最強メンタル&フィジカル計画V6
――睡眠改善プロジェクト――
身体を強くするには、何が必要か。
筋力。
持久力。
柔軟性。
集中力。
メンタル。
それらはもちろん大事である。
だが、トレセン学園に所属するウマ娘なら誰もが知っている。
鍛えるだけでは、強くなれない。
身体は、壊して、休ませて、回復して、前より少し強くなる。
だからこそ、トレーニングと同じくらい、回復は重要だった。
栄養。
休養。
そして、睡眠。
「……つまり」
机の前。
いつものようにノートを開き、ペンを握った最強メンタル計画ちゃんは、真剣な表情で呟いた。
「最強のフィジカルには、最強の睡眠が必要……!」
そこまでは、完全に正しかった。
何一つ間違っていなかった。
むしろ、これまでの計画の中でもかなり健全な部類である。
いろいろあった。
本当にいろいろあった。
音声。
映像。
香り。
食品。
環境。
回復装置。
五感。
なぜか企業や研究所がざわついたり、売店の商品名が変わったり、温室ができたり、たづなさんの胃に継続ダメージが入ったりした。
だが、今回は違う。
今回のテーマは睡眠。
アスリートとして、極めて真っ当なテーマである。
「トレーニング後の睡眠の質が上がれば、回復効率も上がる。翌日のパフォーマンスも安定する。精神面も落ち着く。メンタルとフィジカルの両方に効く……!」
ペンが走る。
ノートには大きくこう書かれた。
『最強メンタル&フィジカル計画V6 睡眠改善プロジェクト』
少し字が力強すぎて、紙に跡が残っていた。
だが、内容そのものはまともだった。
良質な睡眠とは何か。
安心感。
幸福感。
緊張の解放。
心拍の安定。
体温の自然な低下。
呼吸の安定。
筋肉の弛緩。
外界への警戒心の低下。
「……つまり」
そこで、ペンが止まった。
彼女は真顔で天井を見上げた。
「スピカさん……?」
危なかった。
非常に危なかった。
ここでノートにスピカさんの名前を書きかけた手を、彼女は自力で止めた。
成長である。
以前の彼女なら、そのまま「スピカさん睡眠導入ボイス」「スピカさんおやすみ囁き音源」「スピカさんが隣で見守ってくれるVR睡眠」あたりへ全力疾走していた。
しかし、今の彼女は違う。
「だめ。スピカさん本人の素材は入れない。今回は入れない。絶対に入れない」
声に出して確認する。
偉い。
本当に偉い。
「音は自然音。香りは落ち着くラベンダー系を薄めに。温度は入眠時に少し暖かく、そこからゆっくり下げる。微弱振動で心拍と呼吸を落ち着ける。布団の重みは安心できるくらいに調整……」
書いている内容は、完全に睡眠改善装置だった。
少なくとも、この時点では。
「先輩、何を書いてるんですか?」
そこへ、後輩ちゃんがやってきた。
「睡眠改善プロジェクト」
「睡眠!」
後輩ちゃんの目が輝く。
「すごいです、先輩! アスリートにとって睡眠は大事ですもんね!」
「そうなの。最強のフィジカルには、最強の睡眠が必要だと思って」
「さすがです!」
後輩ちゃんは本気で感動していた。
そして、ノートを覗き込む。
そこには、かなり真面目な設計が書かれていた。
寝具の温度調整。
室温の制御。
香りの濃度。
微弱振動。
心拍誘導。
呼吸リズム。
寝返りの補助。
布団の重み。
外部音の遮断。
「これ、本当に良さそうです!」
「でしょ?」
「はい! 先輩、すごいです!」
褒められて、最強メンタル計画ちゃんの尻尾が揺れた。
「でも、今回はちゃんと安全第一。スピカさんの音声は入れない」
「えっ」
後輩ちゃんが、一瞬だけ残念そうな顔をした。
「本当に……?」
「本当に」
「そっかぁ……」
後輩ちゃんは、少しだけしょんぼりした。
だが、すぐに顔を上げる。
「でも、先輩がそう判断したなら正しいです!」
「うん。今回はスピカさん成分ゼロでいく」
「スピカさん成分ゼロ……」
後輩ちゃんは、その言葉を小さく繰り返した。
そして、少し考える。
「でも、スピカさんのライブ後って、本当に幸せに包まれたみたいに気絶しちゃうんですよね」
「わかる」
即答だった。
