外伝03:理事長、三秒で誓いを破る(真V1・企画書審査)
── 企画書が届いた ──
真・最強メンタル計画V1の企画書が、正式なルートで届いた。
たづなさんはそれを受け取り、添付の実験素材一式を確認した。
スピーカー。タブレット。公式応援音声のデータ。そして、几帳面な字で書かれた企画書。
ため息をつきたいところだったが、まずは内容を正しく読んだ。
悪意はない。改造もしていない。安全対策の記述がある。企画書を正式に提出してきた。
その点は評価できた。
ただ、一人で判断するには少々荷が重い案件だった。理事長に報告し、正式に承認可否を判断してもらう必要がある。
たづなさんは材料をトレイにまとめた。
理事長室の扉を叩く。
「理事長、少しよろしいですか」
「歓迎ッ! どうぞ」
入室する。いつも通り、机の前に小さな理事長がいた。帽子の上の猫が、たづなさんをちらりと見て目を細めた。
トレイを机の上に置く。
「最強メンタル計画ちゃんから、真V1の企画書と実験素材が届きました」
「うむッ!」
理事長の目が、タブレットの方向へ一瞬だけ向いた。
「理事長」
たづなさんは、静かに微笑んだ。
「触らないでください」
笑顔だった。穏やかで、柔らかな笑顔。
だが、この種類の笑顔には圧がある。理事長は身をもって知っていた。
「了解ッ!」
「再生もしないでください」
「了解ッ!」
「"業務上の確認"も駄目です」
間が一瞬空いた。
「……了解ッ!」
たづなさんはもう一度にっこりしてから、扉の前で振り返った。
「戻るまで、このままでお願いします。きちんと確認してから判断します」
「任せるがいいッ!」
「本当にお願いします」
「うむッ!」
扉が閉まった。
── 三秒後 ──
静寂。
理事長室に、やよい一人。
机の上には、タブレット。
やよいは腕を組んだ。
「触らない」
頷く。
「再生しない」
さらに頷く。
「業務上の確認もしない」
もう一度頷く。
そして、三秒後。
「しかし」
小さく呟いた。
「危険性を正確に把握せず封印するのも、また管理者として無責任ではないか?」
言い訳が始まった。
「たづなは止めた。うむ。それは正しい。だが私は理事長。責任者として、実際の負荷感を把握する必要が……」
ちらり。
タブレットを見る。
「いや、再生しない。再生はしない」
ちらり。
「ただ、設定を見るだけなら……」
指が伸びる。
「再生ボタンを押さなければよい」
タブレットを起動した。
再生リスト名。
『真V1_環境適応テスト』
音量設定、極小。ループ再生、オン。
「ふむ……音量は本当に低いな」
真剣な顔で頷く。責任者として、データを確認しているだけだ。ただそれだけだ。
「これほど小さいなら、確かに環境音としては……」
そこで。
耳が、かすかに拾った。
『……大丈夫ですよ』
小さい。本当に小さい。
だが。
やよいの耳が、ぴくりと動いた。
「……」
もう少し聞こうとする。無意識に。本能的に。
『……頑張ってる人は、好きです』
やよいの体が、ゆっくりと椅子に沈んでいった。
── たづなさん、戻る ──
しばらく後、たづなさんが戻ってきた。
扉を開ける。
やよいは椅子の上にいた。
幸せそうな顔で、ぐったりしていた。
再生中のタブレットが、机の上にあった。
「……」
たづなさんは、しばらく無言で立っていた。
タブレットの電源を落とす。
静寂。
「理事長?」
やよいの体がびくりと跳ねた。
「ひぇっ!」
ゆっくり顔を上げると、目の前に、にこりと微笑むたづなさんの顔があった。
「た、たづなッ!」
「お目覚めですか」
「あ……その……これは」
「再生しましたね」
「指が、偶然」
「偶然ではありません」
「責任者として危険性を――」
「その言い訳は聞きました」
「……」
たづなさんは、一言も責めなかった。
ただ静かに、タブレットを回収した。
それから理事長を見た。穏やかな笑顔だった。
「お体の具合は?」
「……温かかったです」
「そうですか。よかった」
よかった、と言いながら、目は全く笑っていなかった。正確には笑ってはいるのだが、その奥に「後ほどお話があります」という静かな圧が漂っていた。
理事長は、するする小さくなった。
「……もう、理事長は……」
たづなさんが、初めて言葉の端にため息をにじませた。
責めているわけではない。ただ、呆れている。愛情ある呆れ、というやつだった。
「……たづな……ごめんよ」
「いいえ」
首を振った。今度は本当の笑顔だった。
── 条件付き再提出 ──
「理事長」
「……うむ?」
「次から、真・最強メンタル計画関連の提出物は、私が先に確認します」
「うむ……」
「理事長は一人で確認しません」
「うむ……」
「再生しません。業務上の確認もしません」
「……うむ」
「間が空きましたね?」
「うむッ!」
やよいは勢いよく頷いた。
たづなさんはため息をついてから、企画書を手に取った。
「ただし」
「うむ?」
「本人が成長しているのは確かです」
企画書を開きながら、続ける。
「安全対策を考えるようになったこと。公式音声を改造しなかったこと。企画書を提出したこと。その点は評価します」
「だろうッ!」
「ですから、全面禁止ではなく、次回は必ず事前相談。第三者立ち会い。音量・時間・停止手段を明確化。救助者に負担をかけない設計。これらを条件に再提出です」
「たづな……!」
やよいの顔が明るくなった。
「寛大ッ!」
「理事長」
「うむ?」
「理事長が一番条件を破りそうなので、喜ばないでください」
「……うむ」
── 返却 ──
企画書は、赤ペンで必要事項が書き込まれた後、封をして本人へ返された。
末尾に一行追加されていた。
『理事長も倒れました。
よって危険性は実証済みです』
やよいは、その一文を自分が原因で生み出したと知っている。
「……申し訳ないことをしたな、たづな」
しばらくして、静かにそう言った。
廊下から、小さな声が聞こえた。
「いいえ、理事長」
少しだけ間があって。
「次から、よろしくお願いします」
本当の笑顔の声だった。
やよいは頷いた。
「承知ッ!」
力強く。
なお、次のV2でまた確認しようとするのだが、それはまた別の話である。