番外・一回限りの配信トレーニング(こんびゃんわ)
一回限りの配信トレーニング
閃きと交渉
「先輩、閃いたんです!」
その一言で、部屋の空気が止まった。
トレセン学園の寮、その一室。
机の前には、いつものようにノートを開いた最強メンタル計画ちゃん。
ベッドの端には、同室の親友――通称、赤ペン先生。
そして最近では、もはやそこにいるのが当たり前になりつつある後輩ちゃんが、両手を胸の前で握りしめて立っていた。
「……閃いた?」
最強メンタル計画ちゃんが顔を上げる。
その目は、ほんの少し期待に輝いていた。
一方、同室の親友はすでに警戒していた。
非常に警戒していた。
「……何を?」
声が低い。
過去、あまりにも多くの「閃き」が生まれ、学園内外に多方面の衝撃を与えてきた。
音。
映像。
匂い。
花。
寝具。
AI。
化粧品。
その他、分類不能。
その歴史を間近で見てきた親友としては、後輩ちゃんの「閃いたんです!」を無邪気に受け止めるほど、もう若くはなかった。
いや、学生ではあるのだが。
「精神力を鍛えるには、人前で喋ることに慣れるのも大切だと思うんです!」
「……」
「……」
沈黙。
しかし、それは警戒の沈黙ではなかった。
最強メンタル計画ちゃんが、ぽん、と手を打つ。
「おお……!」
同室の親友も、ゆっくり頷いた。
「……それは、真っ当」
そう。
真っ当だった。
あまりにも真っ当だった。
メンタルトレーニングとして、人前で話す練習をする。
緊張感に慣れる。
視線を意識しながら言葉を整理する。
アスリートとしても、将来的なインタビュー対応としても、決して間違っていない。
「すごい……後輩ちゃん、天才……!」
「えへへ……!」
褒められた後輩ちゃんは、ぱあっと顔を明るくした。
同室の親友も、少しだけ表情を緩める。
よかった。
今回は大丈夫かもしれない。
そう思った。
その瞬間だった。
「なので、配信してみませんか?」
「……」
「……」
「……配信?」
最強メンタル計画ちゃんが、きょとんとする。
「はい! 人前で話すなら、配信が一番練習になると思うんです!」
「……」
同室の親友は、ゆっくり額を押さえた。
真っ当だった。
発想の根っこは真っ当だった。
だが、出口がいきなり現代社会の荒波だった。
「待って。配信って、あの配信?」
「はい。スピカさんがやっているような」
その名前が出た瞬間、最強メンタル計画ちゃんの耳がぴんと立った。
「スピカさんの……」
「見るのはいつもしてますけど、自分でする発想はありませんでしたよね?」
「なかった……!」
最強メンタル計画ちゃんの目が輝く。
「流石後輩ちゃん! 天才!!」
「えへへへ……!」
後輩ちゃんの尻尾がぶんぶん揺れる。
同室の親友は危険を察知して、すぐに手を挙げた。
「待って。条件」
「条件?」
「物作りなし」
「はい」
「変な機材なし」
「はい」
「スピカさんの音声素材なし」
「もちろんです!」
「匂いなし」
「はい!」
「花なし」
「はい!」
「AIなし」
「はい!」
「寝具なし」
「はい!」
「化粧品なし」
「はい!」
「……一回だけ」
「一回だけです!」
後輩ちゃんは元気よく頷いた。
最強メンタル計画ちゃんも、真剣な顔で頷く。
「うん。一回だけ。メンタルトレーニングとして、普通にお話するだけ」
「普通に」
「普通に」
三人は頷き合った。
それは、たしかに平和な計画に見えた。
少なくとも、机の上にフラスコも半田ごても謎の香料も奇妙な設計図も置かれていない時点で、同室の親友としてはかなり安心材料だった。
ただ一つ。
三人とも、決定的にわかっていないことがあった。
自分たちが、どれだけ有名になっているかを。
三人とも掲示板を見ない。
だから知らない。
「最強メンタル計画ちゃん」が、トレセン内でどれほど語られているか。
「赤ペン先生」が、企業からどれほど熱い視線を向けられているか。
「後輩ちゃん」が、次世代危険物候補としてどれほど警戒と期待を集めているか。
知らない。