二人は頷き合った。
「こう、身体の力がふっと抜けて」
「わかる」
「心がぽかぽかして」
「わかる」
「胸の奥がいっぱいになって」
「わかる」
「もう何も怖くないって感じで」
「わかる」
「気づいたら床なんです」
「わかる」
そこで、二人は同時に黙った。
そして、同時に目を見開いた。
「……それだ」
「……それです!」
最強メンタル計画ちゃんのペンが、再び走り出す。
「スピカさん本人の素材を使うから危険なんだよ」
「はい!」
「でも、スピカさんのライブ後に幸せそうに気絶するウマ娘の状態を、環境側で再現するだけなら」
「本人素材なしです!」
「つまり安全!」
「安全です!」
最悪の安全思想だった。
スピカさんを入れなければ安全。
本人素材を使わなければ安全。
ならば、スピカさんのライブ後に発生する幸福感・脱力感・安心感・緊張解放だけを再現すればいい。
理屈としては、ぎりぎり成立しているように見えた。
いや、見えてしまった。
「後輩ちゃん、天才」
「先輩こそ天才です!」
二人は褒め合った。
部屋の空気が危険な方向に明るくなった。
もしこの場に同室の子がいたら、赤ペンが飛んでいた。
だが、いなかった。
赤ペン先生は不在だった。
それが、今回最大の不幸である。
数日後。
装置は完成した。
完成してしまった。
ベッドに取り付けられた睡眠改善ユニット。
外見は、意外なほど普通だった。
大きな機械がむき出しになっているわけではない。
派手な光もない。
怪しいコードも、以前よりかなり整理されている。
温度管理ユニットはベッド脇に収まり、香り拡散装置は小さな箱型。
微弱振動ユニットはマットレスの下。
布団には重み調整用の薄い層が仕込まれている。
「……普通に売ってそう」
最強メンタル計画ちゃんは、自分で作っておきながら感心した。
その日、後輩ちゃんはいなかった。
同室の子も、まだ帰っていない。
部屋には、最強メンタル計画ちゃん一人。
完成した装置。
目の前のベッド。
「……」
「……いや、でも」
今回はスピカさん成分ゼロである。
安心安全。
企画書にもそう書いた。
「安全確認は必要だよね」
必要である。
「作った本人が試すのは責任だよね」
責任感である。
「ちょっとだけ」
いつもの言葉だった。
だが、今回は本当に大丈夫そうだった。
彼女は制服から部屋着に着替え、ベッドに入る。
スイッチを入れる。
森の夜のような、静かな環境音が流れ始める。
遠くで小川が流れる音。
葉が揺れる音。
ふわりと漂う、薄い花の香り。
布団の中が、ほんのり暖かくなる。
「あ……」
思わず声が出た。
身体の力が抜ける。
足の先から、ふわっと緊張がほどけていく。
肩が軽くなる。
呼吸が深くなる。
マットレスの下から、ほとんど感じないくらいの微弱な振動。
それが、不思議と心拍に寄り添ってくる。
速くもなく。
遅くもなく。
ただ、落ち着いていく。
「おお……」
最強メンタル計画ちゃんの目が、とろんとした。
これはすごい。
スピカさんの声はない。
スピカさんの映像もない。
なのに、どこか安心する。
身体が、もう休んでいいよ、と言われている気がする。
布団の重みが絶妙だった。
抱きしめられているような、包まれているような、守られているような重み。
「あったかい……」
瞼が重い。
頭の中に、ノートの文字がぼんやり浮かぶ。
最強の睡眠。
最強の回復。
最強のフィジカル。
最強のメンタル。
「これは……成功……」
そこまで言って。
彼女は、幸せそうに意識を手放した。
気絶ではない。
睡眠である。
たぶん。
数時間後。
同室の子が部屋に帰ってきた。
「ただいまー」
返事はない。
「あれ?」
ベッドには布団に包まって眠る最強メンタル計画ちゃん。
「……寝てる」
ものすごく幸せそうだった。
それはもう、あまりにも幸せそうだった。
「……今回は成功?」
同室の子は、恐る恐る呟いた。
寝ているだけ。
部屋も壊れていない。
謎の香りも濃すぎない。
音も穏やか。
怪しい映像もない。
スピカさんの声も聞こえない。
本当に睡眠改善装置として成功しているのではないか。
