後輩ちゃんの独白
――あこがれの人の隣で――
私には、あこがれの先輩がいる。
そう言うと、たぶんみんなはスピカさんのことだと思う。
もちろん、間違ってはいない。
スピカさんはすごい人だ。
歌で、言葉で、笑顔で、たくさんのウマ娘を前に向かせてくれる人。
走れなくなった子にも、負けてしまった子にも、勝った子にも、これから走る子にも、同じようにまっすぐ目を向けてくれる人。
あの人の声を聞くと、胸の奥があたたかくなる。
あの人が「君の走る姿が好きです」なんて言ったら、たぶん、私はその場で倒れる。
……倒れると思う。
いや、倒れます。
でも、私のあこがれの先輩は、スピカさんだけじゃない。
もう一人いる。
私が入学する前から、ずっとずっと、あこがれていた人。
最強メンタル計画の先輩だ。
先輩に初めて会った時のことは、今でも覚えている。
寮の部屋にお邪魔した時、先輩はちょっと不思議そうな顔をしていた。
同室の先輩――みんなが赤ペン先生って呼んでいる人は、私のことをちゃんと見て、ゆっくり話を聞いてくれた。
私は、緊張していた。
だって、ずっと会いたかった人だったから。
画面越しにしか知らなかった。
名前だけしか知らなかった。
でも、私にとっては、本当に救いの人だった。
入学する前、私は車椅子だった。
今みたいに走ることはできなかった。
リハビリはしていたし、先生も家族も励ましてくれた。
でも、どうしても思ってしまう日があった。
私はもう、走れないのかなって。
トレセン学園に行きたいって言っていた頃の自分が、少し遠くに見えた。
走る子たちの映像を見るのが、つらい日もあった。
応援したいのに、胸が苦しくなった。
そんな時に、あのVRを使った。
先輩が作った、V2。
今考えると、たぶん、いろいろ危ないところもあったのだと思う。
同室の先輩が赤ペンを入れなかったら、もっと危ないものになっていたのかもしれない。
でも、私が使ったものは違った。
走れない私にも、ライブの熱や、レース場の空気や、ウマ娘が前を向く感覚をくれた。
私はベッドの上で、ゴーグルを外したあと、泣いた。
悲しくて泣いたんじゃない。
ああ、まだ好きでいいんだって思った。
走ることを。
ウマ娘であることを。
いつかまた前に進みたいと思うことを。
全部、諦めなくていいんだって思えた。
その時から、私は先輩にあこがれている。
すごい人だと思った。
スピカさんの歌に救われた人はたくさんいる。
でも、先輩の作ったものにも、救われた子がいる。
少なくとも、私は救われた。
だから、初めて先輩に会えた時、言わなきゃと思った。
あなたのおかげですって。
あなたが作ってくれたもののおかげで、私は今ここにいますって。
言葉にしたら、先輩はすごく驚いた顔をした。
それから、泣きそうな顔になった。
同室の先輩も、少しだけ目元を押さえていた。
その時、私は思った。
ああ、この人は本当に、悪い人じゃないんだなって。
ただ、ちょっとだけ、発想がすごい方向に走るだけで。
ちょっとだけ、思いついたら止まらないだけで。
ちょっとだけ、スピカさんが絡むと判断力がふわふわになるだけで。
……ちょっとだけ?