本人たちは知らない。
ただ、真面目に。
一回限りの。
小さな。
誰も見に来ないだろう配信を始めるつもりだった。
配信開始
そして夜。
寮の部屋。
机の上に置かれたノートパソコン。
カメラは簡易的なもの。
マイクも普通。
背景には余計なものが映らないよう、同室の親友が事前に片付けた。
危険物になりそうなノートはすべて閉じた。
怪しい試作品も隠した。
スピカさん関連のグッズも、映り込み防止のため一時避難。
準備は万全だった。
「……緊張してきた」
最強メンタル計画ちゃんが、椅子に座ったまま小さく震える。
「大丈夫です、先輩!」
後輩ちゃんが横から応援する。
「これはメンタルトレーニングです!」
「うん……見られていることを意識して話す……」
最強メンタル計画ちゃんは、ゆっくり深呼吸した。
同室の親友は、カメラの外で腕を組んで見守っている。
止めない。
今回は真っ当な企画だ。
物も作らない。
匂いも出ない。
花も光らない。
純粋に、喋る練習。
それだけだ。
「……いく」
最強メンタル計画ちゃんが、小さく呟いた。
そして、配信ボタンを押した。
画面の向こうに、世界が繋がった。
こんびゃんわ
「こ、こんびゃんわ……」
沈黙。
一秒。
二秒。
三秒。
「……噛んだ」
同室の親友が、小声で言った。
「大丈夫です! かわいかったです!」
後輩ちゃんが、これも小声で即座に補強した。
最強メンタル計画ちゃんの耳が、ぺたんと伏せる。
「こんばんは、の……つもりでした……」
「知ってる」
「も一回……」
「言い直さなくていい、続けて」
同室の親友の冷静な指示に、最強メンタル計画ちゃんはこくりと頷いた。
コメント欄が流れ始めた。
画面の向こうには、誰も見に来ないはずだった。
そうではなかった。
待機人数が、学生の個人配信としては異常値を記録していた。
本人たちは知らない。
「……えっと、今日は、その、一回限りなんですけど」
ぽつりぽつりと、最強メンタル計画ちゃんが喋り始める。
緊張で声が少し高い。
でも、ちゃんと言葉になっている。
「朝練のこと、とか。学園の日常のこと、とか……」
「食堂の朝ごはん……おいしいんですよ。今日のお味噌汁が、とくに……」
コメントが溢れた。
『かわいい』
『こんびゃんわ!!』
『普通にいい話だ』
『食堂の話してる』
後輩ちゃんが、横から小声で言う。
「先輩すごいです……!」
最強メンタル計画ちゃんは、少しずつ声が落ち着いてきた。
「テストは……普通です」
『普通なの!?』
『あの技術力で!?』
「グミが……悪くないんです。売店の、あの」
『悪くないグミ!』
『本人公認きた』
「な、なんか……コメントが早くて……」
「そこ拾わなくていい」
同室の親友の声が、画面外から入った。
コメント欄が揺れた。
『赤ペン先生!』
『生きてた!』
『ありがとう赤ペン先生』
普通の配信だった。
誰かが倒れることなく。
爆発することなく。
ただ、一人の学生が緊張しながら、日常のことを話していた。
スピカ降臨
配信が落ち着いてきたころ。
コメント欄に、ひとつのアカウントが流れた。
公式マーク付き。
最強メンタル計画ちゃんは、それをしばらく見ていた。
見ていた。
固まった。
「……」
耳が、まっすぐ立った。
「……す、すぴ……スピカ、しゃ……」
噛んだ。
「先輩……!」
後輩ちゃんが、思わず両手で口を押さえた。
コメントが流れる。
『スピカきゅん本人だ』
『公式マーク確認』
『終わった(いい意味で)』
スピカのコメントが画面に残っていた。
「ウマ娘さんたちの日常が知れて、大変面白かったです。頑張ってください」
最強メンタル計画ちゃんの目が、ゆっくりとぐるぐるし始める。
「これからも応援しています」
追撃が来た。
「……」
尻尾が。
固まった。
「すぴかさん……これからも……応援……」
そして、最強メンタル計画ちゃんは、ふにゃりと崩れた。
後輩ちゃんが支える。
コメント欄が溢れた。
『落ちた』
『知ってた』
『ここまで耐えたの偉い』