その時。
ピピピピピピ。
目覚ましが鳴った。
「ほら、起きる時間だよ」
反応なし。
「……起きる時間だよー」
反応なし。
最強メンタル計画ちゃんは、幸せそうに眠っている。
肩を揺する。
声をかける。
耳元で囁く。
「ごはんだよ」
起きない。
「トレーニング遅れるよ」
起きない。
「たづなさんに報告するよ」
眉が少し動いた。
でも起きない。
「……スピカさんの配信始まるよ」
ぴくっ。
耳が動いた。
だが、起きない。
「反応はするんだ……」
同室の子は頭を抱えた。
その時、布団の中から小さな声が漏れた。
「……あと五分で……精神力が……完成する……」
「しないよ」
即答だった。
同室の子は、なんとか布団の端を掴み、少しずつ引っ張る。
だが動かない。
アスリートの無意識抵抗。
非常に厄介である。
最後の手段に出た。
「……このままだと、たづなさんに全部報告するよ」
ぴくっ。
「企画書も」
「装置も」
「後輩ちゃんが手伝ったことも」
「……だめ……後輩ちゃんは……守る……」
「起きた」
最強メンタル計画ちゃんの目が、うっすら開いた。
「後輩ちゃんは……悪くない……私が……」
「わかった。わかったから起きて」
「……睡眠改善は……成功……?」
「成功してる部分はある」
同室の子は、正直に言った。
「でも、起きられない」
「……」
「目覚ましで起きない。声かけても起きない。肩揺すっても起きない。布団から出ようとしない」
「……はい」
最強メンタル計画ちゃんは、布団の中でしゅんとした。
だが、まだ布団を掴んでいる。
「まず布団を離そうね」
「……あと少しだけ」
「だめ」
「……でも、すごくよく眠れた気がする」
「それは見ればわかる」
顔色はいい。
目の下の疲れも少し取れている。
表情も穏やか。
実際、睡眠の質自体はかなり良さそうだった。
そこが厄介だった。
「……方向性は間違ってないのでは?」
「間違ってない部分はある。でも強すぎる」
「最強睡眠……」
「かっこよく言わない」
「究極入眠……」
「名前をつけない」
同室の子は、さらにノートへ赤字を書き込む。
『・起床機能が弱い。
・快適性が強すぎる。
・無意識抵抗を誘発。
・仮眠用としては危険。
・長時間睡眠用でも監督者必須。
・後輩ちゃんを巻き込まない。』
最後の一文だけ、やたら強く書かれていた。
「封印じゃなくて、改良」
「!」
最強メンタル計画ちゃんの耳が立つ。
「いいの?」
「いい部分はあるから」
「赤ペン先生……!」
「ただし、次は必ず先に私に見せること」
「はい!」
「後輩ちゃんと二人で勝手に完成させないこと」
「はい!」
「スピカさんに関係する概念を入れそうになったら止まること」
「今回は本人素材ゼロだよ?」
「概念を入れたでしょ」
「……はい」
概念スピカ。
それは、新たな危険分類だった。
音声でもない。
映像でもない。
香りでもない。
本人素材でもない。
ただ、スピカさんのライブ後にウマ娘たちが感じる幸福と安心を再現しようとしたもの。
素材がなくても危険。
それはある意味、最強メンタル計画ちゃんの研究が新しい段階に入ってしまったことを意味していた。
同室の子は、ノートの表紙に大きく書いた。
『起きられない睡眠は改善ではない。』
V6.1 ――希望ある覚醒、あるいは布団から出るとは言っていない――
翌朝。
最強メンタル計画ちゃんと後輩ちゃんが、並んでノートを広げていた。
「V6は良かった」
「はい。すごく良かったと思います」
「睡眠導入は成功してた。よく眠れたし、起きた後の回復感もあった」
「はい!」
「つまり、入眠と睡眠の質は改善できてた」
「すごいです、先輩!」
だが、すぐに表情を引き締める。
「でも、問題があった」
「起きられなかったことですね」
「うん」
ノートには、赤字が残っている。
『起きられない睡眠は改善ではない。』
「スピカさん成分はゼロだったのに……」
本気の困惑があった。
なのに、なぜか危険だった。
「概念が入ってしまったんですよね」
「概念……」
