外伝02:たづなさんの被弾(偶発的事故)
── 処理は完了していた ──
V5の事後処理は、たづなさんが担当した。
密閉袋の確認。
小瓶の回収。
部屋の換気状況の確認。
同室の子からの経緯説明の聴取。
その間、たづなさんは一度だけ困ったような表情をした。
同室の子がV5の素材入手経路を「偶然です」と繰り返したあたりで。
それ以上は聞かなかった。
聞いてしまうと、別の問題が出てきそうだった。
「お疲れ様でした。よく報告してくれましたね」
「……ありがとうございます」
「また何かあれば、すぐに連絡してください」
同室の子が部屋を出た後、たづなさんは袋の状態を最終確認した。
二重。
問題なし。
翌日以降の保管場所も確保した。
これ以上の作業は必要ない。
そう判断して、たづなさんは部屋を出た。
── 三日後の夕方 ──
三日後。
たづなさんは保管庫の整理をしていた。
定期的な確認作業だった。
棚の上の袋を確認し、ラベルを読み、数を数える。
問題なし。
次の棚へ。
問題なし。
さらに次の棚へ。
たづなさんは背伸びをして、一番上の棚を確認しようとした。
その時。
奥の袋が、少し傾いていた。
内容物は問題ない。
ただ、袋の口が、ほんの少しだけ緩んでいた。
一重になっていた。
外側の袋が、どこかで外れていたらしい。
たづなさんはそれを確認しようと、一歩踏み込んだ。
その瞬間、棚の上から小さな何かがこぼれた。
固形ではなく、気体。
ほんの少し。
ほんの一瞬。
甘い香りが、鼻の先をかすめた。
「……」
たづなさんは、止まった。
一秒。
二秒。
三秒。
ウマ娘の嗅覚は、人より鋭い。
たったひと吸いでも、届くものは届く。
たづなさんの耳が、微かに揺れた。
それだけだった。
たづなさんは、静かに一歩退いた。
保管庫の扉を閉めた。
廊下に出た。
深く、長く、息を吐いた。
「……」
しばらく、廊下に立っていた。
何を感じていたのかは、本人にしかわからない。
ただ。
この気持ちを、あの生徒は何度も、自分から体験しようとしていたのだと。
そのことが、少しだけわかった気がした。
それだけだった。
数分後に保管庫に戻った時、たづなさんの表情は元に戻っていた。
二重の封をし直した。
棚の配置を修正した。
確認記録に「袋の固定を強化」と書き加えた。
それだけだった。
── 翌朝 ──
翌朝。
たづなさんは定刻通りに出勤した。
資料を準備した。
会議の議題を確認した。
生徒のトレーニングスケジュールを確認した。
メールに返信した。
誰もが、何も気づかなかった。
同室の子が廊下でたづなさんとすれ違った時も、たづなさんはいつものたづなさんだった。
「おはようございます」
「おはようございます♪ 昨日の睡眠は取れましたか?」
「はい、おかげさまで」
「それは良かった。今日も無理しないようにしてくださいね」
そう言って、たづなさんは微笑んだまま立ち去った。
同室の子は、その背中を見ながら思った。
完璧だ、と。
何もかもが完璧だ、と。
……少しだけ、たづなさんの歩調がいつもより早かった気がしたけれど。
きっと気のせいだ。
同室の子はそう思うことにした。
── 記録には残らなかった ──
その件は、記録に残らなかった。
たづなさん自身が書かなかったからだ。
書く必要があるとも、書くべきとも、思わなかった。
ただ一点、保管記録には追加された。
「外側袋の状態:毎週確認」
「棚の上段:固定バンド追加」
それだけだった。
それ以上でも、それ以下でもなかった。
たづなさんは、プロだった。
掲示板:たづなさんが何かを知っている目をしているという噂
1:名無しのウマ娘
最近のたづなさん、V5について聞くとわずかに間が生まれる気がする
2:名無しのウマ娘
気のせいでは
3:名無しのウマ娘
気のせいかもしれない
4:名無しのウマ娘
でも何か知ってる人の目をしてる
5:名無しのウマ娘
たづなさんは常に何か知ってる人の目をしてる
6:名無しのウマ娘
それはそう
7:名無しのウマ娘
V5の処理後、保管庫の管理が一段厳しくなったらしい
8:名無しのウマ娘
なんで急に
9:名無しのウマ娘
「念のため」とだけ言っていた
10:名無しのウマ娘
「念のため」に一つ上の厳重さが必要になる何かがあったということ
11:名無しのウマ娘
さすがに詮索できない
12:名無しのウマ娘
たづなさんが「念のため」と言ったら本当に念のためだから
13:名無しのウマ娘
同室の子も「何かあったの?」って聞いたら「適切な管理です」って言われたらしい
14:名無しのウマ娘
完璧な回答
15:名無しのウマ娘
たづなさんが崩れない限り真相はわからない
16:名無しのウマ娘
たづなさんは崩れない
17:名無しのウマ娘
翌朝完璧に出勤してきたのだけは確認されてる
18:名無しのウマ娘
え
19:名無しのウマ娘
「翌朝完璧に出勤」が情報として機能している
20:名無しのウマ娘
逆に怖い
21:名無しのウマ娘
たづなさんの精神力が一番強い
22:名無しのウマ娘
それが一番の感想
23:名無しのウマ娘
最強メンタルはたづなさんだったんだよ
24:名無しのウマ娘
やめろ
25:名無しのウマ娘
でも否定できない
26:名無しのウマ娘
計画の名前が間違ってた可能性
27:名無しのウマ娘
「最強メンタル」はたづなさんに贈る称号だった
28:名無しのウマ娘
やめてください
29:名無しのウマ娘
でも本当にそれ
30:名無しのウマ娘
ご本人には絶対に言えない