『オーバーキル』
画面外で、同室の親友が額を押さえた。
スピカからの退室コメントが流れた。
「配信の邪魔をしてしまったみたいなので失礼します。無理せず休んでください」
気絶していたはずの最強メンタル計画ちゃんの耳が、ぴくんと動いた。
「……むりせず……やすんで……」
さらに幸せそうな顔になった。
「終了!」
同室の親友は、勢いよく配信を切った。
画面が暗くなる。
部屋に静寂が戻る。
椅子の上には、幸せそうに気絶した最強メンタル計画ちゃん。
その横には、心配そうな後輩ちゃん。
そして、頭を抱える同室の親友。
配信禁止
「……配信は」
ぽつりと、同室の親友が呟いた。
「しばらく禁止」
「えっ」
後輩ちゃんが驚く。
「でも、先輩、最初より少し喋れるようになってました!」
「それはそう」
「メンタルトレーニングとしては効果が……」
「それもそう」
「じゃあ……!」
同室の親友は、ぐるぐる目で気絶している親友を見た。
「スピカさんが来ない保証がない」
「……」
後輩ちゃんは、真剣に考え込んだ。
そして、小さく頷いた。
「たしかに、最高難度ですね」
「最高難度じゃなくて、事故」
「スピカさんコメント耐性トレーニング……」
「やらない」
「でも、いつか必要になるかも……」
「やらない」
「企画書だけでも……」
「書かない」
そのとき。
気絶していた最強メンタル計画ちゃんが、ふにゃりと笑った。
「すぴかさん……これからも……応援……」
同室の親友は天井を見上げた。
後輩ちゃんは胸に手を当てて、感動したように呟いた。
「先輩……すごいです。気絶してもメンタルトレーニングを続けてます……!」
「違う」
「これが、最強メンタル……!」
「違う」
「私も見習わないと……!」
「違うって言ってるでしょ」
その夜。
配信は一回限りで終了した。
しかし、掲示板ではすでにスレが乱立していた。
【速報】最強メンタル計画ちゃん、配信開始
【悲報】スピカきゅん本人降臨
【耐久】気絶タイム計測スレ
【赤ペン先生】今回も最後の砦だった
【後輩ちゃん】発想は真っ当だったのにどうして
【企業総合】配信業界、動くべきか?
【トレセン】配信は禁止にしろ、いや定期化しろ
そして翌朝。
最強メンタル計画ちゃんは、布団の中で目を覚ました。
記憶は途中から曖昧だった。
けれど、ひとつだけ覚えている。
スピカさんが。
応援してくれた。
「……」
布団の中で、彼女は顔を赤くした。
そして、小さく呟いた。
「……メンタル、もっと鍛えなきゃ」
その言葉を聞いた同室の親友は、隣のベッドで即座に目を開けた。
「配信はしないからね」
「……企画書だけ」
「書かない」
「コメント耐性……」
「鍛えない」
「スピカさん応援耐性……」
「絶対に鍛えない」
こうして、一回限りの配信トレーニングは幕を閉じた。
なお、切り抜きは翌日には学園中に広まり。
「こんびゃんわ」は、しばらくトレセン内の挨拶として流行った。
学園BBS:例の三人、配信待機枠できてるんだけど
*― 配信前・配信中・配信後のトレセン学園スレ ―*
【配信前】
#### 【待機所】最強メンタル計画ちゃん、配信するらしい【一回限り?】
レス 1〜50
え、待って
通知来たんだけど
何の?
例の子
例の子で通じるのやめろ
最強メンタル計画ちゃんのアカウント
配信待機枠できてる
え?
え??
あの子、配信するの?
タイトル「一回限りのメンタルトレーニング配信」
真っ当だ……
真っ当なタイトルすぎて逆に怖い
去年から数えると何回「真っ当な入り口」から入った?
数えたくない
でも今回は物作りじゃない
喋るだけだよね?
喋るだけのはずだよね
「喋るだけ」の三文字が怖い
何も爆発しない理由がない
物がないから爆発しない
概念爆発はある
概念爆発って何
気絶系
ああ
スピカきゅん関連なら十分ある
スピカきゅん本人が来ない限りは大丈夫
来ない来ない
学生の個人配信に来るわけない
うん
来ない
絶対来ない
……来ないよね?