「はい。スピカさんのライブ後みたいな安心感と幸福感を再現したので」
「それがだめだったのかな……」
「でも、幸せに眠れたんですよね?」
「うん」
「じゃあ、全部だめではないと思います!」
「問題は、起きられないことです」
「うん」
「だったら、絶対に起きてしまうようなものがあればいいんですけどね」
その言葉は、何気ない呟きだった。
後輩ちゃんとしては、ただ本当にそう思っただけである。
しかし。
最強メンタル計画ちゃんのペンが、止まった。
「……絶対に、起きるもの」
「はい」
「どんなに気持ちよく寝ていても」
「はい」
「どんなに布団から出たくなくても」
「はい」
「言われたら、反応してしまうもの」
「はい!」
最強メンタル計画ちゃんの瞳が、輝いた。
「……スピカさんに、おはようございます、起きてくださいって言われたら」
後輩ちゃんの目が、ぱあっと輝いた。
「起きます!」
「起きるよね」
「絶対起きます!」
「だよね!」
抜いたはずのスピカ成分が、帰ってきた瞬間だった。
しかも今度は、かなり真正面からである。
ノートに書き込む。
『起床改善案:スピカさんのおはようボイスによる覚醒誘導。』
「さすが先輩です!」
「そ、そうかな」
「入眠はスピカさん成分ゼロで安全に。起床だけスピカさんで確実に起きる。完璧です!」
「完璧……!」
完全にデジャヴだった。
この場に同室の子がいたら、赤ペンが飛んでいた。
だが、いなかった。
設計自体は、真面目だった。
入眠時はV6の成功部分を使う。
起床時は、温度を少し上げる。
布団の重みを軽くする。
自然光に近い明るさを入れる。
香りを切り替える。
そして最後に、起床ボイス。
「スピカさんの声は、公式配信の挨拶から使える…… おはようございます、と起きてください、だけ」
「短いです!」
「長くしない」
「偉いです!」
「甘くしない」
「偉いです!」
「囁きにも、しない」
「偉すぎます!」
二人は本当に真剣だった。
以前のように「好きです」だけを抽出して危険な囁き音声を作ることはしない。
息づかいも入れない。
甘い声の合成もしない。
ただの起床ボイス。
おはようございます。
起きてください。
それだけ。
だから安全。
二人は、そう信じた。
完成した。
V6.1。
起床改善機能付き睡眠改善装置。
今日は後輩ちゃんもいる。
「二人で試した方が、データが取れるよね」
「はい! 先輩と一緒なら!」
信頼が重い。
そして危ない。
二人は布団に入った。
まずは、V6の成功体験。
穏やかな自然音。
薄い花の香り。
ゆっくり暖かくなる布団。
心拍に寄り添うような微弱振動。
「あ……」
後輩ちゃんが、小さく息を漏らした。
「すごい……」
「でしょ……」
最強メンタル計画ちゃんの声も、すでに少しとろんとしていた。
「先輩……これ……すごく……」
「うん……」
「幸せですね……」
「うん……」
「眠く……」
「うん……」
二人の声が、だんだん小さくなっていく。
「スピカさん……成分……入眠には……ゼロ……」
「安全……です……」
そして。
二人は、幸せそうに眠った。
設定された仮眠時間が終わる。
起床フェーズが始まった。
まず、布団の温度がゆっくり変化する。
夜の花の香りが弱まり、朝の爽やかな香りへ切り替わる。
布団の重みが、少しずつ軽くなっていく。
小さなライトが、朝日のようにふんわり灯る。
ここまでは完璧だった。
そして、最後。
スピーカーから、柔らかな声が流れた。
『おはようございます』
ぴくっ。
二人の耳が、同時に動いた。
『起きてください』
「……はい」
「……はい」
二人は、返事をした。
そして、ゆっくり上半身を起こした。
成功。
そう見えた。
はずだった。
「……」
「……」
二人は、そのまま動かなかった。
上半身を起こしたまま、目を閉じている。
表情は幸せそう。
耳だけが、余韻に浸るようにふわふわ動いている。
「……先輩……」
「……うん……」
「……スピカさんが……」
「……起きてって……」
「……言いました……」
「……言ったね……」
「……幸せですね……」