うん。
ちょっとだけだと思う。
少なくとも、私はそう思っている。
先輩はいつもまっすぐだ。
誰かを苦しめようとしているわけじゃない。
むしろ、誰かを助けたいと思っている。
元気になってほしい。
前を向いてほしい。
強くなってほしい。
スピカさんの声や想いや存在を、もっと自然に、もっと安全に、もっと日常の中で支えにできたらいい。
そう考えている。
方向は、時々、ものすごく曲がる。
曲がるというか、助走をつけて壁を突き破っていく。
でも、根っこにあるものは優しい。
私は、それを知っている。
だから私は、先輩の話を聞くのが好きだ。
先輩がノートを広げて、目をきらきらさせながら説明してくれる時、胸がわくわくする。
「つまり、日常の中に少しだけ幸せを溶け込ませることで、精神を自然に鍛えられると思うんです!」
そう言われると、私は思う。
すごい。
そんな考え方があるんだ。
赤ペン先生は隣で頭を抱えている。
「待って。まず"少しだけ幸せ"の定義から確認しよっか」
そう言って、赤ペンを構える。
私はそのやり取りを見るのが好きだ。
先輩がまっすぐ走り出して、同室の先輩が横から手綱を握る。
その光景は、少しおかしくて、でもすごく安心する。
だから、私も何かしたかった。
先輩に助けられた私が、今度は誰かを助けられるようなものを作りたかった。
それで、お花の企画を考えた。
最初は、本当に小さな思いつきだった。
スピカさんの歌や声は、もちろんすごい。
でも、いつも直接聞けるわけじゃない。
配信を見られない時もあるし、疲れている時に画面を見るのがつらい子もいる。
それなら、日常の中でふと見た時に、少しだけ心が楽になるものがあったらいいなと思った。
花なら、きっと優しい。
音も出ない。
眩しくない。
持ち歩かなくてもいい。
部屋や学園に自然に置ける。
スピカさんを直接再現するわけじゃない。
でも、スピカさんがくれた気持ちみたいなものを、少しだけ思い出せるようにできたら。
そう思った。
企画書を書いた時、先輩はすごく褒めてくれた。
「すごいです! 環境化です! でも優しい方向です!」
その言葉が、嬉しかった。
先輩に褒められると、胸がぽかぽかする。
スピカさんに褒められたら倒れると思うけど、先輩に褒められても、ちょっと危ない。
たぶん、私もだいぶ脳を焼かれている。
スピカさんに。
それから、先輩にも。
でも、悪いことじゃないと思う。
誰かにあこがれることは、前に進む力になる。
私は、そうやってここまで来た。
車椅子に座っていた頃の私に、今の私を見せたら、きっと信じられないと思う。
トレセン学園にいるよ。
先輩たちと同じ場所にいるよ。
走っているよ。
それに、誰かのために企画書も書いたよ。
そう言ったら、泣いてしまうかもしれない。
だから私は、ちゃんと頑張りたい。
先輩みたいに、誰かの心を支えられるものを作りたい。
スピカさんみたいに、誰かが前を向けるきっかけになりたい。
もちろん、危ないものは作っちゃいけない。
赤ペン先生にも言われた。
「あなたは素直でいい子だからこそ、あの子の発想を全部肯定しちゃだめだからね」
私は頷いた。
頷いたけど。
でも、先輩の考えることって、すごいと思う。
危ない時もある。
止めなきゃいけない時もある。
封印されたものもたくさんある。
でも、その中に、本当に誰かを救うものが混じっている。
私はそれを知っている。
だから、全部だめだとは思えない。
赤ペン先生は、きっとそこまでわかっていて止めている。
たづなさんも、理事長も、たぶんそうだ。
先輩の良さを消さないように。
でも、先輩が危ない方向へ行きすぎないように。
みんなで支えている。
私も、そこに入りたい。
ただ肯定するだけじゃなくて。
でも、否定するだけでもなくて。
先輩が作ろうとしている優しいものを、ちゃんと優しい形にできるように。
そのお手伝いができたらいい。
……できたらいいな。
たぶん、まだ私は甘い。
先輩が目を輝かせて、
「これならきっと、みんな幸せ!」
と言ったら、私はかなりの確率で、
「はい! すごいです!」
と言ってしまう。
だって、本当にすごいと思ってしまうから。
そのあと、赤ペン先生に肩を掴まれて、
「ねえ……これ、安全かな?」
と聞かれる。
私は考える。
すごく考える。
そして、たぶん答える。
「えっと……ちょっと幸せになりすぎるかも……ですか?」
赤ペン先生は深く頷く。
「正解」
先輩は隣で、
「幸せになりすぎる……なるほど、出力調整ですね!」
と言う。
赤ペン先生が赤ペンを強く握る。
私は慌てて先輩を止める。
そんな毎日だ。
おかしくて、少し危なくて、でも、あたたかい。
私はこの場所が好きだ。
スピカさんがくれた歌。
先輩がくれたきっかけ。
赤ペン先生が守ってくれる日常。
理事長やたづなさんが、なんだかんだで見守ってくれている学園。
全部が、今の私を作っている。
だから私は、これからも頑張る。
あこがれの先輩の背中を追いかけながら。
スピカさんの歌に何度も胸を焼かれながら。
時々、危ない企画書に「すごいです!」って言いかけて、赤ペン先生に止められながら。
いつか、私も誰かに言ってもらえるようになりたい。
あなたのおかげで、また前を向けましたって。
私が先輩に言ったみたいに。
私が、先輩に救われたみたいに。