来ないでください
後輩ちゃんも映るかな
映ったら嬉しい
赤ペン先生は?
止める人枠で参加すると思う
止める人が参加する時点で危険性認識されてるの好き
とにかく見ような
見ような
待機中
待機中
何も爆発しないことを祈って
祈ろう
【配信中】
#### 【実況】最強メンタル計画ちゃん、配信開始【こんびゃんわ】
レス 1〜50
映った!
いた!
三人いる!
最強メンタル計画ちゃん真ん中!
横に後輩ちゃん!
画面外に赤ペン先生の気配!
赤ペン先生の気配って何
危険ワードを止める圧
例の子ガチガチじゃん
レス 51〜100
耳ぺたってなってる
がんばれ
がんばれ
挨拶くるぞ
「こ、こんびゃんわ……」
噛んだ
かわいい
かわいい
こんびゃんわ
こんびゃんわ!!!!!!
これは流行る
かわいすぎてこっちが気絶しそう
後輩ちゃん拍手してる
優しい世界
今のところ何も爆発してない
基準が低すぎる
トレセンの日常の話してる
朝練の話だ
普通にいい話
この子、やっぱり真面目なんだよね
真面目で努力家でいい子なんだよ
なお
なお禁止
食堂の朝ごはんおいしいって話かわいい
こういうのでいいんだよ
こういうのでいいのに、どうして今までああなった
発想力と実行力とスピカきゅん特効
悪くないグミの話拾ったぞ
本人公認「悪くないです」
草
売店、明日また売れるぞ
テストの点は普通です、だって
普通なの!?
あの技術力で!?
勉強普通、開発バグ
ウマ娘としての能力値配分どうなってんの
赤ペン先生の声した?
「そこ拾わなくていい」
赤ペン先生だ!
ありがとう赤ペン先生
命が助かる
企業の命も助かる
コメント速すぎて本人ついていけてない
そりゃそう
本人、こんなに見られてると思ってない
後輩ちゃんニコニコしてる
後輩ちゃん「先輩すごいです!」って小声で言ってる
尊い
この三人、普通に仲良いんだよね
普通に仲良いから、危険物が生まれる
言い方
レス 101〜150
あ
待って
今コメント欄
見た?
見た
スピカきゅん?
スピカきゅんいた?
本人だ
公式マークついてる
終わった
まだ終わってないだろ!
いや終わった
例の子の顔が固まった
耳が!
尻尾が!
赤ペン先生、気づいた!
後輩ちゃんも気づいた!
スピカきゅんコメント
「ウマ娘さんたちの日常が知れて、大変面白かったです。頑張ってください」
優しい
優しさが凶器
メンタルトレーニング最終試験
負荷が高すぎる
例の子、返事しようとしてる
やめろ無理するな
でも配信者として偉い
「す、すぴ……スピカ、しゃ……」
噛んだあああああ
限界かわいい
よく頑張った
もう切っていい
スピカきゅん追撃
「これからも応援しています」
あっ
だめ
オーバーキル
目がぐるぐるしてる!
落ちる!
赤ペン先生支えて!
後輩ちゃん動いた!
「すぴかさん……」
落ちた
気絶した
知ってた
ここまで耐えたの偉い
配信開始から何分?
意外と持った
成長してる
スピカきゅん耐性は成長してない
それは無理
気絶耐久配信始まったな
レス 151〜200
計測するな
赤ペン先生「まとめなくていい!」
草
赤ペン先生のツッコミ助かる
スピカきゅん退室コメントした
「配信の邪魔をしてしまったみたいなので失礼します。無理せず休んでください」
最後まで優しい
さらに追撃
気絶してる子の耳が動いた
聞こえてる!
「むりせず……やすんで……」
幸せそう
赤ペン先生、切った!
終了!
伝説だった
【配信後】
#### 【反省会】最強メンタル計画ちゃん配信、無事?終了【こんびゃんわ】
レス 151〜200
無事終了
無事とは
爆発してない
危険物も出てない
気絶はした
いつもの範囲内
いつもの範囲内にするな
でも今回かなり平和だったよね
配信としては普通に面白かった
トレセンの日常聞けたのよかった
本人が真面目でいい子なのが伝わった
後輩ちゃんもいい子だった
赤ペン先生の安心感すごかった
危険ワード拾いそうになるたび止めてた
あれがなかったらどうなってた?