「……うん……」
会話はできていた。
だが、起きてはいなかった。
これは起床ではない。
スピカボイスへの反応である。
数十秒後。
二人の身体が、ゆっくりと傾いた。
ぽふ。
布団へ戻った。
本能だった。
おはようと言われた。
起きてくださいと言われた。
だから反応した。
返事もした。
上半身も起こした。
しかし、布団から出る理由にはならなかった。
むしろ。
スピカさんにおはようと言われた幸福感で、もう一度布団に包まれたくなった。
つまり、悪化していた。
十分後。
リマインドが流れる。
『起きてください』
「……はい」
「……はい」
二人が上半身を起こす。
止まる。
幸せそうに余韻を味わう。
布団へ戻る。
その動きは、あまりにも綺麗に繰り返された。
まるで、そういう装置の一部になったかのように。
そこへ。
がちゃり。
部屋の扉が開いた。
「ただいまー」
同室の子である。
彼女は部屋に入って、すぐに足を止めた。
ベッドを見る。
布団が二つ。
その中に、最強メンタル計画ちゃんと後輩ちゃん。
二人とも幸せそうに眠っている。
そして。
『起きてください』
「……はい」
「……はい」
二人が、同時に上半身を起こした。
同室の子は、一瞬だけ目を見開いた。
「起きた?」
そう思った。
だが、違った。
二人は上半身を起こしたまま、動かない。
ぽふ。
布団へ戻った。
「……何これ」
同室の子は、無言で頭を抱えた。
装置を見る。
操作パネルには、誇らしげに表示されていた。
『V6.1 起床改善モード 反応確認:成功』
「成功してない」
低い声で言った。
その後の救出は、前回の倍の労力だった。
後輩ちゃんに無意識抵抗が伝染していた。
二人が互いの布団も守ろうとしていた。
スマホにバックアップ通知が設定されていた。
除去した瞬間に流れて、また二人がぽふっと戻った。
「二人で試すと救出難度が二倍になる」
「……成功……かと……」
「返事は起床ではない」
「……はい」
ノートへ赤字が走る。
『布団から出て初めて起床。
返事は起床ではない。
上半身を起こしても起床ではない。
二人で試すと救出難度二倍。
後輩ちゃんに無意識抵抗が伝染。
スピカさんを入れない。』
最後の一文は二回目だった。
その夜。
最強メンタル計画ちゃんと後輩ちゃんは、並んで正座していた。
「今回の反省点」
「スピカさん成分を抜くと言っていたのに、起床で入れた」
「はい……」
「起きると反応するは違う」
「はい……」
「布団から出るまでが起床」
「はい……」
「後輩ちゃんは、先輩を全肯定しすぎない」
「はい……」
後輩ちゃんがしゅんとする。
最強メンタル計画ちゃんが慌てて言った。
「後輩ちゃんは悪くないよ!」
「そういうところ」
「はい……」
「悪いって言ってるんじゃないの。二人で盛り上がると止まらなくなるから、途中で止まる役が必要なの」
同室の子は、少しだけ言葉に詰まった。
怒ってはいる。
呆れてもいる。
でも、この二人が本当に悪意なく、誰かのために頑張っていることは知っている。
だからこそ、止める。
「……次からは、ちゃんと一緒に考えるから」
二人の顔が明るくなる。
「本当!?」
「本当ですか!?」
「ただし、危ない案は止める」
「はい!」
「はい!」
「スピカさんを入れようとしたら止める」
「はい……」
「はい……」
そこだけ少し返事が弱かった。
「返事」
「はい!」
「はい!」
よろしい。
そう言いながら、同室の子はノートを閉じた。
だが、その表紙の端に、小さな文字を見つけてしまう。
『V6.2案 布団から出たくなる起床誘導。ご褒美方式?』
同室の子は、無言で赤ペンを握った。
『ご褒美方式は危険。
スピカさんを報酬にしない。
絶対にしない。』
「まだ何も言ってないのに……」
「言う前にわかる」
寝言でループが発生し、暗闇の中で同室の子は天井を見た。
明日も赤ペンが必要になる。
そう確信しながら、目を閉じた。
V6.1事件 結果
- 改善目標:起床不能問題の解決
- 追加機能:スピカさんのおはようボイス
