしている。

「先輩……私たちの花に、専用温室が……」

「すごい……」

「すごくない」

同室の子が即座に突っ込んだ。

「これは栄誉じゃなくて隔離」

「隔離……」「危険物だから」「お花なのに……」「お花だから困ってるの」

たづなが前に出る。

「今回の花は、こちらの温室で厳重に管理します。勝手な持ち出し、追加栽培、種の採取、交配、改良、香気確認、室内搬入、花冠化、押し花化、ドライフラワー化、香り袋化、入浴剤化、ハンドクリーム化、リップクリーム化、食用化、全部禁止です」

最強メンタル計画ちゃんと後輩は、びくっとした。

「今、どれか考えてた?」

「…………」「…………」

「考えてたね?」

二人は目を逸らした。

理事長が咳払いした。

「だがッ! 花自体は見事であった。危険性はある。手順にも問題があった。だが、技術と発想には光るものがある。だからこそ、今後は正しい手順で進めるのである。思いついたら作るのではない。作る前に相談する。承認は文章で確認する。安全確認は第三者を入れる。よいな?」

「はい!」「はい!」

二人の返事は元気だった。たづなは少し不安になった。


「あと、これは私から」

同室の子がノートを開く。赤ペンで大きく書かれたページを二人に見せる。

植物系は禁止。
香り系も禁止。
スピカさん概念を自然界に放たない。
まず普通の花を育てる。

最強メンタル計画ちゃんが小さく呟いた。

「普通の花……」

後輩も続く。

「普通の花にも、改善点が……」

赤ペン先生の赤ペンが、二人のノートに素早く走った。

そこから先は禁止。

「はい……」「はい……」


夜。理事長室。たづなが残務を片付けていると、理事長が窓の外を見ていた。遠くに、完成したばかりの小さな温室が見える。中の明かりが淡く灯っていた。

「あの花は、眠っておるのかな」

「朝顔ベースですから、夜は閉じていると思います」

「そうか」

危険物である」「はい」「だが、生徒が作ったものでもある」「はい」「失敗ではある。大きな失敗である。だが、学びにもなる」「……はい」

たづなは手を止めた。理事長の声は、いつもの豪快さより少し穏やかだった。

「わたしはな、たづな。あの子たちの発想をただ潰したいわけではないのだ。危うい。とても危うい。だが、誰かを助けたい、よくしたい、前へ進みたいという気持ちは本物であろう」

「分かっています」

「だから、叱る。止める。閉じ込める。だが、育つ余地は残してやりたい」

たづなは、少しだけ微笑んだ。

「そのための温室です」

「うむッ!」

だが、すぐにたづなの視線が鋭くなった。

「だからといって、夜中に見に行くのは禁止です」

「な、なぜ今それを」

「行く顔をしていました」

「しておらぬ!」

「していました」

「……少しだけ」

「だめです」

「ガラス越しに見るだけなら」「だめです」「遠くから」「だめです」「双眼鏡で」「もっとだめです」

理事長はしゅんとした。たづなは深く息を吐く。だが、口元は少し緩んでいた。

「明日、正式な観察時間を作ります。私も同席しますから、その時に見ましょう」

「本当かッ!」

「はい。ケース越し、温室外からです」

「承知ッ!」

理事長は嬉しそうに頷いた。その様子は、学園のトップというより、珍しい花を見に行くのを楽しみにしている小さな少女のようだった。

たづなは書類に目を戻しながら、そっと呟いた。

「……本当に、世話のかかる人たちばかりです」

その声は呆れていた。けれど、どこか優しかった。


翌朝。特殊植物管理温室の前には、新しい札が追加されていた。

本日の観察予定:午前十時
立会人:駿川たづな
見学者:秋川やよい理事長
注意:開けません

その札を見た生徒たちが、掲示板に書き込んだ。

危険物なのに専用温室ができたらしい
理事長単独入室禁止って書いてあった
もう完全にトレセン七不思議の新枠

そして、その下に誰かがこう書いた。

花は咲いた。
温室も建った。
たづなさんの胃は散った。

その書き込みは、すぐに赤ペン先生によって訂正された。

散らせないでください。
たづなさんの胃は守ります。
あと、植物系の次案は禁止です。

その日から、トレセン学園には新しい施設が増えた。

危険物保管庫でもなく。金庫でもなく。倉庫でもなく。

小さな、小さな専用温室。

美しい花を守るための場所。危険な香りを閉じ込めるための場所。そして、斜め上に走り続ける生徒たちを、完全には否定せず、正しい方向へ戻すための場所。

名前は、正式にはこうだった。

特殊植物管理温室。

だが、生徒たちはひそかにこう呼んだ。

スピカ概念隔離温室。

たづなはその呼び名を聞いて、頭を抱えた。理事長はその呼び名を聞いて、少しだけ目を輝かせた。

「響きがよいなッ!」

「よくありません」

「しかし、覚えやすいであろう?」

「覚えやすさより安全性です」

「承知ッ!」

「本当に承知していますか?」

「……しておる」

温室の中で、花は静かに揺れていた。危険物なのに、綺麗だった。綺麗なのに、危険物だった。

だから今日も、トレセン学園では。花に水をやるだけで、三人以上の立ち会いが必要だった。