企業秘密が漏れてた
国家機密も漏れてた
本人は国家機密の自覚ないからな……
「悪くないです」かわいかった
「こんびゃんわ」もかわいかった
明日から寮内挨拶こんびゃんわになるぞ
もうなってる
早い
廊下で三人に向かって言うなよ
本人真っ赤になるから
言うなと言われると
やめろ
スピカきゅん本人降臨は事故
でもスピカきゅん側は本当に善意なんだよね
ウマ娘の日常が知れて嬉しい
頑張ってください
これからも応援しています
完璧な応援コメント
完璧すぎて落ちた
あの子、スピカきゅんに応援された瞬間ふにゃってなってた
かわいかった
でも気絶した
幸せそうだったのでセーフ
レス 201〜250
セーフかなぁ?
赤ペン先生がすぐ切ったの偉い
あのまま続けてたら?
気絶耐久配信
寝言配信
スピカさんうわ言配信
危険すぎる
後輩ちゃんが「先輩、気絶してもメンタルトレーニングを続けてます!」みたいな顔してたの笑った
後輩ちゃんの解釈、だいたい肯定方向なの好き
かわいいけど怖い
後輩ちゃん、今回の配信で何か学んだかな
配信はメンタルトレーニングになる
スピカきゅんコメント耐性が必要
やめろ
V9の気配がした
やめろ
「スピカさん応援コメント耐性トレーニング」
やめろって
絶対に赤ペン先生が止める
赤ペン先生なら止めてくれる
でも後輩ちゃんと最強メンタル計画ちゃんが二人で目を輝かせたら?
赤ペン先生の胃が死ぬ
たづなさんの胃も死ぬ
理事長は多分見てた
絶対見てた
理事長「愉快ッ!」
たづなさん「愉快ではありません」
配信禁止令出るかな
一回限りって言ってたし、たぶん出る
でも後輩ちゃんが企画書書く
書くな
赤ペン先生が止める
止めてくれ
配信は危険だけど、今回の三人は本当によかった
こんびゃんわ、ずっと使う
おはこんびゃんわ
派生するな
でもかわいい
かわいすぎたので許す
三人とも、おつかれさまでした
おつかれさまでした
こんびゃんわ
幕間:こんびゃんわ
翌朝。
トレセン学園の朝は早い。
まだ空気に夜の冷たさが残る時間から、グラウンドには走るウマ娘たちの足音が響いている。
朝練。
自主トレ。
眠そうにしながら食堂へ向かう子。
すでに制服に着替えて教室へ向かう子。
いつも通りの朝だった。
……はずだった。
「こんびゃんわー」
「こんびゃんわ!」
「朝だけどこんびゃんわ!」
「こんびゃんわって何時の挨拶?」
「かわいい時間の挨拶」
「なるほど」
寮の廊下。
最強メンタル計画ちゃんは、扉の前で固まっていた。
「……」
顔が赤い。
もう赤い。
まだ何も言われていないのに、すでに赤い。
昨日の記憶がある。
ある程度はある。
配信を始めたこと。
画面の向こうにたくさん人がいたこと。
挨拶しようとして。
噛んだこと。
「こ、こんびゃんわ……」
その瞬間だけは、やけに鮮明だった。
そして、どうやらその一言が、トレセン学園内で爆発的に広まったらしい。
「……出たくない」
最強メンタル計画ちゃんは、扉の内側でぽつりと呟いた。
同室の親友は、制服の襟を整えながらため息をつく。
「出ないと授業遅れるよ」
「でも……」
「でも?」
「絶対、言われる……」
「まあ、言われると思う」
「うぅ……」
最強メンタル計画ちゃんの耳がぺたんと伏せる。
後輩ちゃんは、部屋の中で両手を握りしめていた。
なぜか感動した顔をしている。
「先輩……すごいです」
「すごくない……」
「たった一晩で、トレセン学園に新しい挨拶文化を作ったんです!」
「作りたかったわけじゃない……!」
「これも先輩の影響力……!」
「影響したくなかった……!」
同室の親友が、後輩ちゃんの肩をぽんと叩いた。
「今は褒めないであげて」
「あっ、はい」
後輩ちゃんは素直に頷く。
それから少し考え、さらに言った。
「でも、かわいかったです」