- 結果:上半身は起きた
- 問題:覚醒ではなく反応だった
- 追加問題:布団へ戻る半覚醒ループ発生
- 追加追加問題:後輩ちゃんも巻き込まれ救出難度二倍
- 赤ペン評価:返事は起床ではない
- 次回危険予兆:V6.2 ご褒美方式
V6.2 ――ご褒美方式、あるいはイメージカラーは素材ではないと思っていた――
V6.1の反省会は、厳粛に行われた。
机の前に、最強メンタル計画ちゃん。
その隣に、後輩ちゃん。
そして正面に、赤ペン先生こと同室の子。
「今回は、まず私に見せること」
「はい」
「はい!」
「返事だけで終わらないこと」
「はい……」
「はい……」
「いい? 今回は普通の起床改善。朝日、温度、布団の軽量化、爽やかな香り、軽い運動誘導。そういう方向」
「普通……」
「普通は大事」
同室の子は、赤ペンでノートに大きく書いた。
『普通でいい。
むしろ普通がいい。』
その日は、それで終わった。
終わったはずだった。
翌日。
同室の子が、少し遅くなる予定だった。
つまり、監督者不在である。
「普通……」
「普通でいい……」
「赤ペン先生の言う通りです」
「うん」
「スピカさんを報酬にしてはいけません」
「うん」
二人は確認し合った。
とても偉い。
「じゃあ、何をご褒美にするか」
「そこですよね」
「布団から出たら、ちょっと嬉しいことがある」
「でも強すぎると危険」
「はい」
「弱すぎると起きない」
「はい」
「自然に、朝が楽しみになるような」
「はい」
「前向きな気持ちで一日を始められるような」
「はい!」
「朝の光」
「爽やかな香り」
「軽い音楽」
「布団の重みを解除」
「床を少し暖かくする」
「立ち上がったら、今日のトレーニング予定が表示される」
「いいですね!」
「あと、布団から出たら、やったね、起きられたね、って感じになるような」
「素敵です!」
「声はなし。文字も危ないからなし。光で表現する?」
「光!」
「布団から出たら、部屋がぱっと明るくなるんですね!」
「そう。朝日みたいに」
「いいです! すごく健康的です!」
「色は……」
そこで、最強メンタル計画ちゃんのペンが止まった。
色。
朝の光。
元気が出る色。
前向きになれる色。
走り出したくなる色。
「……青?」
「青、いいですね!」
「あと、白」
「朝の光ですね!」
「少し黄色」
「太陽ですね!」
「それから……」
「紫……?」
「確かに綺麗です!」
「あと、少し星みたいな感じで」
「星……素敵です!」
「希望ある朝って、夜が明ける感じもあるから」
「先輩、すごいです! 夜から朝へ、紫から青と白へ変わるんですね!」
「そう!」
二人は気づかなかった。
紫。
青。
白。
星。
希望。
夜明け。
それは、あまりにも自然に、スピカの活動名やイメージへ近づいていた。
本人素材ではない。
声でもない。
画像でもない。
名前でもない。
ただの色。
ただの演出。
ただの朝の光。
だから安全。
二人は、そう思った。
思ってしまった。
数日後。
完成した。
V6.2。
ご褒美方式つき起床改善装置。
スピカさんの起床ボイスは削除された。
これは大きな進歩だった。
代わりに、離床判定が追加されている。
マットレス圧力センサー。
足元床センサー。
姿勢判定。
一定時間ベッドから離れたかどうかの確認。
「今回は、返事だけじゃ成功にならない」
「はい!」
「ちゃんと布団から出て、足元センサーを踏んで、三十秒経過したら成功です!」
「完璧!」
「完璧です!」
改善されている。
本当に改善されている。
しかし、問題は報酬演出である。
布団から出て三十秒立っていると、部屋の照明が変わる。
夜明けのような淡い紫。
そこから青白い朝の光へ。
小さな星のようなきらめき。
最後に、爽やかな風の音。
音声なし。
スピカさんの名前なし。
画像なし。
「これなら大丈夫」
「はい!」
今回は、ベッドを二つに分けた。
「成長です!」
実験条件管理。
偉い。
とても偉い。
二人は、それぞれの布団に入った。
まずは入眠。
穏やかな自然音。
優しい温度。
