外伝06:たづなさん、食品管理の難しさを知る(真V4・試食審査)
── 食べ物、届く ──
理事長室。
時刻は夕方。
机の上には、厳重に運ばれてきたタンブラーと、小さな容器に入ったサンドイッチ。
そして、その横には見慣れたノート。
真・最強メンタル計画V4
駿川たづなは、静かに目を閉じていた。
「……」
胃が痛い。
まだ開けてもいない。
まだ何も起きていない。
なのに胃が痛い。
向かい側では、秋川やよい理事長がきらきらした目で机を見ていた。
「つまりッ!今回は飲食系ということかッ!!」
「そうですね」
「しかも栄養バランスも考慮されているッ!!」
「そうですね」
「見た目も綺麗だなッ!!」
「そうですね」
たづなの声には感情がなかった。
完全に"来る"と理解している声だった。
── 試食審査 ──
机の上には報告書。
同室の子による赤ペンメモも添えられている。
**・飲まないでください
・食べないでください
・気絶します
・タンブラーを握りしめたまま抵抗しました**
たづなさんは深いため息をついた。
「……食べ物なんですよねぇ」
「うむ」
「しかも普通に衛生面も栄養面も問題なし」
「うむ」
「むしろ完成度は高いそうで」
「うむ」
「……破棄するの、心が痛むんですよねぇ……」
秋川やよい理事長が頷く。
「食べ物を粗末にはできんッ!!」
この二人。
そこは真面目だった。
問題は。
真面目だからこそ、"確認しなければ"という思考になることである。
たづなさんは覚悟を決めた。
「理事長」
「なんだッ」
「絶対に、一気に飲まないでください」
「心得たッ!」
「あと、万が一気絶しそうになったらすぐ教えてください」
「うむッ!!」
「あと今回は味覚です。つまり回避できません」
「怖いことを言うなッ!!」
理事長は笑った。
たづなさんは笑わなかった。
青いドリンク。
淡い青色。
透明感。
疲れた時に飲みたくなるような爽やかさ。
サンドイッチも彩りが良い。
栄養バランスも考えられているのがわかる。
「……普通に商品化できそうなのが腹立ちますね」
「わかるぞッ!!」
たづなさんは慎重に一口。
理事長も一口。
――瞬間。
「……」
「……」
二人とも止まった。
たづなさんの耳がぴくりと動く。
理事長の尻尾もぴんと立つ。
「……おいしいですね」
「う、うむ……」
本当に美味しかった。
爽やかだった。
甘すぎない。
けれど、疲れた体にすっと染みる。
飲んだ瞬間、ふっと肩の力が抜ける。
まるで。
レース後に優しく声をかけられたような。
『お疲れさまでした』
そんな錯覚すら覚える。
たづなさんはそこで察した。
(まずい)
これはまずい。
危険なのは刺激ではない。
優しすぎる。
自然すぎる。
脳が勝手に"安心"してしまう。
理事長がもう一口飲む。
「……はぁ」
その吐息が、少し甘かった。
「理事長?」
「なんだか……包み込まれている気分だぞッ……」
「理事長、止め――」
「頑張りましたねと言われている気がするッ……」
「理事長」
「なんだか安心してきたぞッ……」
「理事長」
「今日はもう仕事をしなくてもいい気が――」
「ダメです」
たづなさんが真顔で切った。
だが。
遅かった。
理事長はサンドイッチを手に取る。
「こっちも食べてみるぞッ!」
「理事長、待っ――」
一口。
しゃく。
理事長の動きが止まった。
「……」
「理事長?」
「…………優しい」
「はい?」
「味が優しいぞッ……」
たづなさんも恐る恐る食べる。
「……っ」
わかった。
これは危険だ。
美味しい。
普通に。
ものすごく。
パンの柔らかさ。
具材のバランス。
重すぎない。
けれど満足感がある。
そしてなにより。
"食べると元気になれる気がする"。
それが危険だった。
スピカさんの配信を見た時と同じ方向性。
頑張ろうと思える。
前を向ける。
「……これは」
たづなさんが額を押さえる。
「完全に"善意"で作ってますね……」
理事長はもう限界だった。
「たづなァ……」
「はい」
「なんだか……眠くなってきたぞッ……」
「理事長、寝ないでください」
「でも安心するぞッ……」
「寝ないでください」
「スピカくんに……頑張りましたと言われている気が……」
「理事長」
「……」
理事長の身体がふらりと傾く。
たづなさんが即座に支える。
「ああもう!!」
理事長は幸せそうだった。
ものすごく幸せそうだった。
頬が緩みきっている。
尻尾もぱたぱた揺れている。
完全に気絶である。
── 悔しいくらい美味しい ──
「……はぁ」
たづなさんは深いため息をついた。
自分も危なかった。
かなり危なかった。
耳が熱い。
胸の奥がふわふわする。
あと少し食べていたら危なかった。
机の上を見る。
まだ残っている。
ドリンク。
サンドイッチ。
たづなさんは視線を逸らした。
(……食べたい)
危険だった。
非常に危険だった。
たづなさんは頭を振る。
「ダメです」
自分に言い聞かせる。
「これはメンタルケア食品じゃなくて危険物です」
でも、美味しかった。
悔しいくらい。
本当に美味しかった。
たづなさんは理事長をソファへ移動させる。
理事長は幸せそうに寝息を立てていた。
「……年齢相応の寝顔ですね」
少しだけ表情が柔らかくなる。
── 封印ラベル ──
たづなさんは机へ戻る。
残されたドリンクを見る。
サンドイッチを見る。
数秒。
沈黙。
「……もったいないんですよねぇ」
ぽつりと漏れた。
食べ物を粗末にはしたくない。
でも危険。
しかし美味しい。
葛藤。
非常に葛藤。
最終的に。
たづなさんは小さくため息をついて、容器にラベルを貼った。
**要監視保管
真・最強メンタル計画V4試作品
飲食時は必ず複数人で管理すること**
少し考えて。
さらに書き足す。
空腹時禁止
さらに。
疲労時絶対禁止
最後に。
理事長単独接触禁止
そこまで書いて。
たづなさんは静かに天井を見上げた。
「……次は何を環境化するつもりなんでしょうね、あの子」
ソファでは、理事長が幸せそうにぱたぱたと尻尾を揺らしていた。
たづなさんは静かに書類を閉じた。
なお。
翌日のたづなさんのお昼は、少し控えめになった。
その理由を、たづなさんは誰にも言わなかった。