「褒めないでって言ったよね」
「事実なので……」
「事実で追撃しない」
最強メンタル計画ちゃんは、両手で顔を覆った。
耳まで赤い。
尻尾も落ち着きなく揺れている。
「うぅ……もう配信しない……」
「それは本当にそうして」
同室の親友は即答した。
そして、覚悟を決めるようにドアノブへ手をかける。
「行くよ」
「ま、待って……心の準備……」
「三秒」
「短い……!」
「三、二、一」
「待っ――」
扉が開いた。
その瞬間、廊下にいたウマ娘たちの視線が一斉に向いた。
「あ」
「出てきた」
「本人だ」
「本人って言うな」
「えっと……」
数秒の沈黙。
最強メンタル計画ちゃんは、同室の親友の背中に半分隠れる。
後輩ちゃんは、なぜか誇らしそうに隣に立っている。
そして、廊下の向こうから一人が、にこにこと手を振った。
「こ、こんびゃんわー!」
最強メンタル計画ちゃんの顔が、一瞬で真っ赤になった。
「ひゃ……」
変な声が出た。
その反応を見た廊下のウマ娘たちは、一斉にざわつく。
「赤くなった!」
「かわいい!」
「やめてあげて!」
「でもかわいい!」
「こんびゃんわー!」
「こんびゃんわ!」
「流行語大賞!」
「まだ早い!」
「朝だけどこんびゃんわ!」
「おはようの派生かな?」
「こんばんはの進化系でしょ」
「噛み挨拶分類学やめて」
最強メンタル計画ちゃんは、ぷるぷる震えた。
「や、やめ……」
声が小さい。
あまりにも小さい。
同室の親友が一歩前に出る。
「はいはい、からかわない」
その一言で、周囲のウマ娘たちは少しだけ落ち着いた。
さすが赤ペン先生。
廊下の治安維持能力が高い。
「本人、本気で恥ずかしがってるから」
「ご、ごめん」
「かわいすぎてつい」
「悪気はなかった」
「昨日の配信、よかったよ」
「うん、普通に頑張ってた」
「こんびゃんわもかわいかったけど、ちゃんと話せてたよ」
「朝練の話、よかった」
「食堂の話もよかった」
「また見たい」
「それはダメ」
同室の親友が即答した。
周囲から小さな笑いが起きる。
最強メンタル計画ちゃんは、顔を真っ赤にしたまま、もごもごと口を動かした。
「……ありが、と……ございます……」
「かわいい」
「やめなさい」
「はい」
後輩ちゃんが目を輝かせた。
「先輩、ちゃんとお礼を言えました!」
「実況しないで……」
「成長です!」
「成長かもしれないけど……!」
そのとき、廊下の奥から別の声が飛んできた。
「こんびゃんわー! あ、本人いた!」
「本人の前で言うな!」
「ごめん! でも昨日から癖になって!」
「わかる」
「語感がいいんだよね」
「こんびゃんわ」
「こんびゃんわ」
「こんびゃんわ」
「増えるな!」
同室の親友のツッコミが廊下に響く。
最強メンタル計画ちゃんは、もう限界だった。
真っ赤な顔で、耳を伏せ、尻尾を丸め、同室の親友の後ろへ完全に隠れる。
「……もう無理」
「まだ廊下出ただけだよ」
「教室……行けない……」
「行くよ」
「食堂……」
「もっと言われると思う」
後輩ちゃんが、そっと最強メンタル計画ちゃんの手を握った。
「大丈夫です、先輩」
「後輩ちゃん……」
「私も一緒に、こんびゃんわって言います!」
「言わないでぇ……!」
「じゃあ、心の中で言います!」
「それもなんか恥ずかしい……!」
同室の親友はため息をつきながらも、少しだけ笑っていた。
昨日の配信は、事故だった。
いや、事故ではあるが、危険物は生まれなかった。
爆発もしていない。
誰かが倒れたわけでもない。
いや、一人倒れたが、いつものことではある。
何より、周りの反応は悪意ではなかった。
みんな、からかい半分ではある。
けれど、それ以上に、昨日の彼女が緊張しながらも頑張って話していたことを見ていた。
だから、笑っている。