薄い花の香り。
心拍に寄り添う微弱振動。
安心する重み。
二人は、すぐに幸せそうに眠った。
ここはもう安定してしまっている。
しばらくして。
起床フェーズ。
今回はスピカさんボイスなし。
朝日風ライト。
温度変化。
香り切り替え。
布団の重み解除。
床の暖房。
小さな鳥の声。
二人の耳が動く。
「……ん……」
最強メンタル計画ちゃんが、ゆっくり目を開ける。
後輩ちゃんも、少し遅れて目を開けた。
「……起きますか……?」
「……起きる……」
今回は、返事ではない。
二人は、もぞもぞと布団から出た。
足を床につける。
足元がほんのり暖かい。
二人は立ち上がった。
床センサーが反応する。
三十秒、カウント開始。
二人は、眠そうにしながらも立っている。
成功。
今度こそ、成功に見えた。
三十秒後。
装置が、離床成功を判定した。
そして。
部屋の照明が、ふっと変わった。
淡い紫。
夜明け前の空のような色。
そこに、小さな星のような光が、きらりと瞬く。
紫の光は、ゆっくり青へ変わる。
青は白に近づき、朝の光になっていく。
優しい風の音。
「……」
最強メンタル計画ちゃんの目が、少しずつ見開かれた。
後輩ちゃんも、息を止めた。
「……先輩」
「……うん」
「これ……」
「……綺麗」
二人の尻尾が、ゆっくり揺れた。
淡い紫。
青白い光。
星のきらめき。
声はない。
画像もない。
名前もない。
なのに。
なぜだろう。
胸の奥が、ぎゅっとなった。
まるで、配信の画面が始まる直前のような。
ライブ前、照明が落ち、ステージに光が集まっていく瞬間のような。
スピカさんが現れる前の、あの期待感のような。
「……スピカさん」
最強メンタル計画ちゃんが、無意識に呟いた。
後輩ちゃんが、うっとりと頷く。
「……はい」
その瞬間。
二人は理解してしまった。
これは、ただの朝日ではない。
無意識に。
本当に無意識に。
スピカさんのイメージカラーが入っていた。
紫。
青。
白。
星。
抜いたつもりだった。
でも。
色が残っていた。
概念が、光になっていた。
演出が、最後の段階へ入った。
光が、ぱっと広がる。
星のようなきらめきが、部屋全体に散る。
それは、スピカさんのライブでスポットライトが広がる瞬間に、少しだけ似ていた。
二人の表情が、とろけた。
「……きれい……」
「……朝……」
「……スピカさんの……」
「……夜明け……」
ぽすん。
最強メンタル計画ちゃんが、膝から崩れ落ちた。
幸せそうに。
続いて、後輩ちゃんも。
「先輩……成功……です……」
ぽすん。
二人は床の上で、幸せそうに倒れた。
気絶である。
起床はした。
布団から出た。
三十秒立った。
だが、報酬演出で倒れた。
V6.2。
起床成功。
活動失敗。
しばらくして、同室の子が帰ってきた。
「ただいまー」
部屋の扉を開ける。
そこで、足を止めた。
部屋が、やたら綺麗だった。
淡い紫から青白い朝の光へ変わる照明。
星のような小さなきらめき。
爽やかな風の音。
そして床には、幸せそうに倒れている二人。
布団からは出ている。
「……」
同室の子は、ゆっくり頭を抱えた。
「布団から出ればいいって言ったけど」
「倒れていいとは言ってない」
装置のパネルには、誇らしげに表示されている。
『V6.2 起床改善モード 離床判定:成功 起床成功率:100%』
「成功してない」
反省会。
二人、正座。
「声を入れなかったのは偉い」
「画像を入れなかったのも偉い」
「名前を入れなかったのも偉い」
「離床判定を入れたのも偉い」
「でも」
「イメージカラーを入れた」
「しかも無意識に」
「それで倒れた」
ノートへ、また赤字が走る。
『イメージカラーも素材です。
スピカさんを色で入れない。
離床して倒れたら起床成功ではない。
ご褒美で気絶したら失敗。』
「では」
同室の子は、二人を見る。
「V6.3とか書いてないよね?」
「……」
「……」
沈黙。
「書いたね」
ノートには、小さな文字が残っていた。
『V6.3案
起床後に活動できる状態へ移行する
軽いストレッチ誘導?
でも何色なら安全?
スピカさん以外の……』
「色で考えない」
「何色ならスピカさんじゃないか、で考えない」
「安全な色を探すんじゃなくて、刺激を弱くする」
「あと、星は禁止」
「……星も……?」
「禁止」
「綺麗だったのに……」
「綺麗すぎたから禁止」
「綺麗すぎる演出は禁止。感動させない」
「感動させない……?」
「朝は感動しなくていい。涙ぐむほどじゃなくていい。胸がいっぱいになる必要もない。気絶するほど幸せにしなくていい」
「……なるほど」
「朝に必要なのは、立って、顔を洗って、ごはんを食べて、トレーニングに行けること」
「……普通」
「普通」
「普通は大事……」
「そう」
最強メンタル計画ちゃんは、真剣にノートへ書いた。
『朝は感動しなくていい。
活動できればいい。』
後輩ちゃんも、自分のノートに書いた。
『先輩の演出は綺麗すぎると危険。
褒める前に安全確認。』
同室の子は、それを見て少しだけ表情を緩めた。
学んではいる。
ちゃんと学んではいる。
ただ、学ぶ速度と同じくらい、次の危険を生み出す速度も速いだけで。
バックアップファイルを確認する。
ファイル名は、
reward_morning_star_safe_v2.dat
同室の子は、そのファイル名を見て、無言で赤ペンを取った。
『safe再犯。』
その一言だけで、十分だった。
その夜。
ライトユニットは外された。
香りユニットも外された。
報酬演出も削除。
バックアップも削除。
星のきらめきユニットは同室の子の管理下に置かれた。
「……綺麗だったね」
「はい……」
「また見たい?」
「……はい」
「私も」
「二人とも?」
同室の子の声が飛んできた。
「見ない」
「はい」
「はい!」
その返事は早かった。
同室の子は、布団に入りながら思う。
V6.0は、起きられなかった。
V6.1は、返事だけして布団に戻った。
V6.2は、布団から出たあと、ご褒美演出で倒れた。
確実に前進はしている。
ただし、毎回別の穴に落ちている。
「朝は感動しなくていい」
同室の子は、小さく呟いた。
隣のベッドから、最強メンタル計画ちゃんの寝言が聞こえる。
「……星なし……紫なし……でも……」
後輩ちゃんも寝言で続く。
「……先輩……緑なら……」
「色で考えない」
同室の子は、暗闇の中で即座に返した。
二人は、すやすや眠っている。
同室の子は、天井を見た。
明日も赤ペンが必要だ。
そう確信しながら、目を閉じた。
V6.2事件 結果
- 改善目標:布団から出る動機づけ
- 追加機能:離床判定、ご褒美演出
- 成功点:返事だけでは成功判定しない。布団から出ることには成功
- 失敗点:無意識にスピカさんのイメージカラーと星演出を入れた
- 結果:離床後、報酬演出で二人とも幸せに気絶
- 赤ペン評価:イメージカラーも素材です
- 追加教訓:活動開始までが起床
- 次回危険予兆:V6.3 起床後ストレッチ誘導(色は普通にする、たぶん)