かわいいと言っている。
応援している。
最強メンタル計画ちゃん本人だけが、その好意を受け止めきれずに真っ赤になっている。
「……人気者だね」
同室の親友が小さく言った。
「違う……」
「違わないよ」
「私は……普通に配信しただけで……」
「普通に配信できてたよ。途中までは」
「途中……」
スピカさん。
応援。
これからも。
その記憶が蘇った瞬間、最強メンタル計画ちゃんの顔が再び限界まで赤くなる。
「すぴ……」
「思い出さない」
「うん……」
後輩ちゃんが、心配そうに覗き込む。
「先輩、大丈夫ですか?」
「だ、大丈夫……」
「顔が真っ赤です」
「知ってる……」
「これもメンタルトレーニングですね!」
「違う」
同室の親友が即答した。
「でも、人前でからかわれても耐える練習には……」
「しない」
「こんびゃんわ耐性――」
「作らない」
「スピカさん応援コメント耐性――」
「絶対に作らない」
「企画書だけ――」
「書かない」
後輩ちゃんは素直に頷いた。
「はい」
数秒後。
「でも、先輩が真っ赤にならずに挨拶を受け止められるようになる練習なら……」
「それは普通に成長だから、少しだけならいい」
「いいんですか!?」
「変な道具を作らなければ」
「道具なしです!」
「配信なし」
「配信なしです!」
「スピカさんなし」
「それは……」
「なし」
「はい……」
最強メンタル計画ちゃんは、小さく深呼吸した。
そして、廊下の向こうでまだ手を振っているウマ娘たちを見る。
みんな、笑っている。
からかっている。
でも、嫌な笑いではない。
「……」
最強メンタル計画ちゃんは、顔を真っ赤にしたまま、ほんの少しだけ手を上げた。
「……お、おはよう……ございます……」
廊下が一瞬、静かになった。
そして。
「おはよう!」
「おはよう!」
「おはよう、昨日よかったよ!」
「無理せずね!」
「朝練がんばろ!」
「食堂で会おうね!」
「こんびゃ――」
「言い直したのに戻すな!」
同室の親友のツッコミで、また笑いが起きた。
最強メンタル計画ちゃんは、まだ真っ赤だった。
でも、さっきより少しだけ、耳が立っていた。
後輩ちゃんはそれを見て、嬉しそうに微笑む。
「先輩、すごいです」
「……すごくない」
「でも、ちゃんと挨拶できました」
「……うん」
同室の親友も、小さく頷く。
「よし。じゃあ食堂行くよ」
「……食堂でも言われる?」
「言われると思う」
「教室でも?」
「言われると思う」
「トレーニング場でも?」
「言われると思う」
「……帰りたい」
「行くよ」
三人は歩き出した。
廊下のあちこちから、小さく声が飛ぶ。
「こんびゃんわ」
「こんびゃんわー」
「おはこんびゃんわ」
「派生するな」
「かわいい」
「やめてあげて」
「でもかわいい」
最強メンタル計画ちゃんは、歩くたびに赤くなったり、耳を伏せたり、また少し立てたりした。
その横で、後輩ちゃんは誇らしそうに胸を張っている。
同室の親友は、半歩前を歩きながら、周囲へ目を光らせている。
いつもの三人だった。
少しだけ、有名になりすぎた三人だった。
そしてその日。
トレセン学園のそこかしこで、新しい挨拶が飛び交った。
「こんびゃんわ」
それは、たった一度の噛み間違いから生まれた言葉だった。
本人にとっては、思い出すだけで布団に潜りたくなる黒歴史。
周りにとっては、緊張しながらも頑張った子を思い出す、ちょっとかわいい合言葉。
そして、同室の親友にとっては。
「このまま流行りすぎると、また何か変な企画に繋がるのでは」
という、新たな胃痛の種だった。
なお、放課後。
後輩ちゃんのノートに、こっそり。
『挨拶文化による日常メンタルトレーニング案』
と書かれているのを発見した同室の親友が、無言で赤ペンを入れた。
大きく。
力強く。
保留。
と。